2-18 書類の山
耳鳴りが大きくなると、水瀬の視界は空間が揺れているような錯覚を起こす。
いや、実際に歪んでいるのだろうか。水瀬自身にその判別はつかない。数秒程すると、その歪みは収まり、いつもの学校風景へと戻る。
ただの立ち眩みだろうかと水瀬は逡巡するが、しかしながら立ち眩みにしては視界の歪みはあまりに鮮明で、それも何か違うような気がする。
「何だったんだ、今のは」
不思議に思うも、現状その現象が何を意味しているのかなど水瀬にわかるわけもない。取りあえずその場を後にし、まだ早いが教室へ向かおうと階段へと歩を進めると。
タタ……と階段を下りていく一人の女生徒が水瀬の視界に入る。気付いた時にはその女生徒は階段の折り返しを曲がり、既に見えなくなっていたが、その生徒の後ろ姿、栗色のミドルヘア、水瀬と同程度の身長から察するに見境穂乃絵であろうことが推察できた。
「今のは見境……穂乃絵? またオレをつけていたのか? でもどこに向かったんだろう」
これまでも水瀬らを常に監視していた見境兄弟は、見つかりそうになるとすぐに逃走をしていた。今回も見つかりそうになったことから逃走を図ったのではと考えを結ぶこともできるが、それにしては余りにも無警戒すぎる。いつもならばその効果は置いておくにしても、本人たちは精一杯逃げているのだろうという姿勢が伺えていたのだ。
だからこそ、水瀬は今回の穂乃絵には違和感を覚える。
「今日はオレの監視じゃなかったのか。じゃあ、あいつらも今日は偶然早く来ていたのか?」
水瀬が一瞬思考を巡ると、その端麗な面持ちを微かに歪め、意地の悪い笑みを浮かべる。
「……あいつらいつもオレらを尾行してるし、オレもたまにはやってやってもいいよな。あいつらが何しに来たのか気になるし」
水瀬が独りごちると、気付かれないよう忍び足で、でもできる限り早く穂乃絵の後を追う。
階段を下りる最中、学校が微かに揺れ、遠くから爆発音が聞こえた気もしなくはないが、忍び足に集中する水瀬はそれに気を向けることはなかった。
◇◇◇
早朝とは清々しいもので、しっかりとした運動、食事、睡眠をとっているものならばその目覚めはよく、一日の間でもっとも頭が冴え渡る時間だ。
帝春学園において、選抜戦を行っているこの時期は教員、生徒ともに忙しく、誰にも邪魔されない時間というのは存外少ないものであろう。
教師は普段の授業から選抜戦の審判や管理。生徒はバディと一緒に次の対戦に向けてのミーティングやトレーニング。意外と忙しいのだ。
とりわけ、この時期で最も忙しい人たちとは、自分たちの選抜戦もさることながら、選抜戦自体の運営を執り行わなければならない「生徒会」の生徒たちである。
彼ら彼女らは生徒代表として、教師陣と共に大部分の管理運営をしている。だからこそ、選抜戦を取り仕切っている生徒会は、この時期が一年間で一番忙しく、早朝出勤よろしく社畜の如くこのような朝早くから仕事をしているわけであるが。
「ねぇ~木戸くぅん。私眠いよ~もうこんな生活やだよ~だらけたいよ寝たいよサボりたいよあわよくば甘いものいっぱい食べても太らない体質になりたいよ太らない体質の人マジ許さない」
「会長……、まだ選抜戦始まって半分もいってないのに我侭言わないでくださいよ。というか後半全く関係ないし出てる魔力シャレになってないのでしまってください」
まだ誰も校内には来ていないであろうこの時間。生徒会室には生徒会長の千歳 沙月と副会長兼千歳のバディ木戸 亮の二名が机に積まれた書類の山に向かっていた。
「昨日も夜までずっと仕事してたのに、この書類の山減ってる気がしないんですけど? というか、昨日私が片づけた分と別のが新たに積まれてる気がするんですけど?」
「はい、積みましたから」
「はい、じゃないが」
千歳は積まれた書類を掻き分け机に突っ伏しながら文句を垂れている。黙っていればきっと誰もが振り向く美少女であろう彼女が、この学校でアイドルとして扱われていないのには理由がある。
「会長、せっかくのそのきれいなロングヘアが床につきそうですよ」
「このまま寝れるなら、私は髪の一本や万本いくらでも床につけるわ」
このぐうたらな性格、身だしなみにそこまで気を使わない、そして生徒たちには時には嫌なことも言わないといけない生徒会長という役職もある。
しかし、本当の理由は。
「全く、こんな人が帝春学園でも歴代最強と謳われるクラスA、ランク1位なんて……。生徒会長は生徒の見本ですよ?」
「お小言言うなんて木戸くんお母さんみた~い。木戸くんだってランク3位じゃん」
「僕の3位とアナタの1位にはとてつもない差があるんですよ。クラスもBですし。あとお母さんって言わないでください」
「もう木戸くんが会長やってよ~」
「嫌です」
「即答キタコレ!」
そう、生徒会長である千歳は校内ランク1位の帝春学園歴代最強と言われている魔導士である。
その戦闘は鬼神の如き圧巻で、対峙した者はその恐怖から腰が抜け逃げることすら叶わぬという。
誰がつけたかついたあだ名は「鬼姫」。彼女が見目麗しい容姿を持っているにしても、そもそも生徒たちからは彼女は恐怖の対象なのだ。口に出すのも恐ろしい。
「そもそも、何で私が生徒会長なのよぉ! というか何で私みたいな人が生徒会に入ってるのよぉ!」
「入学当初に当時の生徒会の先輩から、生徒会入れば授業中寝てても生徒会の仕事が忙しくって言い訳できるよって言葉信じて入って、去年の先輩から生徒会長になればその権限を使って学校で好き放題できるよって騙されたのは自分じゃないですか」
「言わないでー! 私の愚かな失敗を言わないでー!」
机に突っ伏したままの千歳は頭を抱えたまま過去の自分を思い出しているのか、悶絶するように身悶えしている。
すると、生徒会室で突然ビーコンの様な甲高い警報音が鳴り響く。しかし、その警報音はどこか間の抜けた音で、ともすればそれは人の声で警報音を真似たかのような、少し抜けている音で。
「これ会長が録音した音ですか」
「そう、私の警報音の真似、うまいでしょ」
若干鼻にかかったその警報音の真似声に木戸はイラッとするが、そのことは今は置いておく。
「ところで、何でそんなものが突然流れたんですか」
「あぁ、私が校舎周辺に設置したトラップに誰か引っかかったみたいね」
「何やってるんですかアンタは!」」
「てへっ☆」
テヘペロ!とウインクと舌をちょっと出しながらのリアクションに更なるイラつきを覚える木戸が、千歳の襟首を掴んで生徒会室を出るのにさほど時間はいらなかった。
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