2-17 静寂な学校
「竜一帰り遅いな。どこまで走りに行ってんだあの脳筋は」
自室でゲームを嗜む水瀬がふと壁に掛けてある時計を見やると、時刻は22時を過ぎていた。
「走りに行ったのって夕方だったよな? いくらあいつが鍛えるの好きって言っても、さすがに遅すぎねーか?」
普段からトレーニングを欠かさない竜一は、時折没頭しすぎて帰りが遅くなる時がしばしばある。
しかし、それでも大抵は寮の食堂が閉まる21時までに帰ってくるが、今日はそれすら過ぎている。
寮の自室には簡易のキッチンしかついていないので、寮で食事をとれない場合は外で済ませてくるか買ってくるかをしなくてはならない。
「まぁ、飯は最悪明日の朝まで我慢させればいいけど、そもそも寮の門限過ぎてるぞ」
門限が過ぎ、寮の入り口が閉まっているといえど、竜一の特殊技能魔法などを駆使すれば部屋まで戻ることはできるだろう。
しかしバレたら反省文ものだ。わざわざそのような愚行を及ぶ必要なんてどこにもない。
それこそ、何かしらの特別な理由がない限り……。
「さっきから電話してるのに出ないし、何やってんだか」
水瀬がスマホ画面の着信履歴を開くが、竜一からの折り返しは当然ない。メール画面を開いても返事なし。
「別に、あいつが何してようが別にいいけど、一言くらい連絡入れろよ……ったく」
スマホを放り投げ、再度ゲームに取り掛かる水瀬の顔は少々不機嫌そうであった。
◇◇◇
翌朝、いつものように自主練の時間に起きた水瀬は、隣にあるベッドへ目を向ける。
「やっぱり、帰ってきてない……か」
朝起きると、既に隣のベッドが空なのはいつものことである。水瀬より早く起き、早朝のランニングに出かけるのも竜一の日課なのだ。
しかし、今日はそのベッドから人が出た気配はない。というより、昨日の水瀬が寝る前と同じ状態なのだ。
「無断外泊とか、バレたら反省文の量もっと増えるぞ、あのバカ」
眠たい目を擦り、いそいそと身支度を済ませた水瀬はいつもの早朝自主練も置いておき、校舎へと向かう。
早朝の中庭は人気がなく、もうすぐ五月に入るであろうこの季節は朝だとまだ少し肌寒く感じた。中庭の噴水もまだ稼働しておらず、静かな水面が広がっている。
時折吹く春風に草木は揺れ、花壇の花々は太陽に顔を向け花弁を開き始めていた。
「みゃー姉はもういるかなぁ」
てくてくと歩く水瀬が目指すは職員室。というより宮川美弥子である。
あまり大事にしたくはないが、やはり連絡もなしに帰ってこない竜一を心配してか、相談をしようと思った次第らしい。
もしかしたらひょっこり帰ってくる可能性も未だ捨てきれないので、取りあえず気軽に話せる人にと宮川を選んだのだ。
校舎は既に開いており、静寂な空気が校内には佇んでいた。
普段の登校時間ならば、寮生の者、通いの者、それぞれが一斉に入り乱れ、朝の挨拶や昨夜の出来事、自称おもしろい話を朝のテンションにも関わらず所狭しと広げられているが、この誰もいない時間帯では当然それもない。
水瀬の歩く音のみがそこには存在し、この世界には自分一人しか存在していないのではないかと錯覚してしまうほどであった。
静寂は行き過ぎると、時として何よりもうるさい騒音と変わる。耳鳴りが鳴り響き、無意識のうちにそれを聞き取ってしまうのは誰しもが経験することであろう。この空間も今はそれに支配された世界なのである。
不自然なほどに鳴り響く耳鳴りは否応にも水瀬の意識に介入し、煩わしさを覚えさせる。
あまり気持ちの良いものではない。それこそ、ちょっとした生活音などあった方が、人間は順応しやすいのだろう。
だからこそ、この静寂には少しばかり違和感を覚える。
「何か……何だろう。何か変じゃないか?」
その正体を水瀬はまだ掴んでいない。
しかし、その違和感は確かに胸の中に引っかかっている。
「いくら早朝だからって、ここまで静かなものか? 委員会なり何なり、少しは早く来た人がいてもおかしくはないと思うんだけど」
この広い校内、人が多少いたとしてもそれを感じ取るのは難しいだろう。違和感があったとしても、それは単に自分の思い込みで、もう少し時間が経てばいつもの学校に戻る――そう水瀬は思っていた。
職員室に着き、「失礼しまーす」と間延びした声と共に扉を開ける。室内を見やると、教室が3つ分ほどの広い空間、規則的に並べられたデスクは各先生の性格を表すかのように、書類の山が積まれているものもあれば、綺麗に整理整頓されたものもある。
しかし、それほどじっくり見て取れるほど、職員室は閑散としていた。ざっくり言うと先生が一人もいないのだ。
「やっぱり、何かおかしい?」
まだ先生たちも出勤していないのだろうかと水瀬も逡巡する。
確かに早朝のこの時間、出勤している先生の方が珍しいかもしれない。
しかし、職員室の扉が開いていたのは何故なのだろうか。
先生が誰も出勤していないのに職員室が開いているなど、生徒に悪さをしてくださいと言わんばかりだ。
その違和感は、水瀬の胸に引っかかったものをさらに加速させるには十分である。
「どういうことだ……」
まるで魔法でも使ったかのように、不自然に人がいない。
いや、これほどの効果となると魔法では不可能だろう。ならば魔術だろうか。
元来、魔術とは様々な詠唱や魔法陣、道具を用いることにより、複雑な過程を経て極大な効果をもたらすものだ。このような効果のある魔術こそ水瀬はしらないが、これに似たものを見たことはある。
「なんか、この状況は前にアウトレットモールで見たことある気が……」
水瀬が記憶を巡ると、突然、空間に蔓延る耳鳴りはその音を大きくした。
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