2-15 表情
食卓に並ぶ料理は、先ほど竜一が買ってきた卵をメインとしたとても豪勢とは言えない品々であった。
しかしながら、その質素なテーブルに並ぶ料理たちはまるで心を浄化するが如く優しい味付けで、普段は寮の食堂で食べている竜一には何だか懐かしいと思わせるには十分だった。
「優……って呼んでいいのかな? 料理、スゲーうまいよ。ありがとな」
「い、いえ。むしろこんな物しかご用意出来ずすみません。……あ、あと優で良い、です」
料理を褒められて嬉しいのか、優はお茶碗に入ったごはんにツンツンと刺している。
「ちょっと、私の時は穂乃絵って呼んでいいかとかの確認がなかったんですけど? なんで優には了承を得て、私には取らないわけ?」
「お前は自分からそう呼べって言ってきたからじゃねーか」
狭い部屋に三人囲むと窮屈なテーブル。当然、お互いの距離は近くなり、それはまるで心の距離を表すかのように会話も華が咲く。
「しっかし、いくら安く済むとはいえ、毎日自炊してるんだろ? 大変じゃないか?」
「い、いえ、料理は好きなので……。それに寮は寮費高いですから……それを考えたらこれくらいは」
やはり、この二人は経済的事情でここにいるようであった。
竜一と穂乃絵の会話の中でも、母に楽をさせたいと穂乃絵は明言していたため、薄々竜一も感づいてはいたのだが。
「今はママが女手一つ私たちを育ててくれてるのよ。自分も大変だろうに、仕送りまで送ってさ」
呆れた表情のまま穂乃絵はテーブル中央に置かれている料理に箸を伸ばす。
「さっきも言ったけど、うちの家系は魔道士でもないし、本来魔法なんて使えないハズだったのよ。でも、なぜか私と優に微弱ながら魔道士としての適正がでちゃってね。その時のママったら本当に面白かったのよ? 大人気なく私たちより喜んじゃってさ」
口では母を冗談めかしく語る穂乃絵だが、その顔は楽しい思い出を振り返るように、仄かに笑みを浮かべている。
「……そうやって笑ってれば普通の女の子なんだけどなぁ」
「……ハァ!? アンタなに言ってんの!?」
思いを馳せている中、突然の竜一の言葉に同様する穂乃絵。
顔を赤らめるその姿を既に幾度と見た竜一には、ある意味それが穂乃絵らしい表情でもあった。
「おっ、いつもの調子に戻ったじゃないか。しみったれた顔するよりそっちの方がお前らしいぞ」
「~~! 嫌い! 大っ嫌い! これだから最底辺は嫌なのよ! そのおかずもらうからね!」
「あ、おいそれはわざわざ最後に食べようと取っておいたのに、あぁあああぁぁ!」
「……フフ」
「なに笑ってんのよ優」
「別に、フフ……。穂乃絵ちゃん、楽しそうだなって」
「ハァ!? 優までなに言ってんのよ!」
大人しい優が笑いを堪えている。
短い期間の竜一にも、それは珍しい光景でもあり、しかし決して悪い気のしないその雰囲気は、ある種安らぐ空間のようであった。
「こんなに楽しい夕飯はいつぶりだろうね。ね、穂乃絵ちゃん」
「楽しくないっ! 楽しくなんかない!」
「はいはい」
見境兄弟のその会話は、恐らく本来であればとても重い言葉たちなのであろう。
父親が大犯罪者として祭り上げられ、迫害にも近しい扱いを受けてきたこの家族は、本当ならこんなに笑うことなど出来るハズもないほど、心が壊れていてもおかしくはない。
しかし、今もこうやって笑っていられているのは、この兄弟の心が強いのか。それとも別の何かが彼らを支えているのか……。
そんなことが竜一の頭をよぎるが、この楽しい時間に無粋な思考は御法度だろうと頭の隅に追いやる事とした。
狭いテーブルに並べられた料理たちはすっかり三人の胃袋に収まり、竜一らの脳内には満腹の幸福感に満たされていた。
「さて、お茶入れますね。は、灰村先輩もどうですか?」
ふと、竜一が部屋の壁にかけられている時計を見やると、時刻は20時を回ろうとしていた。
寮の門限まではまだ余裕もあるが、これ以上長く居るのも迷惑だろうと竜一が立ち上がる。
「いや、もう時間も時間だし、俺はここらで帰るとするわ。飯、ありがとな」
「い、いえ。助けていただいたお礼ですし、僕たちも楽しかった……です」
意外にも楽しい時間として過ごしたからか、一抹の寂しさを表情に出す優を見るに、誰かと食事をするのは本当に珍しかったのだろう。
そんなことが見て取れたからか、竜一も頬を掻きつつ笑みを浮かべる。
「また、飯食いに来ていいか? 食材とかは俺が買ってくるし、今度は水瀬も連れてくるからさ」
「……! は、はい!」
嬉しそうに返事をする優を確認し、竜一はランニングシューズを履いて玄関を出る。
先ほどの底が抜けそうな階段を慎重に降りていると、竜一の背後から誰か近づいているようだ。
「……どうした? 何か用か?」
「別に。ここらは夜街灯も少ないから、大通りまで送ってってあげるだけよ」
相変わらずそっぽを向いている穂乃絵だが、意外にもその内容は優しいものであった。
「……明日は嵐かな?」
「ホント失礼な男ね、アンタは!」
アパートから一歩でると、その裏通りは確かに街灯が少なく、薄暗い通りとなっていた。
このような薄暗い道を後輩の女子と二人きりで歩くなど、竜一にはこれまでの人生でなかったのだろう。
何とも言えない空気感に、脇汗が滲み出てくるが。
「……何か喋りなさいよ」
「何かってなんだよ……」
「何かは何かよ。女の子がこうやってついてきてあげてるのに、面白い話一つもできないの?」
一言多い穂乃絵の言葉は、聞く人によっては怒る人もいるだろう。
しかし、このツンケンとした態度も恐らくはこれまでの生い立ちからくるもの。
過酷な環境の中、自分を守り、敵を追い払う。そのような立場に追いやられた彼女はきっと防衛本能からこのような性格になったのだろう。
そう考えると、穂乃絵の生意気加減は可愛いもので。
「男にそんな態度ばっか取ってると彼氏の一つもできないぞ~」
「カっ!? カカ彼氏なんていらないわよ! 急に変なこと言わないで! もう……」
女子が好きそうな恋バナという物をやってみようとチャレンジするも、どうやらそういった耐性が穂乃絵側にないらしく、彼氏という単語一つで困惑しているご様子であった。
この暗い夜道でも顔の赤さが見て取れるくらい、穂乃絵はそういったことに疎いらしく。
「そうそう。そうやってしおらしくしてりゃあ、見てくれは良いんだから誰かしら拾ってくれると思うぞ」
「ううううるさいうるさい! もういいでしょ! ハイ辞め! この話は辞め!」
「お前が何か話題出せって言ったくせに……」
竜一が馴れない頭で捻り出した話題はアッサリと切り捨てられ、二人の間には再度静寂が流れる。
その時間は穂乃絵の動揺を落ち着かせるには十分だったようで、すっかり元のムスっとした表情に戻っている。
(何か話題ねぇ、共通のものでもあれば話すの楽になりそうなんだが、コイツと共通の話題っつてもなぁ。……いや、まてよ? そういえば――)
次なる話題に頭を悩ませる竜一に、一つ話題……というより、質問したいことが浮かび上がる。
しかし、その話題を降るのは無神経であるかもしれない。されど、せっかくの情報源になり得るこの女の子に、竜一はどうしても訪ねてみたかった。
「なぁ、お前ん家って元々魔術について研究していた家だったんだよな?」
「そうだけど、なによ。何かパパのことで言いたいことでもあるわけ?」
やはり、この手の話題になると穂乃絵は表情を変える。
先ほどまでのムスっとした表情は可愛いもので、この話題を降ると穂乃絵の表情は明らかに曇るのだ。触れて欲しくないトラウマのように……いや、実際のところトラウマで合っているだろう。
だからこそ、なるべく刺激しないように、竜一は落ち着いて明るく切り出し――。
「いや、違う。その、俺と水瀬がよく魔術について調べてるってのは、お前らもいつもの監視から知ってるって言ってたよな?」
「ええ。何で調べてるのかまでは知らないけど、大方、何か強力な魔術でも覚えて一発逆転でも狙ってるってところかしら? 魔術を使うってのはそんな甘くは」
「お前、禁呪書物って知ってるか?」
「ないのよ――今、何て言った?」
穂乃絵の表情が、消えた。
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