2-14 勝ちたい理由
穂乃絵が奥の部屋へ入って5分ほどしただろうか。
相変わらず真っ赤な顔で涙目な穂乃絵が引き戸を開けて竜一を奥の部屋へ招き入れた。
奥の部屋もやはりというか、然程広くなく、部屋の真ん中に二人が食事や勉強をするくらいはできそうなテーブル、隅っこにテレビやタンスが置かれている。他に部屋もないことから、布団などは押入れに入れているのだろう。
先ほど竜一が目にした純白の下着は既になく、穂乃絵は腰ほどまでの高さのタンスの前で仁王立ちしていた。
「いや、その、別に見るつもりはなかったんだ。すまんな」
竜一の言ってるものは当然下着のことだろう。
穂乃絵もそれは承知しているらしく、明後日の方向を向いている。
「別にそれはわかってるわよ。無造作に干してた私の原因だし、別に怒ってないわ」
穂乃絵は基本的に騒がしく、何かあるとすぐ突っかかる印象が強い竜一にとって、その対応は少し予想外なものであった。
「意外としっかりしてるんだな。お前」
「意外ってどういう意味よ! それにアンタにお前なんて呼ばれる筋合いはないわ! 私には見境穂乃絵っていう名前があるの!」
「お前も俺のことアンタ呼ばわりしてるじゃねぇか……」
即時前言撤回をしようと心に誓う竜一は、取りあえずテーブルに即して床に座ることにした。
穂乃絵もいつまでも立っていることに違和感があったのか、どこからか座布団を竜一に差し出し、テーブルを挟んで反対側に座る。
特に話すこともなく、竜一は改めて部屋を見回す。
よく見ると、先ほど穂乃絵が立っていたタンスの上は一枚の写真が飾られていた。
その写真は四人の家族が仲睦まじく、寄り添い合い、笑顔を浮かべる幸せそうな一枚だった。
「お前ら二人で暮らしてるのか? ご両親は?」
「ママは静岡にいるわ。パパは8年前に死んでいない」
「あ……、その、変なこと聞いてすまん」
「別に謝ることじゃないから気にしてないわよ」
素っ気ない態度で答える穂乃絵とは裏腹に、何の気なしに聞いた竜一にとってその答えは予想外なものであり、若干の気まずさを覚える。
着席し、落ち着いた第一声の話題がそれだったこともあり、竜一は気まずい顔で俯くことしかできず、部屋にはキッチンから響く小気味の良い包丁の音が続く。
すると、竜一を気にしてなのか話題がなくて暇だったのか、穂乃絵が相変わらずの素っ気ない表情で口を開く。
「うちはね、元々魔導士の家系ではなかったの」
それは見境兄弟の身の上話なのか、なぜその話を繰り出したのか竜一にはわからなかったが、取りあえず黙って聞くことにした。
「パパは魔術に関する研究員、というより学者みたいなものかしら。魔導士としての力はなかったけれど、魔術に関するありとあらゆる謎を追及する仕事をしていたの」
魔術。現代では魔法という上位互換が広まったこともあり、その技術は既に失われ始めている古代技術だ。
水瀬が女になったのも、その魔術を用いた禁忌の本――禁呪書物のせいでもあるのだが。
「ママはもちろん、私たちもパパの仕事に誇りを持っていたわ。独自の見解から魔術の探求をしていたから世間からは変わり者扱いされていたけれど、パパは確かに近づいていたの。魔術の深淵に……」
魔術の研究。それはこの世界において非常に重大な事柄でもあるが、禁忌とされている魔術はその危険性から、魔導騎士団管轄のもと、基本的に決められた研究施設でしか触れることができない。
例外として、その手のことを専門にしている大学教授や企業が厳しい審査のもと許可されるくらいか。
「パパはその手の界隈からはそこそこ名前が通ってたみたいでね、魔導騎士団から外部協力者として研究していたの。見境 源治って言えば……伝わるかしら」
見境源治、竜一も聞き覚えがある。
むしろ、その名を知らない者は日本にいないのではないだろうか。
「8年前に起きた、『インターフェイス研究施設惨劇事件』の犯人、見境源治のことか? それが今と何に関係が……、あ――」
「そう、私と優はその事件の犯人とされている見境源治の、息子と娘よ」
インターフェイス研究施設惨殺事件。それは8年前に起きた、日本中で連日報道された非常に残酷な大事件だった。
魔法はもちろん、魔術の研究も行っていた日本有数のこの研究施設が一日の間に血の海となったのだ。研究員たちのほとんどは死亡し、その死者数は5000人程いると言われている。
日本でも数少ない重要機材も軒並み破壊され、日本の魔導研究に大打撃を与えたのだ。
魔導騎士団はその犯人を見境源治と表明し、指名手配。数日後、とある山奥で遺体として発見されたと報道されていたのだが。
「……何でそんなことを俺に教えたんだ?」
当然、竜一は疑問に思うだろう。
そのような大事件の犯人の子供。それはどれほど人に悪劣な印象を与えるだろうか。
会って数日、話す機会もそこまでない仲で、なぜ自分にそのようなことを教えるのかと不思議に思う。
「別に……ここ何日かアンタたち見てたけど、別に悪い奴じゃなさそうだし、それになんか魔術について調べてたでしょ? 底辺のアンタたちが。だからただの気まぐれよ」
確かに竜一と水瀬は、暇があれば禁呪書物や魔術について調べることもある。
実際、今の時分で魔術について調べる学生などほとんどいないだろう。だからこそ、魔術に関わりの深い穂乃絵たちは何かを感じたのか、その事実を教えたのかもしれない。
「気まぐれってお前、俺がここで態度を急変させたらどうするつもりだったんだよ」
「別にどうもしないわ。今だってアンタは私たちの敵だし、そこに変わるものなんてない。今までだって散々周りから罵詈雑言言われてきたし、人から嫌われるのなんて馴れっこよ。幻滅したかしら?」
「ハッ」と鼻で笑う穂乃絵の表情こそ素っ気ないが、その目は少し揺れているように竜一は感じた。
まるで捨てられた犬のように、何かに助けを求めているかのように揺れるその目は、ほんの一瞬だけだが竜一の脳裏には焼き付いた。
「だけどね、私たちはパパが犯人なんて思ってない。それだけは確信してるの。あの優しいパパがそんなことするハズないもの! だから、私たちは魔導士としての才能はないけれど、魔導舞踏宴に優勝して魔導騎士団に入る。そして、パパの無罪を証明し、今も一人で私たちを育ててくれているママに楽をさせるの……。だから、どんな手を使ってでもアンタたちには負けない。負けられない」
竜一を睨み付けるように言い放つ穂乃絵の瞳は、まるで悲しみを背負ったビー玉のように冷たく寂しい色を馳せていた。
おそらく、これまでの人生は壮絶なものだったのだろう。大事件の犯人の子供という背負いきれないほどの業は、本人たちの意識とは無関係に周りが追いつめ、差別し、迫害する。
思春期の人生で最も多感な年ごろでそのような環境に身を落とせば、どれほどその心は堕ちていくものか。
穂乃絵の目はまるで復讐をしてやると言わんばかりのものだ。
この世のありとあらゆる迫害してきた者たちに、自分たちは無罪だと、愚かなのか同調し、抑圧をかけてきたお前たちなのだと証明するためにと叫ぶためのように。
それはひどく悲しく、侘しく。
「穂乃絵、俺は――」
「あ、あの……、重苦しい話はそこまでに、ご、ごはんができたので……運んでも良いですか?」
困った顔で笑う優の一言に、張り詰めていた空気は淀みをゆっくりと溶かした。
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