2-8 自身の根幹
上地が杖の先に練成した魔法弾を竜一目がけて射出した。
「くたばりやがれ灰村ァ!」
足場が流動的に動くこの蟻地獄の中、竜一に回避行動はとれないだろう。
しかし、そのまま魔法弾を直撃するつもりのない竜一は、魔力弾が当たるであろう上半身を捻ると。
「――うぐっ!?」
左肩で受け止めた魔法弾は直撃すると小さな爆発を放ち、竜一の左肩を赤黒く出血させる。
「……ッチ。直撃は免れたか、しぶとい奴め。次はねーぞ!」
上地がまたも杖の先端に灰色の魔法弾を練成しようとしている。
左肩から腕にかけて大量の血が流れる竜一のその腕はもう使い物にならないだろう。それこそ、この肩で受け止めたら気絶するほどの激痛で戦闘不能になりかねない。
(次の直撃はマズい……! どうする、どうする!?)
右手に握る愛剣『鉄屑』が届くにはほど遠いこの距離。近距離攻撃しか持たない竜一にはこの状態から攻撃する手段はない。
どうにか近づかなくてはならないが、足場が不安定で動けないでいた。
(何とか足場を固められたら一気に飛んで行くのに……足場を固めれば……固める?)
竜一が愛剣『鉄屑』を見る。鉄屑の特徴的な長く、そして太い剣身は相も変わらず墨色の鈍い輝きを放っていた。
竜一があることを逡巡すると、上地の杖の先端に練成された魔法弾が、先ほどより一回り大きく練成されていた。
「今度こそ終わりだ灰村ァ! 吹き飛びやがれぇ!」
上地が鈍い爆発音と共に二発目の魔法弾を射出する。
大きさから、直撃すれば先ほどとは比べ物にならないほどの爆発を引き起こすことだろうと容易に想像できた竜一は、否が応でも覚悟を決めると。
「――クソッタレ! やるしかねーか、もってくれよ鉄屑ッ!」
竜一は右手に持った鉄屑を前方――魔法弾の方へ面を向け盾替わりにすると、その腕に力を込める。
「そんなんで防げるかよぉ! 爆発しやがれ!」
灰色の魔法弾が鉄屑へ直撃すると、その場で先ほどの数倍はあろう爆発が起こる。
当然、鉄屑で守ったと言えど竜一の身体は爆風で宙に舞い、自慢の霊服は所々やぶけ、顔は煤だらけになっているが。
「――まだ、諦めるかよぉ!」
「なにッ!?」
空中を舞う竜一が目を光らせ言うと、右手に持った鉄屑の切っ先を蟻地獄の底に向け、面を地面と水平にするよう足元に設置する。
地面に着地すると、鉄屑に乗った竜一はまるでスノーボードをするかのようにその坂を滑り下りると。
「剣を、ボードのように!? クソ、魔法の練成を!」
「遅え!」
グングンとスピードの上がる竜一は真っ直ぐに上地の方へ下って行くと、右手を後ろに引き、単純明快な攻撃方法の準備に入る。
「こんなアホらしい方法で、この俺が最低クラス野郎に――ッ!?」
後ろへ構えた右手に力を込め、滑空のスピードも上乗せしたその会心の一撃を、
「どうぁっしゃああああああいッ!」
すれ違いざまに、上地の顔面に殴りつけたのだった。
その衝撃は、上半身だけ砂から出していた上地の下半身をも引っこ抜き、空中で二回転半の大技を決めるほど綺麗に入っていた。
顔面から落ちた上地は白目をむいて痙攣をしており、それと同時に蟻地獄のように形成されていたその穴は動きを止め、ただの窪みとなった。
◇◇◇
「ハアハア……、何とか勝ったか。早く、水瀬を探しに行かないと」
鉄屑から降りた竜一は改めて右手で持ち直すと、フラフラとその足を進める。
先ほどの上地の魔法弾は予想以上にダメージが大きかったらしく、肩で息をしているようであった。
すると蟻地獄の淵、つまり上り坂のてっぺんから声がしたことに竜一は気付き、顔を上げると。
「おーおー、なんだよ上地のやつ。灰村なんかに負けたのかよダセーなー」
そこには水瀬をチョークスリーパーのように捕まえて眺める長原の姿があった。
「う……く、竜一……」
「水瀬ッ!」
「おーっと灰村動くなよ? 愛しの水瀬ちゃんが傷つくぜ?」
ニヤニヤと見下すように眺める長原が反対の手に持った杖を水瀬の頭に突き付けている。
「上地の得意魔法――飽食の蟻地獄が破られるとは予想外だが、お前が降参するってんなら愛しの水瀬ちゃんは解放してやってもいいぜ~? ただし、動いたら俺の阻まれる大地でまた水瀬ちゃんを連れ去るぜ? その場合、どうなるかはわかっているよなぁ?」
薄ら笑いを浮かべる長原はもう勝った気でいるのか、それともただ余裕があるだけなのか。相方の上地が倒れているというのにヘラヘラとしている。
息苦しいのか、それともこの状況を招いたことを悔いているのか、水瀬が重苦しく口を開くと。
「竜一、ごめん」
「……何がだ」
水瀬の目は先ほど連れ去れる直前、いやそれよりもさらに光を失っていた。すでに諦めているのか、また自分が足を引っ張っているという自責の念があるのか、苦々しい笑みを浮かべている。
「オレのことは気にしないでくれ。竜一は竜一の好きなようにしていいから」
「だとよ、灰村。どうするどうする~?」
水瀬の言葉に硬直する竜一。好きにしていいと言われても、竜一としては水瀬に無用な被害が出ることは避けたい。
それは友人として当然であり、バディとしても当然である。
ただ、それ以上に……。
「ったく埒が明かねーなー灰村ぁ。こいつも女みたいな恰好するし、気持ち悪いったらありゃしねーぜ。お前らみたいな異常者たちに付き合ってるほど、俺も暇じゃねーんだがなぁ」
「オ、オレは男だぞ」
「だから中身がまるで女になってるみたいなもんだろうが気持ちワリィ」
長原の言葉に目を引ん剝く水瀬は絶望の表情というだろうか。やはりそう思われているのかという考えが頭をよぎる。
自身がいくら女だということを否定しようとも、傍から見れば中身すらも女と思われ始めている。自身が受け入れたくない現実ほど、周りはそれを事実と認識する。
そんなことがどうしようもなく絶望的で、否定したくて、その感情は胸の奥から鼻奥を突き抜け。
「……オ、オレは……男……だ」
水瀬の目からは涙が流れていた。
いつから自分はこんなに涙もろくなったのだろう。いつから自分はこんなに感情に揺さぶられるようになったのだろう。これも心が女になってきたからなのだろうか。
そんな考えすらも頭をよぎる。泣きたくなくても、否定しようとすればするほど事実との差異で悔しさが感情となり涙に変わる。
止まらない滴が砂漠の砂に落ち、変わりゆく砂の色がいっそうの悲壮感がこみ上げる。
「か~、そうやってすぐ泣くところが女だってんだよ男のくせによう」
長原が呆れた声をあげ、蔑むような眼を水瀬へ向けている。
それがまたとてつもなく悔しいが、言ってもまた否定される。それが嫌で水瀬はこれ以上声を出せないだろう。
すると、竜一がポツリと呟く。
「水瀬が男だろうが女だろうが、お前に関係あるのかよ」
「――アァ?」
静かに、しかしはっきりと告げたその言葉に長原が顔を歪ませる。
「水瀬という個人の意義に、お前の意見を介入させる権利があるのかって言ってんだよこのチンピラ野郎!」
竜一の激昂が言葉となり、砂地を巡り長原の眉間に血管を浮かび上がらせる。
「チンピラ野郎だぁ……?」
長原の怒気のこもったその言葉を無視し、竜一は続ける。
「水瀬も水瀬だっ! お前、そんなことでいったい何日うだうだ悩んでるんだコラ! お前いい加減向き合えよぉ!」
「――っえ、オレも怒られるの?」
涙で顔がクシャクシャな水瀬が竜一の言葉に一瞬我に帰るほど驚いている。
「当たり前だ! 大事な試合前だってのに俺とは一言も話さないし、やっと話せるようになったかと思えば試合に集中せずすぐさらわれる……これが怒らずにいられるか!」
一言怒りの言葉を発すると、竜一の口からは最近の鬱憤を晴らすかのように次々と言葉が出てくる。
「そ、そんなことって、竜一にはわからないだろうけどなぁ! オレにとっては大問題で」
「わからねぇよ! でも水瀬だって何が正解なのかわかってねぇじゃねーか!」
竜一の反論に水瀬が押し黙り、
「それに、俺らの知っている水瀬は今の水瀬なんだ。それを否定しようってのは、俺らの中の水瀬も否定されることになっちまう。そんなのは嫌だ!」
「嫌だって……子供かお前は! お前の中のオレを押し付けられても、オレはそれに納得できな」
「納得させてやるよ! 納得させるだけじゃない、世界一優秀な支援魔導士だと証明するって約束したじゃねーか!」
それはあの日の約束で、今はまさにその第一歩の日。今日から、そしてこれからの果てにその約束は証明される。
「――ッ! それと、それとオレの悩みは違う!」
「違くねぇ!」
竜一は声を高らかに、あの日みたいに見当違いに、でも自信たっぷりに……、
「水瀬は水瀬なんだ、そこに男の心だの女の心だの関係あるか! 水瀬という人間が形成される根幹はそんなところにあるんじゃないんだよ!」
「根……幹――」
ハチャメチャで、自分勝手なその意見は、
「だから、どっちの水瀬も今は受け入れていいんだよ。片方に絞る必要なんてない。今の水瀬は、その二つの上で形成されているんだ」
水瀬の心にかかった深く重たい雲を払いのけたのかもしれない。
「……ハァ、相変わらず無茶苦茶な意見で論理も糞もない考えだな竜一は」
「ヘヘッ」
呆れた表情を浮かべる水瀬に、竜一は満面の笑みを浮かべ答える。
それは問題を何も解決していないのかもしれない。でも、今の水瀬が自分を受け入れるのには十分なことであった。
二つの心を持っていようと、どちらかを排除する必要はない。水瀬という人間の根幹に性別など関係ないのだろう。
だからこそ、今はそのことを受け入れて。
「お前ら……、この長原様を無視して何スッキリしたような顔してんだよオイコラ」
こめかみに青筋を浮かべた長原が間に割って入ってきた。
「おう、待ってくれてありがとな。お前そういうところは融通効くのな」
「待ってやったわけじゃねぇ。灰村、後ろ向いてみろよ」
長原が言うと同時に、竜一の後ろでジャリ……という砂の音がする。
竜一が振り向くと、鼻から血を流し、目に怒りの充血を溜めた上地が起き上がっていた。
「お前らの詰みだよ。灰村ぁ」
蟻地獄が再び稼働を始めようとしていた。
後ろを振り返ると、そこには血まみれで立ち上がる上地の姿が……!
それを見た竜一くんはSAN値チェックです。
 




