第百三十五話 謀反
それは問いかけのようでいて、確認のようにも感じられた。
エイジは名を聞いた途端恐れは消し飛んでいた。
「シューニャさんを知ってるんですか?」
この場にミリオタは居ない。
STG28の関連施設を巡回している。
痩せ細った侍風の老人は、袂に手を差し入れたまま、遠慮の無い目線で品定めをする。
「リアルでは虐められ、引きこもりの餓鬼といった感じだな・・・」
エイジは驚きで目を丸くする。
「餓鬼はお母ちゃんのオッパイでも吸って寝てろ」
老侍の頭上にペナルティポイント赤く付く。
「鬱陶しい! なんなんだコレはさっきから! ったく・・・」
頭上を蠅でも振り払うように手で払いのける。
「オッパイの何が悪いんだ。お前らも吸ったからココにいるんだろうが」
赤く数値が加算される。
彼の顔も赤くなったが、次の瞬間にはその激高が嘘みたいに落ち着く。
エイジを見た。
「おい餓鬼、ココの大将を呼べ」
周囲の本部委員は彼を見た。
エイジは気圧されること無く言った。
「・・・シューニャさんは、いません」
その声は小さく、唇は震えている。
彼への恐怖心なのか寂しさなのか。
その両方か。
「お前は日本語がわからんのか? ココの大将を呼べと言ったんだ」
恫喝しているという風でも無いのに背筋が寒くなる。
その声はこれまでのトラウマを呼び起こすのに十分な迫力があった。
それは亡者の手のように伸びると、胃を鷲掴みにし、引き釣りだそうとしているかのよう。
身体が小刻みに震えてくる。
指を噛んだ。
シューニャの顔が浮かぶ。
思い出の彼女は何時も笑顔。
彼は顔を上げると辛うじて老侍の目をチラリと見る。
見た瞬間、身体が硬直する。
深淵を覗いた気がした。
悪魔と目があったような錯覚。
声色からすると痛烈に威嚇しているようで、冷めているのが感じられる。
寒気が止まらない。
怖い。
心底、恐ろしい。
あの眼は慣れている目なんだ。
暴力に。
血肉になるほど。
胃がキリキリする。
重く感じられる。
ストレス。これがストレスなんだ。
最も苦手で、最も不愉快なタイプ。
願わぐば・・・この世から消えてて欲しい人種。
過去の様々な恫喝が我先にと蘇って来る。
呼吸が荒くなる。
苦しい。
恐怖に心が満たされそうになった時、声が聞こえた。
「私を助けて、エイジ」
シューニャの声。
浮かんだその顔は孤独だった。
エイジは歯を食いしばると、再び頭を上げ、目を剥き全身を震わせながら言った。
「僕が・・・この本拠点の、宰相です」
大きくは無いが断固たる表明。
多くの者がエイジを見た。
その意外性の確認と、勇気を目に止めようと。
老侍は冷めた目を丸くする。
突然膝を叩くと、割れんばかりの大声で笑う。
一人だけ。
彼の従者を含め皆が驚いて彼を見る。
その異様さに。
膝を叩いて笑うという表現は聞いたことがあるけど、本当にするんだとエイジは思った。
老侍は目だけで人を殺せそうな形相で言った。
「餓鬼・・・嘘だったら・・・わかるな」
自分が知らない世界の片鱗を見た気がした。
*
「ビーナス、観測ポイントに接近」
「巡航速度へ」
「御意。STGホムスビ、巡航速度」
ビーナスと静はマルゲリータ中隊長の許可を得て、未確認飛翔体を目視したポイントへ向かった。それはマルゲリータ中隊初の公式任務となる。
「長距離通信は断絶中。マザーはオフライン」
「ソナーは打てませんね」
ソナーはマスターやマザーの許可無しに打つことは出来ない。
パートナーがマスター無しに単独行動することは可能だ。
しかしあくまでもマスターの指示あっての行為である。
ソナーのような重要な判断を単独で下すことは出来ない。
彼女らが単独で動く場合、索敵が主たる目的になることが多い。
他にも、複数機のSTG28を所有する場合、マスターとパートナーでそれぞれ搭乗するケースもある。主にソリストに多い。
パートナーは別の機体に登場中のマスターをフォローすることは可能。
人間のような混乱は一切起きない。
それでもマルチタスクに伴いリソースの多くを割かれることになる。
部隊パートナーは武装の操作は強化されており、搭乗員パートナーより多くの兵装を同時に扱うことが出来る。しかし、それはマザーに接続されていることが大前提になり、同時に部隊の装備に限られる。
二人は自分達にある種の異常性を認知しながら、一方で、行動出来る理由を理解していた。
ビーナスはマスターを捜索する理由。
静はビーナスの要請に従ってのこと。
原理原則は変わらない。
それ以外の案件では動かないし、それ以外の視点はあっても可能性は無い。
ミリオタが嘗て言った言葉通りであった。
マルゲリータ中隊長が、拒否をした場合、当然彼女達は別の任に当たったであろう。
(でも、今の静ならどうだろうか?)
ビーナスは静に起きているある種のエラーを観測し続けている。
オフラインになった彼女にはビーナスには起きていない判断材料が明らかにあった。
部隊パートナーは部隊の為の存在であり、個体を優先することは無い。
でも今の静は明らかに私情のようなものを優先しているように見えた。
今こそ部隊パートナーの出来ることは広範囲に渡る。
にも関わらず、静は当然のようにシューニャの捜索に乗り出す。
それは部隊パートナーのロジックからすると明らかな選択ミスだ。
でも、ビーナスは問わなかった。
彼女の答えは想定出来る。
「シューニャ様を帰還させることが最も利する行動と判断したからです」
それは一件通りのいい答えだったが、同時に確率の低い行いとも言える。
最も確率の高い行動に出るパートナーから逸脱している。
今のビーナスであっても、その選択肢はとらないだろう。
彼女の変化は少なからずフェイクムーンで影響からだろうと推測している。
ビーナスはこの遠征で見極めるつもりだった。
マスターに利する為に。
「噴射痕を観測」
人間と違い、パートナーは目に頼りすぎない。
人間は多くの情報を目に頼り、他の情報を蔑ろにする傾向がある。
それだけ目による映像情報が多くを語るからと同時に、他の入力装置が弱い。
近年それは顕著になってきている。
パートナーはセンサー寄りの判断をする。
言い換えると総合情報を重視する。
視覚情報は判断の一材料に過ぎない。
見えているものが必ずしも「ある」とは限らない。
事実、地球人は見えないモノを見ることが出来た。
脳が誤って見せることがある。
物理的存在が推進装置を利用した際、必ず「噴射痕」を残す。
ビーナスは、フェイクムーンが地球へやってきたのも恐らくそれが理由であろうと一つの仮説を立てている。シューニャには問われなかった。
パートナーは魔法のランプの魔神と同じで、主人が思いつかない行動はしない。
半歩先を行くことはあっても、一歩先には行かない。
人類が一歩先へ行く自分以外の存在を良しとしないからだ。
過去の蓄積で明らか。
マザーが他文明の存在を知る効果的な追跡の足がかり。
それが「噴射痕」であり、「デブリ」であった。
広域センサーで一瞬で検知出来る。
ソナーのように相手に悟られる可能性が低い。
噴射の痕跡は時間経過と共に減衰する。
それでも地上の様に風の流れは無いので比較的長く滞留。
装置によっては、まるで川のように何時までも痕跡を残す場合もある。
例えば地球のロケットエンジン等はそれに当たる。
それもありビーナスは真っ先に捜索を申し出た。
痕跡がある内に。
マスターを捜索するチャンスがあるとしたら今であると。
ビーナスにとっては本拠点よりもマスターが常に第一。
静はビーナスの要請に待ってましたとばかりに乗っかった。
「追えそう?」
「ええ」
静はマルチフィンガーを展開し、ピアノのハンマーが忙しく動くようにキーを叩いた。
今の静はSTG28にダイレクトに接続することは出来ない。
ビーナスによってインターフェイスを焼かれている。
修繕は出来なくも無かったが、静はそれをしなかった。
その判断そのものが人間を模倣しているように感じられる。
静がシューニャの前でマルチフィンガーを見せることは無い。
その理由を問うと、
「だって、シューニャ様だってそうでしょ?」と言った。
「人間を模倣しているのでしょ?」と聞くと、
「自分でも解析中なの。・・・なんだろ、見せたくないの」と返した。
感情の模倣。
アンドロイドに感情は無い。
今の静は感情の模倣に膨大なリソースを割いている。
「マルゲリータ中隊長のSTGトーメイト噴射痕と断定。追跡します」
「了解」
それは道のように続いている。
そして、その痕跡が強く出た。
「減速したポイントと思われます。報告データと一致」
「静、頭頂して船体を制御、私はフォローに回ります」
「御意」
複座にいた静が飲み込まれると、次の瞬間には先端に移動。
端部の全天球型コックピットにその姿を現す。
漆黒のアンドロイドスーツに身に纏い、黒髪を翻し、手を広げた。
船体や戦術兵器を手足のように扱える。
そこは嘗て貫かれたポイントでもあるが、人間のようなトラウマは存在しない。
「中隊長の発言からすると、この方位、この距離内に未確認飛翔体が居たはず・・・」
「噴射痕はなし、デブリ反応にも異常なし」
「移動します」
「了解」
彼女が身をかがめるとユルリと進みだした。
「戦闘の痕跡なし」
「STGIのデブリもセンサーに反応しないとか?」
「わからないわ。でも、本船の制御を離れた破片が何らかの性能を維持することはあり得るから、可能性はあります」
「感度を上げます」
「了解」
感度を上げると、より小さな情報がマップで埋め尽くされる。
人間なら到底読み解け無い情報量。
「痕跡なし」
「仕方ないわね」
「もう少し・・・もう少し索敵範囲を広げる?」
この提案自体がビーナスにとっては意外。
二人で最も安全性を鑑みた上で決めた索敵プラン。
それをこの場で覆そうというのだ。
人間ならともかく、アンドロイドが。
「静、」
「ごめん・・・判ってる」
「帰還しましょう。私達の出来ることは他にもあります」
「シューニャ様であれ、他の何かであれ、この問題を放置していいとは思えない」
「それは同意しますが、議論は尽くした筈です」
「でも、何も無いのにマルゲリータ中隊長が足を止める、違和感を感じたというのを放置するのはどうかと思うの。シューニャ様が、彼女の言葉には耳を傾けるようにって、言ってたわよね!」
「議論は尽くしたと言いました」
「もう少し・・・」
「人間が見間違うのは確率の高いことです。今、ここで低い可能性にかけ、時間を浪費する行為はアンバランスよね?」
「うん・・・」
「以上、帰還します」
「待って! 何も無いというのが引っかかるのよ! 中隊長のあの索敵スコア、これまでの実績で、何も無いという方が不自然じゃない? 可能性はけして低くない。論理的な数値化は難しいけど・・・」
「数値化出来ないテーマを入れると・・・」
「判ってる。判ってるけど・・・」
「・・・困った子ね静は・・・」
「ビーナス」
「判った。やりましょ!」
「ビーナス!」
「貴方の言う可能性は否定出来ない」
「有難う・・・」
「何を言うの。可能性にかけましょう。索敵プラン変更、ロードして」
「御意!」
*
「こんな餓鬼が宰相とは・・日本も地に落ちたな・・・」
確認は直ぐとれた。
さぞや老侍は怒り心頭かと思いきや、項垂れた。
でも、次の瞬間にはこう言う。
「代われ」
「えっ?」
「代表を俺に代われ。荷が重いだろ?」
「・・・」
荷が重い。
確かに荷が重い。
もう嫌だと何度も叫んだ。
でも、何故か即答出来なかった。
「シューニャのヤツ、相変わらずの甘ちゃんなんだな、変わってない」
「・・・」
どうしてだろう。
安堵している自分がいるのに。
「はい」と言えない。
どうして?
自分が判らない。
楽になりたいのに。
僕には荷が重過ぎる。
なのに、どうして。
どうして言えない。
「辛かったろ? シューニャはそういうヤツなんだよ。可能性がどうとか、才能がどうとか言ってな、たぶらかしてやらせる。そして裏切られる」
エイジは顔を上げる。
「無いんだよ可能性は。才能があれば最初からやってるっつーの。唆されてやっている時点で、お前の才能はたかだかしれている。その程度のもんなんだよ、ヤツの言う才能なんて。所詮は凡人の領域だ。目くそ鼻くその世界。俺からしたら、そんな程度は才能じゃねーよ。それなのにヤツと来たら、迷惑な話だよな? 辛かったろ? 苦しかったろ。その時点で才能が無いんだよ。だから代われ」
やっぱりそうなんだ。
知ってた。
僕なんて何も才能なんて無い。
だからこうなんだ。
だから、これまれでも、これからも、そうなんだ。
僕は・・・初めからクソなんだ。
知ってた。
騙されたんだ。
「耳を貸すな!」
ミリオタ達が帰ってきた。
「なんだコイツら? このクソ忙しい時に次から次へと!」
「そうですよ! 天主様のマッスルを知らないヤツが、よく言う!」
マッスル三男は、エイジのことを天主様と呼び敬愛している。
「見ろ兄ちゃん、あの筋肉。大胸筋が泣いているのが聞こえるようだ」
次男も続く。
だが、何時も調子のいいマッスル長男は黙っていた。
そして歩みを制した。
顔が険しい。
ミリオタは構わず、行こうとすると袖を掴まれる。
よろけた瞬間にマッスルが耳元で言った。
「気をつけろ・・・二メートル以内に近づくな」
老侍は再び遠慮の無い視線で値踏みすると言い放った。
「スパイ崩れに、筋肉バカか。リアルと同じで日本は人材不足だねぇ~、平和ボケが」
ミリオタの顔が強ばる。
マッスル長男が睨み返す。
「人殺しが、偉そうに語るか・・・」
マッスルは静かに言った。
老侍の両脇で跪いていた二人がいつの間にか立ち上がっている。
マッスル長男も全身がパンプアップ。
「道場自慢・・・私が・・・」
白Tが言う。
「黙ってろ」
二人は再び跪く。
「兄ちゃん、アイツ日和ったよ!」
笑う三男に対し、長男の表情は堅いまま。
老侍は、エイジに目線を戻す。
「代われ。それで全て済む」