第百三十三話 禁止区域
久しぶりにミリオタが顔を真っ赤にして震えていた。
慣れない管理業務のストレス。
リアルで椅子に座り続けたエコノミークラス症候群。
自由過ぎる面々、新人達の当然過ぎる態度、遅れる準備。
復旧しないマザーとのコンタクト。
何もかもが初めてのことばかり。
何もかもがコントロール出来ていない。
運営に推挙した馴染みからも管理能力を問われた。
エイジが言った「当面は現場の判断に任せます」の言葉が頭の中でリピートされている。
そのことにも驚いた。
全てに苛立っている。
それでも彼は怒鳴らなかった。
自分すら制御できない自覚が出来た。
暁の侍の隊長に言われたのだ。
思い返すと、ブラックナイト隊の副隊長の時ですら全く制御できなかった。
今はそれどころではない。
日本・本拠点の筆頭部隊であり、中央。
出来るはずがないんだ。
相手への苛立ちから、自身の力不足への腹立たしさへ向けられていく。
今の彼には、背中を向け、全ての憤りに蓋をするのが精一杯だった。
実際はエイジもミリオタ以上にパニクっていた。
ネガティブな思考で頭まで浸かりそうに何度もなる。
その度に自室に籠もって「引きこもりの子供に何が出来るんだよ! 大人たちこそしっかりしろっ!」と全力で叫び、泣いた。
投げ出そうとしては、シューニャの笑顔が過ぎった。
初めて自分を信頼してくれた人。評価してくれた人。
彼女を裏切るのは、ガッカリさせるのは、死ぬよりも辛かった。
居た頃を思い出した。
いつも何事も無い風に軽口を叩き、部下からも軽口を叩かれ、ぶらぶらしては何もしていないような風だったが、今こうして部隊の様々な部分に目を通した時、彼女の下準備に気付かされる。
パートナーのシャドウから何度も聞かされた。
「これはシューニャ様が用意されてました」という言葉。
それが今正に役に立っているのだ。
救われている。
人知れずやっていたのだ。
それを思うと喉元まで出来てきた「もう止めます!」が出なかった。
時折見せた深刻な顔や、暗い表情を思い出す。
こういうことだったんだと知った。
恐らく、もっと深い。
「シューニャさんが戻ってくるまで僕が守る・・・」
索敵に関してはマルゲリータ中隊に完全に委ねている。
現実には気が回らなかったと言えたが、何よりシューニャの言葉が頭にあり、端から任せるのが当然ぐらいの無意識に刻まれた部分が大きかった。
それでも報告を聞いた時は驚いた。
まさか小隊で方々に分散しているとは思ってもみなかったのだ。
彼女は出撃の際に「出来るだけ多くの情報を集めるから」とだけ言った。
それが彼女らの任務ではあるが、改めて考えると「何を探しに出たか」聞くべきだった。
自分でも場を全くコントロール出来ていないことは自覚している。
だから、コントロールを止めた。
土台子供なんだ。
出来るはずがない。
「この人なら任せられるなぁって人に任せればいいんだよ」
メモにはそう書いてあった。
確かにシューニャはそうしていた。
マルゲリータの一件はミリオタのイライラの原因にもなる。
彼の質問に答えられなかった。
何処へ行ったのか、何のために、何時戻るのか、一切答えられなかった。
だが、それは結果として不要な心配となった。
出立して間もなくするとマルゲリータ小隊が帰還。
だが、彼女を除いて。
帰還した小隊は二人を除いて遠足気分。
STG28の宇宙演出のリアリティに驚きと感動を隠せないといった風情。
新人搭乗員に有りがちな反応であり、そのレベルである。
それでも彼女と仲の良かった新人搭乗員である雌猫と河童の二人は様子が違った。
二人の話を聞いた時、ミリオタのストレスは最大に達する。
身悶えし「あっ! くっ! こっ!」と言葉に出来ない擬音のような声を発し続け、最後には震え、沈黙する。
エイジも二人が話し出す前から事の重大さに気づいた。
小隊で出たSTGを一機だけ残して帰るということは流石にあり得ない。
ましてやマルゲリータは中隊長であり、作戦の要である。
それは説明しているはずだ。
少なくとも、この二人はあの場に居た。
彼女を残すというのは、多少なりともこの手の集団対戦をゲームでやったことがあるプレイヤーなら察するだろうと思った。
これがミリオタの怒りの原因なのは明らかであり、彼の気持ちもこの時初めて理解出来た気がした。
だからエイジも「えっ?・・・置いてきたの・・・」と言ってしまった。
でも、二人の表情と彼女のこれまでの言動を思い返し「でも・・・最善の方法かもしれない・・・」と付け足した。
それに対してもミリオタは怒りを向けかけたが腹が立ちすぎたのが何も言わなかった。
二人の弁を聞くにマルゲリータの指示であることは明らかだった。
直ぐに彼女らが持ち帰ったデータの解読を始める。
オンラインになっていないマザーの変わりとして、代理のような存在、システムがあることを初めて知る。これはシューニャがヒントを残していた。それを教えてくれたのは彼女のパートナーであるビーナスだった。シューニャは仮で、そのシステムを「義母」と命名していた。考えも及ばなかったが普段から独自に調べていたようだ。「義母は自動的に起動するが、マザーよりも限定的に機能するようだ」と記録があった。
データが解読し終えると、最初にマルゲリータの映像が短く映る。
ミリオタはまるで生き別れた彼女を見るようにモニターにかぶりつく。
「日本・本拠点は漂流している可能性があります! 星の位置や大きさ、マザーと断絶した時間から座標を大まかですけど割り出せると思いますので試してみて下さい。マザーにストックしてある過去のデータから照合出来ると思います。多分だけど・・・すごく流されてる、漂流しているんです!」
エイジはハッとすると言った。
「オペレータさん、義母に繋いで下さい。今のマルゲリータ中隊長の音声を再生し、生データを提供、位置を分析させて下さい!」
「わかりました」
全員がメインモニターを見つめる。
賑やかだった面々もただならぬ気配に次第に静かになる。
結果は直ぐに出た。
「マジかよ・・・」ミリオタがボソっと言う。
「ビンゴですね・・・凄い流されている・・・」とエイジ。
「こんなに長いこと前からマザーとオフラインだったんだな・・・」
「なんで警報が鳴らなかったんでしょうか・・・」
本部の作戦室は俄かに騒がしくなる。
「なんかマズイの?」
「元の位置に戻らないとフライングになんじゃね?」
如何にも新人らしい声も混じってくる。
それはエイジの耳にも入った。
それはどこか琴線に触れる発言だったようだ。
戻る必要があるのか?
移動そのもに問題があるのか?
自分を含め、この場にいる誰も理解していない。
イシグロにコールしたが「過去に経験が無い」とだけ彼は短く言った。
エイジは率直に尋ねる。
「お母さん、じゃなくて義母に継続接続」
思わずお母さんと言ってしまったことで場はドッと失笑に包まれたが、彼は取り繕うことなく真顔で反応を待った。
「なんでしょうか?」
「本拠点が定位置にいなきゃいけない決まり事がありますか?」
「ありません。移動はエリア内なら自由です」
オフライン中の代理マザー、義母が応えた。
その存在を知ったのも今回が初めてのこと。
シューニャが残したメモでだ。
「なんだ、無いじゃん」
「ね~」
そうした声が聞こえたが、エイジはふと気になる。
「エリアって何ですか?」
皆は仲の良いもの同士で顔を見合わせる。
余りにも素朴すぎる質問。
基本すぎる質問。
作戦室の面々はエイジに懐疑的な目を向ける。
自分達も知らないが、新人とは言え腐っても本拠点の宰相だ。
それでもエイジは気にしなかった。
「当STGの管轄はエリア28です」
作戦室中央に大きなホログラムモニターが展開され範囲が明示される。
初めて聞いた管轄エリアという単語。
初めて見た広大な立体マップ。
この場にいる誰もこれまで本拠点の位置等気にしたことは無い。
ましてや管轄エリアとは。
今更ながらの疑問が浮上する。
でも、エイジは妙に腑に落ちた。
STG28、管轄エリア28。
漠とした黒い空間。
光る白ごまのような星々。
一見すると大きな目印らしきものが無い。
いや、あった。
少し大きな光が見える。
中心部にある。
恒星?
「あれって、ひょっとして太陽とか?・・・」
部隊、暁の侍から本部入りした赤い甲冑を着た男性アバターが言った。
彼は立体ホログラムの中に入り、直接さした。
皆はそれを見て「あ、入ってもいいんだ」という全く異なる感慨を得ながら、近づいてマップ内にいる彼の指先を目線で追う。
エイジは見上げ、尋ねた。
「義母さん、そうですか?」
「そうです」
それは小さな点のような光。
「じゃあ、あれが地球なのかな?」
青い星がある。
次々と楽しそうにホログラムの中に入る。
「どれ? どれよ!」
また騒がしくなる。
「待って!」エイジは叫んだ。
「義母さん、このマップに本拠点の推定位置を表示して下さい!」
「現在地は不明です」
「さっきアップしたマルゲリータ中隊長のデータを元に推測で構いません」
「適合率は低くなりますが、かしこまりました」
点がひと際赤く光る。
「あれっ?」
大きな声が上がる。
マルゲリータと同行した雌猫だ。
「端っこにいない?」
その声は喜びではなく、危機感を内包している。
河童が自らの皿を叩くと妙に乾いた音が響く。
「本当だ・・・」
「それって、マズイの?」
呑気な声の後、不安がさざ波のように広がっていく。
何もかもが判らない。
本拠点は今まさにエリア28の境界に接近しつつある。
騒めきが波紋のように広がる中、エイジは何かを察したようだ。
割くように澄んだ声で叫んだ。
「大至急、本部の位置を元のポイントに戻して下さい! 推測で構いません!」
「わかりました」
ほとんど同時に中央作戦室が赤く染まる。
「警告。本拠点は現在航海禁止宙域に迫っております。航海禁止宙域に侵入した場合、本拠点は自動的に融解を開始します。警告。本拠点は・・・」
赤く、ゆっくり明滅してくる。
先ほどまで遠足気分だった新人達の表情が固まった。
「警告。本拠点は・・・」
繰り返される警告、近づく境界。
「緊急停止! 元の位置に戻って!」
エイジは再び叫んでいた。
「既に緊急停止措置を実施中です」
「でも動いているよ!」
雌猫が吠える。
「動いているって、義母さん!」
「現在重力被害を抑えた状況で減速中です」
現状に似つかわしくない義母の淡々としながら慈愛のある声色が不安を逆なでする。
「警告。本拠点は・・・」
繰り返し警告放送が流れ、次第に速く赤く明滅。
色も濃くなったように感じられる。
この間も境界線はどんどん近づいている。
「これ以上の減速は危険です」
「でも、これで間に合うのかな・・・」
「本拠点の規模になると重力的影響を抑えて・・」
「それって緊急停止? とにかく何でもいいから止まって!」
エイジは悲痛な声を上げた。
今まで生きてきて、自分がこんな声を出せるなんて夢にも思わなかった。
「緊急停止は実行中です」
「でも、この速度で・・・」
「これ以上の減速は危険領域です」
エイジは拳を握りしめ顔をくしゃくしゃにしたが、ハッとして言い方を変えた。
「じゃあ・・・今の減速で・・・境界は越えないんだね?」
「越えます」
この場にいる何人かが意味することに気づいて悲鳴を上げる。
大多数は理解出来ずポカンとした。
現実を受け入れられない。
「宰相命令発令! 義母さん、境界を越えない程度に最大減速! 可能な限り被害は最小限に、あらゆる手を尽くして下さい!」
この間にも警告は拠点内に鳴り響いている。
「わかりました。警告後、カウント5で実施します」
最初は鮮やかな朱色だった明滅も、赤黒く、速くなっている。
「凄い近いよ!」
いずこから悲鳴のような声が轟く。
「緊急放送。本放送終了の5秒後に、本拠点は急減速します。STG28及び全稼働施設は自動的にロックされますが、ロック不能な物体は重力の影響を受けます。飛翔体にご注意下さい。また、搭乗員様及びパートナーの皆さまはライフラインが自動的に接続され、固定されますが、ライフラインが無い特殊アバターのプレイヤーは近くのモノにおつかまり下さい。なお、握力設定60キロ以下の搭乗員は最大限身を守って下さい。宰相命令により即時実行されます。・・・以上。カウント開始、5・・・」
それは突然始まった。
施設のあらゆる箇所で金属音が津波のように響く。
作戦室は一瞬でパニックに陥る。
「4・・・」
彼女の言うライフラインとやらが何かわからない。
でも、自分達が何かに固定されているようには思えなかった。
何をどうすれば接続出来るのかも判らない。
マザーはマザーの優先順位があり、これまでも苦労させられた経験が閃く。
エイジは咄嗟に吠えた。
「宰相命令! 即刻全ライフライン接続!」
「わかりました。1、減速します」
直後に、かの巨大地震を彷彿とさせるようなこの世ならざる揺れが本拠点を襲う。
振動音と悲鳴がない交ぜに聞こえる。
それはまるで新たな生命体が生まれたような、過去に経験が無い音だった。
幾つかの小さな物品が作戦室を飛んでいくのが見えた気がする。
方々で上がる悲鳴。
でも、誰しもが自らの身を案じるので精一杯。
エイジの目の端に毛むくじゃらの何かが飛んで来て見えた。
ほとんど反射的にそれを掴む。
彼はリアルでのコンプレックスから細マッチョな設定にしていた。
強い衝撃。
「死ぬ!」
直感で思った。
でも、放り出されなかった。
謎の白い有機的な管が、ゴムのように無数に手足から伸び、床に吸い付いている。
間に合った!
彼の咆哮は僅かにカウントダウンより早かったのだ。
手から来るフワッとした感触。
見ると雌猫。
明後日の方を向いている。
次の瞬間、更にひと際強い荷重が。
声にならない悲鳴が自分から漏れる。
繊維が千切れるような感触を右肩と筋肉に感じる。
彼女もまた緑色の何かを掴んでいた。
河童だ!
二人共特殊アバター。
ゴムを伸ばすように、万力を込め両手で彼女を掴むと、あらん限りの力を込める。
「うわああああああっ!」
人生で経験したことが無い自身の絶叫!
そして離す!
飛んでいく二人。
休憩用のソファーに直撃。
見ると、二人からは白いゴムのような管、ライフラインが伸びていない。
新人であるが故、ベースアバターの拡張もされていない。
飛び方からして一時的に義母による重力軽減のコントロールもあったようだ。
全員が画一的に動いた風には見えなかった。
咄嗟に「被害を最小限に」と言ったのが功を奏していたようだ。
だが、エイジにはそんなことに気づく余裕は無かった。
本拠点は轟音と激しい振動の後、少しして静かになる。
まだ赤く明滅している。
心持ち、色が明るくなっている気がする。
色と明滅で危険を知らせているんだと関係ない考えが浮かぶ。
まるで巨大なブレイカーがバチンと落ちるような音がすると、通常の昼白色に戻る。
境界を越えたかどうか、気に留める者はいない。
あちこちから呻き声が聞こえてくる。
間違いなく言えることは、少なくとも今は生きている。
呆然と周囲を見渡すエイジ。
いつの間にかライフラインとやらが消えている。
フラフラする。
まだ身体が揺れている気がする。
目線を遊ばせると、ソファーに投げ飛ばした雌猫と目が合う。
彼女はウィンクすると投げキッスをするアクション。
それを見た隣で呆然とする河童もそれを真似る。
エイジは二人を見て声を上げ笑うと、自然と涙が滲んで来た。
(生きてる・・・)
緊張が一気に解れる。
でも次の瞬間には声を上げた。
「義母さん! 被害状況を! 救命を優先して下さい!」
そんな彼を、複雑な表情で見つめるミリオタがいた。