第百二十四話 入夢
ずっと考えてきた。
色々なことを。
一つは、何故マザーはパートナーで戦わないのか。
彼女らなら地球人より優秀かつ忠実だ。
自らの手足となって動く。
事実マザーは緊急時にそれに近いことをやっている。
だが、それは常に規則に則ってのこと。
パートナー・システムを導入したのは地球人の進言と聞く。
地球人全てが「パートナーで戦うこと」に同意すればマザーは自らの力を存分に振るうのだろうか。
恐らくそれは無い。
規約の類で縛られているようだ。
しかも地球人と違って厳密かつ厳格で、破ってはいけないものに感じる。
同時に地球人が権利を手放すとも思えない。
地球人と宇宙人との契約は公開されていなかった。
一般搭乗員が目にすることは出来ない。
条約が見られるのは本部委員会でも一部とサイキさんが言った。
ブラックナイト隊が本部に入れる可能性は現時点では低い。
本部宰相が開放すれば読めそうだが、過去誰もしたことがない。
無理も無い。
自身も苦い経験がある。
管理する側になった途端、容易に開放しなくなる。
部下に言われて改めたことがある。
これまで本部委員会経験者のほとんどはSTG28を去っている。
色々な理由があるにせよ、それも気になるところだ。
次に、マザーの狙いだ。
単純に地球防衛を割り当てられた可能性は低くない。
だが、敢えて選んだ可能性もある。
フェイクムーンとの交渉の際に、彼女らから「惜しい」というものを感じた。
だとしたらその理由はなんだろうか。
それがわかれば交渉に使えなくもない。
STGシリーズは全てマザーの管轄なんだろうか?
そしてマザー以外の知的生命体だ。
サイキさんの話ではアダンソンと命名されている宇宙人がいるらしい。
他にも会ったことがあると言っていた。
彼女らはどういう括りにいる集まりなんだろうか。
本当に異なる生命体なんだろうか?
種類の違いということは無いだろうか?
いずれにしても知らないことが多すぎる。
見えない綱を渡っているようだ。
今は足元の感覚を頼りに歩むしか無い・・・なんとも心細く恐ろしい。
踏み外す可能性が常にあるんだ。
「皆・・・大丈夫だろうか」
カーテンを開け、窓越しに空を見た。
快晴の空を見ても心が踊らない。
宇宙を望んでいる自分を感じる。
「今は生きている。それだけでも儲けもんだ。出来ることをしよう」
その後、パソコンからSTG28にログインしようと試みたがやはり駄目だった。
ネットワークの設定、ソフトの起動設定も弄ってみる。
結局は徒労に終わる。
久しぶりに世界のニュース記事を読む。
相変わらずいいニュースは無い。
特に国内の惨状ときたら目を覆うばかり。
何時から日本人はここまで愚かになったのだろうか。
いや、少なくとも世界的に劣化していっているのは過去の書物からも明らかだろう。
それでも日本人の劣化速度は別格な気がする。
記事を読みながら、学生時代に読んだUniverse25を思い出し寒くなる。
当時は、言っても所詮はマウス実験だからと不安を抱えながらも否定した。
人間が愚かといっても流石にマウスとは違う。
ところがどうだろうか。
今まさに同じような経過を歩んでいる。
人類の知能がマウスレベルなのか。
マウスレベルに落ちたのか。
そもそもマウスと人間、対した差が無いのか。
動物とはそもそもそういうものなのか。
いや、だとしたら恐竜の方が遥かに賢いということになる。
(マウスと人間が同列)
到底受け入れ難いが、事実そうなっている。
ふと、少し嬉しくなっている自分を見つけた。
まるで普通の暮らしだ。
STG28に参戦するまでは生きることが辛すぎた。
覆う倦怠感、請求書と見つめ合う日々。
晴れることのない心、治ることの無い身体。
不快感に満たされる世界。
昔はそれこそ「いっそ殺してくれ」と何度も願ったものだ。
無意識に電車に飛び込みかけたこともあった。
電車がホームに入るのを見た際、足がフラッと前へ出てた。
たまたまOLと目が合った。
彼女の顔で我に返った。
不安な顔をしていた。
「人様に心配されるような人間になるんじゃないよ」
祖母の言葉が去来する。
巨大隕石群が降ってくる可能性なんて嘗てはリアルに感じられなかった。
それどころか「いっそ降ってこい」と思っていたのに。
あの時は現実感が無かったから言えたんだろう。
現実にはこの瞬間に降ってこない確証は無い。
今、生きているということは、本当に奇跡、偶然なんだ。
今まさに、彼らによって守られていると感じる。
「皆、ありがとう・・・」
こうしている間にも普通の人たちが命がけで守ってくれている。
宇宙では彼らが、地球では我々が。
偶然性と必然性の上に命がある。
食事の量が増えている。
味の好みは特に変わっていない。
だが肉食への渇望が増している。
五年ぶりに冷凍食品の唐揚げを食べた。
こんな美味い食べ物があったのかと感動してしまう。
知っていたはずなのに。
胃腸が弱くなり、自然と遠のいていった。
便秘になり安く、加えて肉食は便や体臭が増すこと、日本人は肉の消化には向いていないことも知り植物性に切り替えていった。
十年ぶりに筋トレもしてみる。
以前は三十回と出来なかったのに、あっと言う間に百回出来てしまう。
少し動いただけで嘗ては息が苦しかったのに全く平気だ。
心不全気味だった。
スクワット等は何回も出来なかった。
跳ねるように出来る。
逆立ちは二十年とやっていない。
難なく出来た。
おかしい。
何かがおかしい。
出来すぎる。
これだけ動いても全く疲れない。
まだまだ出来そうだ。
頭のクロックも信じられないほど速く感じる。
十年前に買って投げ出したFPSを久しぶりに起動してみた。
明らかに動体視力が上がっている。
ついていけなくなっていたのに。
それだけじゃない、反応出来ている。
手も、頭も。
しかも正確だ。
以前はピタリとマウスを動かすことが出来なかった。
記録をとろう。
今までも食事は撮っていた。
胃腸がおかしい時に逆算的に食材を特定する為だ。
そうでもしないと直ぐに体調を崩す。
食後に自分の顔も撮ることにする。
以前は肉体に異常が出た時だけ写真を撮っていた。
加えて一日一度全身写真を一枚、室内の写真もとり変化を記録する。
認知機能の確認になる。
玄関とパソコン、寝室を集中的に。
認知症が入っているという可能性も否定出来ない。
機能低下がある場合、記録と認知にズレが生じる。
自覚するには客観的に捉えるしかない。
十年前に原因不明の記憶障害を起こした際もこれで乗り切った。
元からメモ魔だったが、行動記録もとるようにしていた。
会話は基本的に録音し、齟齬がある場合に聞き直した。
ズレが多々あった。
それを認識することで少しずつ治っていった。
でも、肉親や友人には「遂に狂った」と言わしめた行為だ。
STG28の一件で、ここんところはご無沙汰だったな。
面倒だが仕方がない。
体調を少しでも改善しようと、この二十年、食事は大幅に見直した。
一定の効果はあったが、根本的な改善にはつながらなかった。
最も大きかったのは睡眠時間だ。
睡眠時間が個々によってここまで必要時間が違うとは思わなかった。
日本人の標準化意識による硬直は病的だ。
ある夢を思い出す。
血まみれのシューニャの口。
肉団子になったブラックナイト隊の隊員。
あれも何か関係があるのかもしれない。
睡眠が長時間になる理由は自分なりに推測している。
慢性疲労症候群を始めとした自己免疫疾患。
少なくとも自分を観察し続け、結論づけた。
ダメージから回復する際に多くのビタミンを始め要素を浪費してしまう。
休むこと無く攻撃する自分。それを治す自分。当然疲労を伴う。
毎日満身創痍での入眠。
何もしていないのに疲れきっていた。
この日、何も成果が得られず眠りに入る。
STG28のことを考えていたら知らず眠っていた。
夢は嘗てより現実としか思えないほど鮮明だった。
鋼鉄の大地。
秋終盤に見られる天高い晴天の青空。
雲がタイムプラスで撮影したかのように高速で動いている。
実にドラマティック。
美しい。
目の前には何時ものように白く塗られた小さな鋼鉄製のテーブルが一つ。
これまた鋼鉄製の白い椅子が二つ置いてある。
蔦をデザインしたかのようなテーブルと椅子。
ゴツゴツとして洗練さは無いが手作りを思わせる。
ここ暫くは入眠すると直ぐにこの光景が見えた。
「来たね」
(今日の客は誰だ?)
今日の客と思ったが、客が来ない日が多い。
中年の髭面の男性が空間から滑るように現れる。
待っていたようだと直感する。
髭は案外難しい。
整えないと不潔感が出る。
彼は整えていない割にそれが無かった。
似合っているのだろう。
私は髭が伸びると皮膚炎で発狂しそうなほど辛くなる。
男性は椅子に座らない。
急いでいることを意味する。
「アレは君がロックしたの? 何があった?」
彼の背後に見える雲の象形が覚えのある物体に成った。
STGIホムスビ。
「ロックって何?」
男は少し斜め上を見ると言った。
「君じゃないか・・・なるほど。不味いな・・・」
私は目線で「どうぞ座って」と促す。
彼は首を振った。
「君の船は取り敢えず出しておいたから回収しておいて。悠長にしていられない。かなり流されている。それと、アダンソンの支援はしばらく受けられない。もう判ったろうが、アレを扱う際は気をつけて。無闇に浪費しないように。少なくとも隕石型と一戦交えるような状況じゃない限りまともには扱えないと思った方がいい。便利だが格納庫で何かしようと思わないように。身に覚えが無いだろうがアダンソンとの契約は条件が厳しい。借りパクも無視も一切出来ない。利息も大きい。放置すると貴方自身も食われる。そして血縁および関係性の強い順にそれは起きる。搭乗出来たら自我が保てる内に一刻も早くエネルギーを吸収すること。君が乗っている状態でアレの制御が失われた場合、責任は君に覆い被さるからね。君が責任を回避出来ない場合、地球人に降ってかかかる。アダンソンは恐らく我々を利用しているに過ぎない。上手に対峙するように」
「会えませんか?」
声が出た。
夢で声が出ることは自分の場合は稀だった。
「また来るよ。今は時間がない。私は今、STGやSTGIに乗れない」
「地球では?」
別な声が自分の口から出た。
(誰だ?)
「リアルでは会えない。色々面倒な立場なんでね。味方は皆無だ」
自分の意思とは違って悔しがっているのが感じられる。
「地球は勝てるんですか?」
俺の声だ。
「勝つ? ああ、そういう認識か・・・」
彼は残念そうに下を見た。
「勝つというのは無いよ。あるのは距離を保った協調だ」
「隕石型とですか?」
違和感なく声が出せる。
「えっ? いや・・・今、STG28では教育はどうなってるの?」
「教育?」
彼の表情が曇る。
「なるほど・・・そこまで退化しているのか。・・・簡単に言うとアレは宇宙そのものだよ。例えるなら細胞の代謝と変わらない。必要だからいる。勝つも負けるも無い」
ピンとこない。
「ではどうして我々は戦っているんですか?」
「天災と言い換えるとわかり易いか。天災は必ず起きる。それに対して我々が事前に出来ることは備えるようにすること。災害時に適切に対処する知恵と行いのみ。だけど災害をある程度コントロールしようとはする。それと同じだ。本来なら天の川銀河に来るタイミングではなかった。引っ張った者がいる」
「宇宙人!」
「まあ、我々も宇宙人なわけだが・・・。地球外生命体ではある」
「マザーですか?」
「彼女が出来ることは限定的だ。本件もマザーが調査している」
「味方なんだ・・・」
「視点による。まあ、限定的に味方と言えなくもない」
「マザーが解決すれば、隕石は降ってこないのですか?」
語彙が増えつつある。
かなり自由に発言出来るようになっている。
「何れは降る。当面という意味では君の言う通りだ。最もそう簡単ではないだろう。地球でもそうだろ? 外来種が知らず生息しだすと完全に追い出すことは困難だよね。それは時が経つほどに深刻になる。でも普段は放置に近い。それと同じだ。だからこそSTG機関を提供されている。それと、彼女らの活動スパンは地球人より長い。君が生きている間に解決するかどうかはわからない。少なくとも私が就任した際には既に始まっていたよ。紡いでいくしかない。安全をね」
「今更失礼ですが、貴方はどなたですか?」
「サイトウだよ。知らない?」
「サイトウさん! 私はシューニャです!」
彼は首を傾げた。
「君は・・・違うだろ?」
「え?」
「なるほど・・・。境界を保て。己を出来るだけひいて見ろ。認識しろ。君は見えていないようだ・・・」
サイトウは半歩出ると眉をしかめ覗き込んだ。
「どうされました?」
サイトウの顔が険しくなった。
「動くな」
彼の顔が緊張している。
「自己を俯瞰するんだ。境界を越えるな。認識しろ。ブラック・シングには絶対に近づくな」
「手遅れだ」
別な声が自分の口から出た。
「誰だ! ブラック・シングって何ですか?」
彼の背後に雲が像を成した。
アレは黒なまこだ。
私の背後を見たサイトウが青ざめる。
「君・・・どうしてアダンソンは・・・何時からだ!」
空が暗転し、雷鳴が轟く。
風が渦を巻き雲が巻き込まれていく。
そして雲をスクリーンにして早送りの映像が投影されると稲光の合間にそれが見えた。
STG28の戦いの歴史。
それは竜巻のように一瞬で通り過ぎた。
「・・・」
サイトウが絶句している。
あれはどういう顔だ。
危機感と恐怖と失望と焦りが綯い交ぜになっている。
「・・・地球に居てはいけない・・・」
自分の意思なく身体が勝手に動いた。
白いテーブルを横倒しにすると飛びかかっている。
人間とは思えない跳躍力。
口を大きく開いている。
サイトウは空間の亀裂に身を滑らせると、消えた。
鋼鉄の大地に蛙のように着地する。
「くそ・・・」
私の声じゃない。
真っ暗な空に真っ黒な雲が円筒形を成す。
「なんだ・・・アレは・・・」
俺の声。
闇がゆっくりと晴れ、巻かれた雲が元の場所に戻っていく。
(息が・・・苦しい・・・)
顔を上げると、地平線の彼方に歩く者の姿が見える。
それは陽炎のように不安定。
次第に黒い形を成す。
「・・・仏様?・・・」
手観音みたいに多くの手が見える。
でも頭が大きい。
その黒い塊はヨロメクと前のめりに倒れた。
無意識に駆けっていく自分。
その時、下から突き上げるような衝撃が襲った。
世界は激しい振動と轟音、地割れによって崩壊する。
空が高い音を立ててガラスのように割れた。