単身
空の白みが出てくる頃。
その箱はジリジリとわざと耳障りな音を出す。
その音を止めて、むくりと起きれば何故とは聞かずとも、溜め息がもれる。
だが、彼の気持ちにはそれ以外の要因もあることは彼しか知らない事……
否、彼を知る者は察する事が出来るだろう。
☆
寝室から、一階のリビングへ降りてきた彼は、机に並べられた物
、鞄、ハンカチ、筆記用具、メモ帳、ノートパソコン、財布に印鑑。
それらを一度確認してから鞄の中へ入れる。
そうして全てを入れると、彼は鞄を机の脚に立て掛けた。
☆
コポコポと泡の弾ける音が力すれば、それは珈琲の作られる音である。
今度はその音を快く聞けば、ふと足下に擦れる者。
「にー。」
トキだ。
だが、朱鷺ではない。
トキは猫である。
白と灰に近い黒のストライプ。
そのトキが足に身体を擦り付けていた。
「やあ、早い御起床だ。」
彼の言葉に一声鳴いて、そして彼の腿の上に飛び乗ってきた。
「おや、これじゃあ珈琲が飲めないなぁ。」
腿の上で丸くなる毛玉をなだらかに流れに沿って撫でる。
撫でる手は温かくて触る毛皮は柔らかい。
まだまだ幼い子供であるが、この家にはかけがえのない家族だ。
そのまま撫で続けるつもりだったが、足音が聞こえてきた。
「おはよう。」
「ああ、おはよう。」
彼の妻だ。
薄い灰のカーディガンを身にまとい、階段を靴下の足ではた、はた、と音をさせ降りてくる。
「起こしてくれてもよかったのになぁ。」
そういう彼女の表情は薄く微笑んでいた。
「せっかく会わないようにって、思ったんだけどな。」
彼も同じような表情をしている。
ただし、彼の場合は少し困った様子であったが。
「いま珈琲を入れるから、ゆっくりしてて。」
彼女はコポコポと音を立て続けているそれから、コップに中身を注ぐ。
「にーっ」
毛玉の鳴き声に、思わず微笑みをこぼす彼は、止めていた手を再び動かす。
「忘れてないよトキ。」
毛玉はにー、と鳴くと目を細める。
その様子はまるで、精一杯甘えているようだった。
「分かってるのかもねトキも。」
そういってコップを2つ分持ってきた彼女は、毛玉の方を見やる。
「そうか」
毛玉を撫でる手は止めてやらない。
彼はもう片方の手で珈琲を飲む。
「これを飲んだら、もう行かないといけない。」
静けさに心が沈む、でもそんな姿は見せまいと笑みはそのまま崩さない。
「それなら、朝ごはんですね」
「え?」
にこやかな顔をした彼女は珈琲を一口も飲まずに朝食を作りに台所に立ってしまう。
「……」
眠ってしまった毛玉を両の手で掬い上げ、寝床へそっと寝かしてやる。
彼は自分の部屋に戻るとすぐに身支度を整えて数日分の荷入りバックを手に階下の玄関口に置いた。
「はい、鞄と朝食。」
後ろから彼女が声を掛けてきた。
料理をしていたので、いるとは思わなかったのか、彼は体をピクッと跳ねさせた。
彼女は弁当をとリビングに置きっぱにしていた、鞄を手に持っていた。
「ありがとう、持ってきてくれたのか。」
「ええ、貴方の妻ですもの。」
いつも気丈な彼女もこの時ばかりは、彼と目を合わせない様な頭を、目を伏せ気味にしていた。
彼も、言わずとも分かっているのか、受け取った二つ、弁当はバックに、鞄はそのまま傍らに置き、靴を履いた。
「……」
「……」
彼は靴を履くと、鞄は片手に、バックは肩に掛ける。
そのまま、扉を開けようと手を掛けたその時。
「朝ごはん、サンドイッチだから、飛行機乗る前に食べちゃって。」
「……ああ。」
静かだった。
「行ってらっしゃい。」
静かな時間が流れた。
ほんの数瞬のことだった。
「いってきます。」
外に出て、扉がパタリと戻っていく。
「……ありがとう。」
そうして彼は足早に、振り替えりもせずに、行ってしまったのだった。