恐怖を食う化物
撮り溜めていた深夜アニメを見ていた時に思いつき、突発的に書いてしまった話。
ちょっとだけ修正しました。
感想へのコメントは、何か話を書いた際の活動報告にて行っております。
活動報告へ直接コメントをくださった場合は、見つけ次第返答しています。
俺は恐怖を食う化け物。
人間はみんな俺をそう呼ぶから、それが名前だ。
本当の名前は知らない。
名前っていうのは親から貰うものらしいが、そもそも俺は誰が親かなんて知らない。
そもそも親がいるのかもわからない。
本当は親がいて、俺の本当の名前だってあるのかもしれない。
でも、俺自身も人間共もそれを知らないから、俺は恐怖を食う化け物だ。
何故そう呼ばれるのかって?
確かに俺は恐怖を食って生きているわけじゃない。
人の生き血が俺の飯だからな。
俺は体中に刃を生やす事ができる。
その刃で斬りつけて、着いた血を啜って飲む化け物だ。
でも、味の好みっていうのは誰にでもあるもんだ。
人間にだってあるだろう?
つまり俺は、恐怖している人間の血が好きなんだ。
どうしてか知らないが、とても美味く感じる。
そして、みんな俺の姿を見れば恐怖を懐く。
だから俺は、いつも美味い物を食っているわけだ。
だからよう、そいつと出会った時はちょっと驚いたんだよな。
森の中の街道を一人の旅人が通っていた。
おあつらえ向きにたった一人きりだ。
何人もいるとちょっと恐怖が薄れるからな。
こういう一人っきりの人間ってのは、俺を見た時の恐怖も大きいんだ。
だから、俺はこういう一人っきりの人間を狙って襲うようにしていた。
「ひぃ! た、助けて! 来るな! 化け物ぉ!」
思った通り、極上の恐怖がいただけた。
腕から伸ばした刃を血が滴る。
「もったいねぇ」
俺はその雫を手で掬った。土に水が染み込むように、手の平に血が吸い込まれる。
血に塗れた刃もすぐに銀色の輝きを取り戻す。
斬られて死んじまった旅人には、まだ大量に血が残っている。
だが、それは吸わない。
死んじまったら、もう恐怖がないからだ。
俺は美味い物だけ食って生きていたいんだ。
死体を適当な草むらの中に放り投げた。
死体を見て怖がるのはいいが、人が寄り付かなくなるのは困るからな。
腹が膨れて眠くなり、それから俺は街道を見下ろせる木の上で昼寝した。
しばらくして、街道を通る人間の足音が聞こえた。
木の上から見下ろすと、ガキが一人で道を歩いていた。
女のガキだ。
そのガキは、丁度俺が昼寝していた木の下にへたり込む。
よく見れば、その服は所々がボロボロになっていて、泥だらけだった。
まぁ、なんでそんな格好なのかはどうでもいい。
小腹を膨らすには丁度いいだろう。
ガキってのは流れる血は少ないが、その分恐怖の強さが大人より大きいんだ。
俺はガキの前に飛び下りた。
ガキが俺を見た所で、体中から刃をジャキンと勢い良く伸ばす。
「ガオーッ! 食っちまうぞーっ!」
そして迫力満点に脅かしてやった。
これでこのガキも恐怖する事間違い無しだ。
と思ったんだが、ガキは俺を表情に乏しい顔で見上げるだけで、特に怖がっていなかった。
「おい! 怖がりやがれ! ぐぁおーっ!」
それでもガキは怖がらない。
強がりとかじゃなくて、本当に恐怖を感じていないみたいだった。
何か俺、馬鹿みたいじゃねぇか。
ちょっと落ち込みそうになった時、ガキが歩いてきた方向から何人かの足音が聞こえて来た。
多分、全員男だ。
俺は人間の姿に化ける。
こうなったら、八つ当たりにそいつらを食ってやる。
人に化けたのは、姿を見られた瞬間に逃げられるかもしれないからだ。
しばらくして、男達が俺の所まで来た。
野盗とか山賊とか、そう呼ばれる人間に見えた。
連中が俺を囲む。
「何だ? お前?」
怪訝な顔で男の一人が声をかけてくる。
「何だと思う?」
訊ね返してやった。
「ふざけた野郎だな、テメェ。やっちまえ」
「やれるもんなら、やってみなっ!」
叫びながら、元の姿に戻る。
「ひぃーーっ! 化け物だ!」
そうそう、これだよこれ。
こいつが欲しかったんだ。
「そうだ! もっと怖がりやがれ! それが俺の欲しい物だ! ヒャッハーッ!」
男共は腰の刀を抜き放ったが、そんな物は俺に効かない。
刃を伸ばした俺の体は、どんなに鋭い刀だって通さない。
逆に半ばから叩き折ってやる。
俺は体ごと回転する。
そのまま一人の男に近付く。
回る刃に男は体中を切り裂かれた。
これをやると全身から血を多く流れさせられるし、すぐには死なないから恐怖も長く持続する。
浅く切るのがコツだ。
一人が傷だらけで死ぬ頃には、他の連中は逃げ始める。
その全員からは濃い恐怖を感じた。
逃すわけがない。こんなご馳走。
刃を長く伸ばし、全員の心臓を貫いた。
やがて、誰からも恐怖を感じなくなる。全員死んだって事だ。
刃を戻すと、男達はその場で倒れた。もうみんな、動く事はない。
「まぁまぁ、だったぜ」
もう一度、木に登って昼寝しようと思った矢先。
足の毛を引かれた。
見ると、ガキが俺の足を摘んで見上げていた。
そういやいたな。忘れてたぜ。
「何だ?」
「おらは殺さねぇのけ?」
「何で殺さなきゃならねぇんだ?」
「あいつらは殺したでねぇか」
「美味そうだったからな。だが、お前は美味そうじゃないから食わない」
「どしたら食ってくれるだ?」
「食われたいのか? 変わったガキだ」
「だっておら、もう生きてけねぇから。お父もお母も、村んみんなあいつらに殺されちまっただ」
あの男達はやっぱり盗賊か何かだったみたいだな。
このガキの村を襲って略奪していたら、このガキが逃げたから追いかけてきたってわけだ。
俺はガキの目を見た。
死人みたいな目をしてやがる。
なるほどな。
もうこいつ、死んでるのと同じなんだ。
だから、何も怖くないんだな。
「だったら、少しは怖がって見せやがれ。俺は恐怖している奴しか食わないんだ」
「おらがあんたを怖がったら、おらを食べてくれるのけ?」
「そらもちろん、食べるぜ。頼まれなくったってな」
「約束け?」
「好きに取りやがれ。というか、死にたかったら自分で死ねばいいだろうが」
「あんたは、あいつらを殺してくれた。仇を討ってくれた。そのお礼になったら、と思っただ……」
変なガキだな。
それ以上ガキの相手をするのが面倒になって、俺は木の上に戻った。
あれから、ガキは木の下に住み着いた。
一日のほとんどを何するでもなく座り込んで過ごしていた。
飯はどうしているのかと言えば、たまに通る旅人から受けた施しを少しずつ食べて飢えを凌いでいるようだった。
今も一人の太った旅人が握り飯を手にガキへ話しかけていた。
「お、お嬢ちゃん、可愛いね。ハァハァ、おにぎりあげるから、ちょっとそっちの木の影に行かない? してほしい事があるんだ」
「飯くれっならいいだよ。何するだ?」
俺は指先から刃の爪を伸ばした。
男の太腿を切断する。
「痛ぇ! な、何だ? あ、足が、痛ぇよぉ!」
痛みとよく解からない内に切られた足が、男の心を恐怖に染め上げる。
次に心臓を貫いて、血をすすった。
ちょっと脂っこかった。
俺はガキの前に降り立った。
目の前で人一人殺されているのに、このガキは全然気にしない。
人が死ぬ所を見慣れちまったって事かもな。
「おい、ガキ。お前、旅人から貰うばかりじゃ、いつか飢えるぞ。何日も来ない事だってあるんだからな」
「だども、他に食うもんが無いだ。畑も無し、川も無から魚だって獲れねぇだ」
「木の実とかがそこらにあるだろう。味気ないかもしれねぇが、飢える事はないぜ」
「わかっただ。拾って食うようにするだ」
ガキは素直に返事して、森の中へ入って行った。
俺はそれを見送ると、木の上で昼寝する。
目を覚ますと、木の下にガキがいなかった。
日はもう沈みかけで、辺りは真っ赤だ。
あのガキが森の中へ入ったのが昼ぐらいだから、かなり長い間森の中へ入っている事になる。
何してるんだろうな、あいつ。
俺はもう一度眠る事にした。
目を閉じる。
………………
…………
……
眠れる気配がないぜ。
起き上がり、木の枝を跳び渡って森の奥へ向かう。
そうして、それほど街道から離れていない場所で蹲るガキを見つけた。
ガキの前に降り立つ。
「おい、ガキ。何してるんだ?」
声をかけると、顔を上げる。
「迷っちまった。帰り道がわからなくなっただ」
あそこからそんなに離れてねぇだろうが。
それに……。
「帰る場所なんてねぇんだろうが」
「そだな。そだったなぁ……」
ガキが悲しそうに俯く。
珍しく、人間らしい感情を見せやがる。
そんなガキに手を差し伸べる。
不思議そうに顔を見上げられた。
「行くぜ。いつもの木まで送ってやる」
「すまねだ」
ガキが自分で食料を取りに行くようになった。
最初は相変わらず迷って、その度探しに行っていたが、今は自力で帰って来れるようになった。
それでも気になるので、俺は木の上を伝って追い、見張っていたわけなんだが……。
しかし、あのガキは何とどんくさいのだろうか。
折角集めた木の実やらを転んでぶちまけるわ。
いっぱい持ちすぎてポロポロ零すわ。
しかも零した木の実を拾おうとして、持っていた木の実の大半をばらまくわ。
どんくさいにも程がある。
見てられないから手伝っちまったじゃねぇか。
「あんがとなぁ。助かっただ」
「零さないように気をつけやがれ。さっさと帰るぜ」
ガキは俺の言う事を守ろうとしたんだが、それでも元がどんくさいから結局木の実はばらまかれた。
近くの村から籠を盗ってきてくれてやった。
これで持ちきれなくて零す事はなくなる。
それでも転んでぶちまけるのは治らなかったが。
木の下から、グゥと腹の鳴る音が聞こえた。
木と葉っぱを集めて作った、簡単な雨よけの中からだ。
前にあのガキが雨に濡れて、寒そうにしていたから作ってやった物だ。
今、あのガキはそこを住処にしている。
まぁ、木の実だけじゃあ、育ち盛りのガキには足りねぇわな。
大半をぶちまけたりするしな。
仕方ねぇなぁ。
俺は近くの川までひとっ走りし、魚を獲った。
その魚をガキの前にぶら下げる。
「おい、ガキ。食え」
「生じゃ食えねぇだよ」
「何だと? 仕方ねぇ」
落ち葉と木を集める。
口から火を吐いて焚き火にしてやる。
「そんな事もできるのけ」
「あんまり好きじゃねぇんだけどな。熱が刃の歯にこもって熱いんだ」
ガキは不器用な手つきで枝に魚を刺し、焼き始めた。
地面への差込みが甘くて、火の中に魚が身を投じる。
ガキはそれを拾おうとして、でも火が熱くて手を出せない。それでも手を出そうとして、でもやっぱり手を出せない。
という動きを繰り返した。
もどかしい!
俺は火に手を突っ込んで魚を拾ってやった。
ちょっと燃えてた魚を振って火を消す。
ガキに焼き魚を渡した。
「あんがとなぁ」
余程腹が減っていたのか、礼を言ってすぐに魚へかぶりつく。
「あちっ!」
熱さで取り落としそうになった焼き魚を落ちる前に拾って、差し出した。
「ほら、ちゃんと冷まして食え」
「すまねだ」
ガキは丹念に息を吹きかけてから、焼き魚を食べ始めた。
「なぁ、あんた。どうしておらに、こんな良くしてくれるだ?」
さぁな。
「……俺に食われる約束があるだろうが」
「そか、すまねだ。それまで、おら死んじゃならねぇだな。……あんた、名前はなんていうだ?」
「恐怖を食う化け物だ」
「本当に名前け?」
「そう呼ばれてんだよ。お前こそ、なんて名前なんだよ」
「すてだ」
「ふぅん」
生む予定のなかった子供につけられる名前だ。
何かあった時に捨てる。だから、すてだ。
いらないはずの子供が、たった一人生き残っちまったわけだ。
皮肉な話だぜ。
「だったら、何て呼べばいいだ? 長くて呼びにくいだよ」
「お前、俺の事を今まで何て呼んでた?」
「……あんた?」
「じゃあ、それでいいだろ」
俺だってお前の事は「ガキ」としか呼ばねぇからな。
「あんた、ちょっと降りてきてけろ」
ある日、ガキが大声で俺に呼びかけてきた。
「何だよ?」
「旅の人に大根とネギ貰っただ。前に貰った味噌使って、汁にすっから切ってくんろ」
「やだよ。野菜臭くなるじゃねぇか。特にネギ。それの臭いは大嫌いなんだ」
「そっかぁ。だったら、しがたねぇだな。そのまま焼いて食うだ」
しゅんと落ち込んで俯く。
俺は髪の毛の一房を根元だけ柔らかいままにして刃に変えると、根元の毛を切った。
刃に柔らかいままの毛を巻きつける。そうじゃないと、握った時に手が切れるだろう。
そうして、それを下に落とした。
刃が地面に突き刺さる。
刃のまま体から離れた物は、ずっと刃のまま残るのだ。
「それ使え」
「あんがとなぁ。……でもこれ、おらには長すぎて使いにくいだ。もっと短いのくんろ」
最近お前、図々しいよな。
さっきよりも短く、同じようにして毛の刃を落とす。
「あんがとぉ」
「もう頼むんじゃねぇぞ。禿げたくねぇからな」
「わかっただぁ」
それから一年くらい経った頃だ。
あいつはちょっと大きくなって、前ほどどんくさくなくなった。
森の中に入っても俺がついていかなくちゃならないほどの事はしなくなったし、何よりついていったら俺がついていってる事に気付くようになった。
「あんた、そんな所におらんと一緒に拾ってくれろ。それか、魚獲ってくれんけ?」
そう言って便利に使おうとしやがるし、最近はついていく事もなくなった。
前にくれてやった髪の毛の刃を使いこなして、今は狩りをする事だってある。
俺が見ていなくてもあいつは無事に帰ってくる。
だから、ついていってやる必要は無い。
たまに、気が向いた時にはついていくが、今日は昼寝したい気分だったからいつもの木の上で眠っていた。
ガキは今、丁度食料を採りに行っている。
あくびを一つして、目を閉じた。
その時、俺の腹を一本の矢が貫いた。
「グァアッ!」
痛みに悲鳴を上げて、捩った体が木から落ちる。
着地してすぐに警戒して構えた。
誰がこんな事をしやがった!
そう思って探すと、探すまでもなく目の前に一人の男を見つけた。
烏帽子を被った白い服の男だ。
風貌からして、退魔師といった所だろう。
攻撃されるまで、こいつが近付いてきていた事に全く気付かなかった。
どういう手品か、気配を完全に消していたらしい。
「街道を脅かす化け物め。今までに食らった者達の命の重さを悔い改め、おとなしく滅せられるがよい」
退魔師の男が言う。
笑わせてくれるぜ。
「美味い飯を食う事の何が悪い! お前だって食わねば生きていけないだろうが!」
「言わんとする事はわかる。しかし、この世は人のもの。やはり、相容れぬか」
退魔師が数枚の紙を宙に投げる。
紙は宙を舞っている途中で、真っ白な人間大のヒトカタに変わる。
それぞれが槍を持った、侍のような形をしていた。
先手必勝に刃を伸ばして攻撃する。
だが、途中で止まってしまう。
刃どころか、体全体が動かなくなった。
見れば退魔師が何やら文言を唱えていた。
「何をしやがる!」
「動きを封じさせてもらった。ゆけ!」
合図と共に、ヒトカタ共が俺に向かって一斉に槍を投げた。
ヒトカタの槍は、刃で固めているはずの俺の体を易々と貫く。
「ぐぎゃぁあっ!」
手足を貫かれ、背後の木に体を縫い付けられる。
「その紙の槍には霊力を込めておる。お主の刃がいくら強靭であろうとも、容易く貫ける」
「テメェ……!」
「これもまた人の世のため。苦しまずに逝かせてやろう」
ヒトカタ共が、また槍を構える。
「ダメだぁ! やめてけろ!」
その時、ガキが俺と退魔師の間に飛び出してきた。
馬鹿野郎! あぶねぇぞ!
俺は焦った。
だが、ヒトカタはピタリと動きを止めていた。奴も気付いて止めたようだ。
ホッとする。
退魔師がガキに問いを発する。
「娘、何故この化け物を庇う?」
「おらにとって大事な人なんだぁ。恩人なんだぁ。だから、殺さないでけろ!」
「それはできぬ。そなたにとってこの化け物が如何な相手であっても、この化け物はそなたが尊ぶ以上に多くの怨嗟を浴びている。あまりにも、人の命を奪い過ぎたのだ」
「人間だって、人間を大勢殺すでねぇか!」
「ぬっ……」
ガキが叫ぶと、退魔師はわずかに怯んだ。
しめた……!
俺はその隙を衝いて、力任せに槍から体を抜く。
全身の傷が広がり、血が多く流れても構わない。
そのままガキの体を抱きかかえ、森の奥へ向けて走る。
「しまった! 迂闊! てやぁっ!」
退魔師の声を背に、俺は駆け続けた。
森の奥。
木々が茂り過ぎて、夜のように暗い場所で足を留めた。
ガキを下ろす。
「追ってきてないだか?」
「追いつけやしねぇよ……」
「ならええだが。それより、傷は大丈夫だか? 痛くねぇだか?」
痛ぇよ……。当たり前だろ……。
答えてやる気力も残ってねぇや……。
俺は自分の左胸を見た。
胸からは槍の穂先が突き出ていた。
背中から刺さって、貫通したものだ。
逃げる時、あの退魔師はヒトカタに槍を投げさせた。その一本が当たったらしい。
槍を掴んで強引に抜く。
血が胸から噴き出した。
湧き水みたいに滾々と赤が溢れ出てくる。
ダメだな、こりゃ……。
体が仰向けに倒れる。
起き上がる力どころか、首を巡らせるのも大変だ。
何で首を巡らせるかって?
さぁな。なんとなく、ガキを探しちまったんだ。
どうしてるのか……って。
すると、探すまでもなくガキは俺の目の前に姿を現した。
血で汚れるのも気にせず、俺の胸に抱きついていた。
いや、正確には俺の左胸に手を当てて必死に血を止めようとしているみたいだ。
「止まらねぇ! 止まらねぇだ! おら、どうしたらいいだか!?」
「落ち着け。どうもしなくていいぜ」
「大丈夫なのけ?」
「何しても助からねぇからな」
「死ぬのけ?」
ガキの目に涙が浮かんだ。
それと同時に、俺は感じる。
ガキの懐く物を……。
「お前、怖いのか?」
ガキは恐怖を感じていた。
あの日出会ってからずっと、今まで一度も懐かなかった恐怖を覚えていた。
「何が怖いんだよ。お前は無事だろ」
「あんたが死ぬのが怖ぇ……。あんたがいなくなって、一人っきりで生きていくのが怖ぇだ……」
涙をボロボロ流しながら、ガキは声を絞り出す。
俺の胸の上で、手を強く握りしめる。
「なぁ、おらを食ってけれ」
「あぁ?」
「約束だったでねぇか。おら、今は怖がってんだろ? だったら、食ってくれ。おらもう、生きていきたくないだ……っ! おらも連れてってけれっ!」
「そうか……約束だったな……」
確かに、今のガキはすげぇ美味そうだ。
こんな強い恐怖は感じた事がない。
きっと今まで食った事が無いくらい美味いだろうなぁ。
死ぬ前に食う物としちゃあ、これ以上無いご馳走だ。
俺はガキの頭に手を伸ばす。
このまま握りつぶして、浴びる程の血を一気に飲んでやろうか……。
一瞬だけだが、恐怖も味わえるだろうしな。
手に力を込める。
……だが、残念だな。
力が入らねぇや。
頭を潰す力も残っちゃいねぇ。
撫でるくらいの力しか残っちゃいねぇや。
「あんた?」
ガキが不思議そうに俺を見る。
「本当に残念だなぁ。今の俺じゃあ、これが精一杯だ……。約束を破るわけじゃあねぇぞ、できねぇもんは仕方ないからなぁ……。ああ、本当に残念だ……」
「そんな……おら、これからどうしたらいいだ……」
「生きてけよ、一人で」
「でも、おら……」
「なぁに、一人で生きていけば、きっと、恐ろしい目にたくさん合うだろう……。
そんな世の中を生きていけば、恐ろしい思いをいっぱいするだろう……。
恐怖をいっぱい、溜め込むんだ……。
そしたらよぉ、俺はお前を食いたくて堪らなくなる……。
それこそ、地獄にいても抜け出しちまうくらいになるだろうさ……。
だからよぉ……。
その時に、迎えに来てやるよ……」
言葉を紡ぎだしながら、柔らかな頬を撫でてやる。
「怖い思いをいっぱいしたら、迎えに来てくれるだか?」
「ああ……」
「約束……だか?」
「ああ、約束だぁ……。その時こそ、一緒に連れて行ってやるよ」
「本当に、約束だがらな……」
俺の手をガキの手が上から撫でる。
優しく、愛おしそうに……。
頬を伝う涙が、手に熱を伝える。
「おら、一人で生きて行くだ。たくさんたくさん、怖い目をみるだ。だから……」
「ああ、約束だ」
涙を上書きする笑顔。
それが俺の最後に見た光景だ。
そこから先は真っ暗闇。
後は音だけ。
ガキの泣き声がうるさいくらいに耳を叩いた。
それもすぐに消える。
残ったのは、意識だけ。
心の中だけで呟く。
ああ、これから死ぬって時は、一番怖いんだな。
初めて知った。
自分の恐怖を感じるぜ。
お前と次に会うのは、そんな時だろうな。
その時が一番、美味くなってるだろうからな。
迎えに来る時が楽しみだ。
じゃあな、すて。
また会おうぜ。
恐怖二房
剣豪であろうと化け物であろうと、強いとされる者に軒並み挑んだとされる恐れ知らずの女剣客がいた。
名も知れぬその女剣客が、終生愛用したとされる二振り一対の剣が恐怖二房である。
折れず曲がらず、切れ味も衰えず、斬った相手の血が残らなかったとされる。
その恐怖二房には、一人でに動き、晩年病床に就いた女剣客の心臓を貫いて命を奪ったという伝説があった。
そのため、恐怖二房は妖刀として知られている。
胸を突かれた女剣客は、刀を愛おしそうに抱きしめていたという。