6 滲む苦悩と心配事
しばらく適当な場所で時間を潰し、路地裏で絡んできた柄の悪い連中をあしらってから宿に戻ると、街に出掛けていたらしい誰瓜たちと出くわした。誓南が怪訝そうにあんたどうしたのよ、と疑問の声をあげる。
「はあ?」
「ここ、赤くなってるわよ」
自分の右頬を指差して言う。どうやら殴られたところが痕になっていたようだ。事情を察したらしい誰瓜の機嫌があからさまに悪くなっていくのがわかった。彼女は一罪が不良行為を働くといつも不機嫌になる。そして長時間に渡って一罪を責めてくるので、こうなると非常に面倒くさいのだ。 放置して熱が冷めるのを待つよりも、適当に機嫌を取るほうが楽である。
「おい、言っとくが吹っ掛けてきたのは向こうだぜ」
慌てて弁明をはかるが、それだけでは誰瓜の機嫌は戻らない。誓南が察したようにああ、と言った。
「また喧嘩ね」
「また? おい、そんなに頻繁にはしてねえぞ」
「もうちょっとうまく躱せるようになりなさいよ。あんた、ただでさえ柄悪くて絡まれやすいんだから」
「うるせえな。男なら売られた喧嘩は買うモンだろが。なあ、カナ」
「え、ああ、まあ……誰瓜の気持ちもわかるけどよ、向こうからイチャモンつけてきたんならしょうがないと思うぜ?」
「どっちから喧嘩を売ったとか、そういう問題じゃないの」
一罪を擁護するカナに誰瓜が鋭く言い放つ。カナは降参だと言わんばかりに肩を竦めた。
「一罪はいつもそう。いくらやめてって言っても全然聞かずに、そんなことばっかり」
「別にてめえの言うことに従わなきゃなんねえ義理はねえだろ!」
「私がどんな思いで忠告してるか知りもしないで!」
「答えになってねえだろ。お前は俺の親か何かか? 関係ねえんだからいちいち口出ししてくんじゃねえよ!」
「おい、落ち着けよお前ら……誰瓜、お前の気持ちもわかるけど、一罪だって色々苦労してるんだよ。喧嘩だって相手からけしかけられるだけで、したくてしたわけじゃないんだし。一罪もさ、誰瓜は一罪のことを心配してるだけなんだから、そう冷たくしてやんなって」
カナが仲裁に入ると二人の諍いはひとまず収まったが、一罪は誰瓜を睨みながら舌打ちした。
「余計なお世話だっつうの」
「あの、と、とりあえず、中に入りませんか? ここで立ち話っていうのも、その……す、すみません」
何故か謝罪するリアと、その後ろをすり抜け、屋内へ戻っていくルイ。誓南がそれもそうね、と賛同する。
「っていうか、あんたたちね、情けなくならないの? 年下に気を遣わせて……まあ、この話も後でいいわ。リアの言う通り、ひとまず中に戻りましょ。ずっとこんなところで屯してたら通行の邪魔になるし、お説教は中でも出来るでしょ」
「説教されるようなことしてねえっつの」
二人の諍いに気圧されたリアとご機嫌斜めな誰瓜に続いて、苛々した様子の一罪が宿に戻る。その後ろでカナと誓南は揃って溜息を吐いた。
「……犬も食わねえな」
「そうね」
一罪と誰瓜の言い争いはその後も一時間ほど続いたが、怒った一罪が部屋を出て行ったことにより一時休戦となった。毎度毎度よく飽きないものだと、カナは半ば呆れたようにため息を吐く。
「相性がいいのか悪いのか分からねえな、あの二人」
誰瓜が席をはずしたときにカナが言うと、誓南はまったくね、と苦笑した。
「多分、相性はいいのよ。そうでなきゃ今まで幼馴染み続けたりしないでしょ。なんだかんだでお互い気にかけてるし……ぶつかることは多いけど」
ルイがクッションを抱きながら、んん、と唸った。
「二人とも、素直じゃない」
「そうよねえ。本当、どうにかならないものかしら」
「誰瓜も案外意地っ張りだしな。あの二人を見てるとむず痒くなってくるんだよ」
「あの子も結構、頑固よね。でも本当、あんなヤツのどこがいいのかしら。野蛮だしデリカシーないし、やめておいたほうがいいと思うんだけど」
「いや……まあ、結構いいやつだと思うぜ。なあ、リア?」
コーヒーを淹れていたリアは突然話を振られて驚いたのか、あからさまにびくついた。
「えっ、あ、うん。な、なんだかんだで、優しいところもあるし、その――面倒見がいい、と言うか」
「嘘! とてもじゃないけどそうは思えないわ。あいつ、この前あたしが足を怪我して、肩を貸してほしいって頼んだとき、何て言ったと思う? 『重いから嫌だ』ですって! 担げって言ったわけでもないのに、普通そんなこと言う?」
「それは一罪が悪いな」
「誰瓜にはあんなのじゃなくて、もっといい人がいるはずよ。優しくて気が利いて誠実で、誰瓜のことをちゃんと守ってくれるような頼り甲斐のある人が!」
「お、落ち着いてくださいよ。別に、その、一罪さんと誰瓜さんが付き合ってるとか、そういうんじゃないんですから……」
「付き合ってなくても誰瓜が一罪を見てることに変わりはないじゃない。ああ、もう、なんであの子はあんなに男を見る目がないのよ!」
「お前は誰瓜の親か」
*
一罪は自分たちの部屋に戻ると窓際に立ち、窓を開けて街の様子を見下げながら煙草をくわえた。火をつけて深呼吸をすると少し頭が冷えた気がした。溜息と共に煙を吐き出したとき、リアも部屋に戻って来た。一罪の怒りに触れないように足音も忍ばせ、恐る恐る入室してくるリアに一罪は半ば呆れたような気持ちになる。鬼礼のように自由気ままに行動されても困るが、普段から他人の顔色を伺い気を遣って、怯えてばかりで、彼はそれで満足なのだろうか。
「お前さ、そんなオドオドした態度で毎日過ごして楽しいわけ?」
八つ当たりをするつもりはなかったが、一罪は彼にそう問いかけた。沈黙が気まずく感じられたというのも理由のひとつであるが、単純に彼自身の人生の意味に疑問を持ったから質問したのだ。リアは声をかけられた瞬間にびくりと肩を弾ませ、困ったような表情であの、とかその、とか言うと少し黙った。
「た、楽しいってことは、ないですよ。僕のせいで誰かが気分を悪くしたり、嫌われたりしたらどうしようって、いつも不安で。僕のこんな弱い態度に腹が立つ人もいて、だけどその不安をうまく隠して生活できるほどの度胸がなくて。ど、どうすればいいかわからなくて、どうしてもこんな風になるんです」
「気疲れしそうだな」
「いえ――どうなんでしょう。僕自身にも、わからないです……すみません」
リアが頭を下げる。この少年はいつも謝ってばかりだ。他人の機嫌に気を回すことに気疲れするとか、しないとか、そんなことではなく、自分が疲れていることに気付く余裕すらないのかもしれない。
「面倒になることとかないのか。『ああ、なんで自分はここまで気を遣ってるんだろう』とかさあ、馬鹿馬鹿しくなったりしねえの?」
「ありません。い、今のところは――ですけど」
「……変わってんな、お前。まあ、他の連中に比べりゃ全然そんなこともねえが」
「す、すみません」
「なんでいちいち謝んだよ。お前いっつもそれだな」
一罪が言うとリアはもう一度すみませんと謝罪した。今日一日だけで何度その言葉を聞いただろう。彼はよっぽど謝罪するのが好きらしい。一罪は完全に呆れていた。
その後、リアとは大した会話もなかったが、一罪が煙草の火を灰皿の上で揉み消したころに鬼礼が帰ってきた。海で別れてから実に三時間は経っている。退屈そうに欠伸をする鬼礼にリアがおかえりなさいと声をかけた。
「お、遅かったですね。何処か、面白い場所でもありましたか?」
「別に、ただの散歩さ。面白いことはなかったけど、時間つぶしにはなったね」
「そうですか……あ、それと夕飯……誰瓜さんたちが作ってくれるので、出来たら呼びに来てくれるそうです」
「いらない。外で適当に済ませて来ちゃったからね。君、あの子にそう言っといてよ」
「あ、はい。わかりました」
リアがすぐに部屋を出て行く。ベッドで横になりながら二人のやりとりを見ていた一罪は独り言を呟いた。
「パシリじゃねえか」
次回は随時更新します。