4 水の都に着く
セリナの空はロワリアと同じく快晴であった。強い日差しに当てられて、建物や人々が敷きレンガの地面に濃い影を落とす。至る所に水路を張り巡らせたこの国は、「水の都」の他に「世界一『橋』が多い国」とも呼ばれているらしい。駅から出て大通りを進み、市場を通り過ぎ、市街地からやや外れたところにある小さな丘の頂上に、大きな門を構えた屋敷が見えてくる。セリナ国際会議場兼、セリナ国の化身の住居である。
門前に佇む警備の者に、ギルドからの使いであると告げると会議場の敷地内に通され、大きな噴水のある中庭を通って玄関まで案内された。そこでしばらく待っていると、奥から一人の女が現れた。左肩を露出したロングスカートのワンピースを着ている。スカイブルーの髪は短く整えられており、その青い瞳は慈愛に満ちている。聖女のような居出立ちの女は包容力を感じさせる微笑を一向に向けた。
セリナ国の化身、セリナ・ウォールとは彼女のことだ。
「いらっしゃい、待ってたわ。ロアちゃんや礼くんからお話は聞いてると思うけど、詳しいことを説明したいから、こっちへどうぞ」
ロアちゃん――というのはロワリア国の化身であるロア・ヴェスヘリーのことだ。少年のような風貌の少女で、彼女はそのあたりにいる男たちよりもよっぽど強く、戦争のない現代でも騎士のように凛々しい。まるで何処かの王子様のような彼女にその愛称はいささかミスマッチな気がしたが、セリナはいつも男性には「くん」、女性には「ちゃん」と敬称をつけて呼んでいる。
セリナは屋敷の奥を手のひらで示すとくるりと身を翻した。明るい色の絨毯を敷いた長い廊下をついて行くと、セリナはこちらを振り返りながら立ち止まり、ひとつの扉を開けて中に入るよう促した。どうやらそこは応接室らしく、部屋の中央にソファとテーブルが配置されていた。セリナが一同に着席を促し、皆が適当に腰を落ち着けると、コーヒーの注がれたカップ三つとオレンジジュースの注がれたグラス五つが出された。
「今回はカルセットの討伐依頼だって聞いてはいるけど、何か特別な説明が必要なの?」
カップを手前に引きながら誰瓜が尋ねると、セリナは少し返事を考えてからそうねえ、と返した。
「まず、カルセットの出現場所なんだけど、水の宮殿って愛称で親しまれてる浄水場よ。それだけでも今回の一件は異質なんだけど……」
本来カルセットは人の出入りが少ない森や山、廃屋などに発生する傾向のある生命体で、きちんと機能している町村や施設などに現れることはまずない。有害なカルセットの中でも特に危険なものには町まで出てきて人々を襲うものもある。この世界――ロドリアゼルの歴史上には、カルセットに襲われて滅ぼされた、もしくはほぼ壊滅状態に陥った町や村がたくさんあった。つまり、人通りのない場所にしか現れないという法則には今回のような例外もあるのだ。
「……で、その浄水場で発生したカルセットってのは、どういうやつなんだ?」
「それが――私にもよくわかってないのよ」
グラスに口をつけようとしていたカナの手が揺れた。はあ? と肩透かしを食らったような声を出す。
「わからない?」
「ええ。襲われた役員たちも敵の姿を見ていないらしくて、突然足元を掬われ水の中に落とされて、起き上がってあたりを見ても何もいなかったとか、いきなり後ろから首を絞められて気絶させられたとか……今のところ被害にあったのは役員だけなんだけど、あの施設は普段から一般の人たちも入れるようにしてあって、今では観光名所みたいになってるから、これ以上放っておくわけにもいかなくて」
「っていうことは、敵が何体いるのかもわからないのね。何人も被害が出てるのに誰も見ていないってことは、もしかすると目視できないタイプかもしれないわ。もしくは天井に張り付いているとか」
誓南が言う。もういつでも戦える、といった様子だ。
「施設は今、役員も含めて立ち入り禁止の状態になっていて、まだ逃げていなければ、浄水場にはカルセットしかいないはずだよ。必要なら案内役をつけるけど……」
「大丈夫。あそこは昔、よく遊び場に使わせてもらってたから」
誰瓜が昔を懐かしむように口元を緩ませる。セリナは我が子の成長を見守る母のような優しい表情を浮かべ、そう、と言った。
「宿をとってあるから滞在中はそこで休んでね。ここまで来るのに疲れただろうし、本腰を入れて討伐に向かうのは明日からにして、今日はそれに備えてゆっくりして頂戴」
セリナが言っていた宿は、浄水場からそう離れていないところにある広場の傍に建っている。屋敷を出て宿に向かいながら、誰瓜が浄水場について説明する。
「この国の浄水場は川や湖、海から水を引いて、それを安全な真水に変える施設なの。多分、割合的には河川より海の水の方が多いと思う。街のあちこちに水路があるのはそのためで、綺麗に浄化された水は国民が使う生活用水や広場の噴水に使われてるの」
「そんな大事な施設なのに、一般人の立ち入りが許可されてるのか?」
「ばーか。一般人が立ち入れるような場所でそんな大事な作業をするわけねえだろ。施設の最奥部は関係者以外立ち入り禁止になってて、海から引いてきた水はそこで浄水してんだ。『一般人の立ち入りが許可されている場所』じゃなくて『一般人に見物させるための場所』なんだよ。つまりあそこは、最初から観光地にする気満々で作った場所ってことだ」
「そんなに見どころある場所なのかよ? その浄水場って」
「さあねえ。照明を当てられた水路が綺麗だとかなんとか言われてるが。まあ、水場だから涼しくて、夏はよく避暑地として通ったもんだが」
「ふうん」
「広くて道も入り組んでるし、観光ならともかく調査として行くなら道に迷うかもしれない。あそこ、目印になるようなものってあんまりないの」
*
宿は四人部屋を二部屋とってあるらしく、誰瓜は初め部屋割りは男女で分けようとしたのだが結局、一罪、リア、鬼礼、声音と、誰瓜、誓南、ルイ、カナの二組に別れることになった。女五人で四台のベッドでも、声音やルイ、カナなどは小柄であるから少し詰めれば多少窮屈でも問題ないし、いざとなれば誰瓜がソファで寝ることも視野に入れていた。
だが、声音を鬼礼から離そうとすると、彼女はそれを酷く拒んだのだ。鬼礼の脚にしがみついたまま首を横に振るばかりで一向に離れようとしない。嫌がるのを無理に連れていくのも可愛そうなので、この部屋割りとなったのだ。
声音は生まれつき声を出すことができない体らしく、彼女との意思疏通が敵うのは鬼礼だけだ。鬼礼に聞くと、二人はギルドに来る前から一緒にいた仲らしい。ギルドにいるときは勿論、外へ散歩に出掛けるときも、危険な任務へ向かうときも一緒にいるほど声音は鬼礼に依存している。すぐ隣の部屋にいるとはいえ、唯一の理解者と離ればなれになるのは彼女にとって耐えられないことなのだろう。
客室にわかれた後は皆、しばらくはセリナの言った通り思い思いにくつろいでいたのだが、やがて退屈になったらしいカナがああ、と気の抜けた声を出した。
「休めっつっても、半日も自由になっちゃ暇だよなあ」
「それもそうね。セリナなりの気遣いだったんでしょうけど、本もトランプも何も持ってきてないもの」
誓南が溜め息を吐く。その隣でぬいぐるみを弄っていたルイが顔をあげた。誓南はルイの頭にぽんと手を乗せ、彼女の髪を撫でる。
「一般人に被害がないなら聞き込みの必要もないし、ギルドでならともかく、出先でこうだと……まあ、休めないよりはいいんだけど」
「夕飯の買い出しも兼ねて外に出てみる? あまり見るところはないと思うけど、じっとしてるより時間は潰れると思うの」
誰瓜の提案にカナがそうだな、と相槌を打った。
「オレはそれでいいぜ。隣の男共はどうする?」
「リアは誘えば来るでしょうけど、他はどうかしらね。一罪は煙ふかしてるだけでそれなりに暇潰せるだろうし、鬼礼も連れていったところで、どうせ途中からいなくなるに決まってるわ」
「ま、一応、聞くだけ聞いてみるか」
ぞろぞろと部屋を出て隣を覗いてみると、部屋には既にリアしか残っていなかった。聞くと、鬼礼は部屋に入ってすぐに、一罪はつい先程何処かへ出かけていったらしい。一罪のほうは十中八九煙草を吸いに行ったのだろう。鬼礼も、外出目的や行き先はまるで分からないが相変わらずである。
やはりこのチームに協調性は望めそうにない。
次回は九月十二日に更新する予定です。