14 破壊者を引き連れた青
氷結したカルセットの上から通路に降り立った鬼礼は、氷の上から一罪の首根っこを掴み引っ張り上げると、誰瓜に向かって投げつけた。呻き声をあげながら一罪が起き上がる。
「煙草を吸ってさえいなければ、もう少し楽だったかもね?」
「うる……っせえな」
遠くに倒れていたルイを腕に抱きかかえながら誓南が凍りついたカルセットを見上げた。
「これが母体――ってことでいいのかしら」
「こいつ以外にデカイのがいなかったんなら、そういうことでいいと思うぜ。不定形なカルセットなんて聞いたことねえ。鬼礼がいなかったら俺たち、終わってたな」
「そいつ、もう死んだのよね?」
つい先ほどまでうねうねと蠢いていた氷の塊を誓南が拳で叩く。鬼礼はカルセットの氷像に向かい合うように、通路の縁に片膝を立てて座ると、だろうね、と言った。
「片っ端から潰してまわったけど、ここに来るまでにスライム以外のカルセットはいなかったよ。もし最奥部まで行ってみても変わらなかったら――ソレが、今回の件の元凶だよ」
「……じゃあ、さっさと他のスライムを討伐しに行こうぜ。早くしないとまた増えるかもしれねえ。一罪、誰瓜、立てるか?」
カナが問うと一罪はやや鈍くさい動きで立ち上がった。誰瓜も立ち上がり、スカートの裾を払う。
「ナメんな。……どうってことねえよ」
「私も大丈夫」
「ルイのこともあるし、一罪はこの子を連れて戻ってたほうがいいんじゃないの? 体力的にも……それにあんた、戦えないんだし――」
「ほら、落としたよ」
誓南の言葉を遮るようにして、鬼礼が一罪に強化ナイフを投げ渡す。あぶねえ! と声をあげながら一罪はそれを受け取った。
「……そんなに元気な声が出るなら一罪は大丈夫だろうけど、ルイはどうする? 流石にこのまま連れて行くっていうのは……」
やっぱり宿に連れて行くしか――カナがそう言おうとしたとき、誓南の腕のなかでルイがうめき声をあげながら薄目を開けた。
「ルイ、は――平気」
布団から這い出るかのようにして誓南の腕から降りる。だが、真っ直ぐ立つことができずにふらつき、ぱた、と血の雫が地面に落ちた。いい加減、貧血気味らしい。カナがルイの肩を掴む。
「おい、あんまり無理すんなよ。だいぶ力を使って疲れたんだろ。休んでていいんだぜ」
「いい。大丈夫」
「大丈夫なように見えねえから言ってんだよ」
「まあまあ、いいじゃないか。彼女が自分で大丈夫と言ってるんだからさ」
鬼礼が呑気に笑う。カナが何か言い返そうと鬼礼を振り返ったとき、何処からかぴし、と石にヒビが入った時のような音がした。
「――それに、宿へ戻るには行動を起こすのが少し遅かったようだね」
彼がそう言って立ち上がったとき、その背後に佇んでいたカルセットの氷像にぴしりぴしりと亀裂が走り、ヒビの合間からじわじわと水が洩れ出す。
「ほら、走るよ」
鬼礼が声音を抱き上げて奥へと走り出した瞬間、氷結していたカルセットが大きな破壊音とともに破裂して、大量の水を吐き出した。もとの体積を優に超えた水量に、一同は弾かれたように駆け出す。
誓南に抱えられたルイがぬいぐるみに釘を打ったが効果はなかった。
「無駄だよ、それはカルセットじゃない」
前方で鬼礼の声がする。前を走っていた彼に追いついたとき、一罪が問う。
「どういうことだ! なんだあの水は! カルセットは倒したんだろ?」
背後から水の迫る音が聞こえる。氷像からあふれ出した水は留まるどころかどんどん水量を増していく。振り返ると通路を辿って一罪たちを追いかけてくる水が、まるで何かの生き物であるかのように不気味に蠢きながら壁にぶつかったところだった。
鬼礼は少しも慌てない。
「何って、大方想像がつくだろう。アレがあのカルセットの散り方なのさ。スライム型カルセットは死んだときに弾け飛んで消えただろ? 例えば別の地域に生息しているカルセットでも、倒すと霧のように消えたり、死骸をそのままにして死んだり、砂になったり、いろんな『死に方』がある。ぱーっとはじけて大量の水を放出することが、あの水のカルセットの死に方ってことさ」
「どうすんのよ! このまま逃げててもいずれ追いつかれるわよ! どうして出口に走らなかったわけ!?」
「そんなに喋ると舌を噛むよ」
カナが通路脇の水路から飛び出したスライムを避ける。そのスライムは地面に着地すると同時に水の渦に巻き込まれた。水中でスライム弾け飛ぶのが見える。
渦中に呑まれて散っていくカルセットに気をとられているうちに鬼礼が通路の角を右に曲がった。一罪たちがそれについて行った後に、誰瓜がはたと気が付く。
「鬼礼!」
慌てて声をかけるが鬼礼は止まらない。誰瓜は後ろを振り返った。波が容赦なく退路を奪っていく。
誰瓜の記憶が正しければ。
「待って鬼礼、この先は――」
この先は行き止まりになっていたはずだ。
誰瓜が言い終える前に、鬼礼はまた曲がり角を曲がった。
その先は――。
「行き止まり……」
カナの顔が青ざめていく。目の前に立ちふさがる壁を見たとき、一罪の背中を冷たいものが這い上がっていくのがわかった。背後から途方もない量の水が押し寄せる気配。滝が流れているような轟音が響いてくる。
今度こそ完全に、水に呑まれてしまう。
*
緩やかな風に乗せられて潮の香りが運ばれてくる。
周辺の木々の葉がざわめいた。
ほのかに青い石の壁に手のひらを添え、ひとつ、深呼吸をする。
武術の基本は脱力だ。
そう自分に言い聞かせ、右手を固く握り、そっと後ろに引いた。
*
「鬼礼、何とかなんないわけ? 水を凍らせて塞き止めるとか、あんたならできるでしょ!」
誓南が早口に言う。水はもうすぐそこまで迫っている。
「それをしたところで外には出られないよ。凍らせた水が壁になって、閉じ込められるだけだ」
「だったらどうすんのよ!」
「少し落ち着いたらどうだい? 自分だって、なんの対策もなしにここまで来たわけじゃないよ」
「何を――」
大量の水がたった今曲がってきた角に追いついた。どくり、と心臓が一層大きく跳ね上がる。
そして、今まさに濁流に呑みこまれようとしたときだ。
どかん、と。
鈍く派手な音。
がらがら、と。
何かが崩れる。
振り返った。
光だ。
奥の壁が。
眩しい。
穴?
水が。
ああ、呑みこまれる。
水に、
呑みこまれると――。
「みっ、皆さん、無事ですか!」
眩しさに目がくらむ。
真っ先に視界に飛び込んできたのは青い空と、一罪たちを心配そうに見る輪廻リアの姿だった。
とめどなく流れる水に流された一同は浄水場の外に倒れていた。
はっとして起き上がり、水に濡れた地面を目で辿っていく。今も尚カルセットが噴出させた水が流れ出ている壁には、大きな穴が開いていた。あたりに青い瓦礫が散らばっている。もう一度リアを見てみると、彼の右の拳に僅かな擦り傷があることが確認できた。
破壊したのだ。
この、石壁を。
素手で。
輪廻リアが持つ体脳系の能力は、彼の身体能力を格段に上昇させる効果がある。見た目にはモヤシのようにヒョロヒョロで、頼りない男なのだが、つまり彼は能力を発動させると異常なまでの怪力を発生させるのだ。彼にかかれば、鉄でも岩でも、全て拳ひとつで粉砕させることができる。その力の程を目の当たりにしたのはこれが初めてだった。
「……間に合ったか」
一罪が安堵の溜息を吐く。カナが咳をしながらリアに歩み寄った。
「リア、助かったぜ。危うく溺れ死ぬところだった。全然姿が見えないと思ったら……今まで何処にいたんだよ?」
「あ、いや、それにはちょっと事情があって――」
リアが背後をちらりと振り返る。
彼の後方。青色の壁に背を預けながら立つ、一人の男。
「ご苦労だった。これであの邪魔なスライム型カルセット及び、その母体をも一掃することができた。やはりカルセットがいる現場にはそれ専門の討伐隊が必要だな。ともあれ、これでようやく落ち着いた捜査を執り行える。礼を言うぞ」
日に照らされた髪は紅茶のような色に透けて見える。サファイア・ブルーの瞳は海のように深い色を湛え、しかし目つきは鋭かった。長身で脚が長く、全体的に茶色系統の色で統一された衣服には水の一滴も付着していない。足元にはサイズの合わず袖がだぼついたコートを着た小人がおり、その人相は灰色の髪に隠れて伺えない。
紅茶色の男――探偵は一罪たちを見ると、僅かに目を細めた。
次回は随時更新します。




