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水流の海  作者: 氷室冬彦
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12 時間の隔離

先に入った誰瓜たちが討伐していったおかげか、一罪と鬼礼が通る道にカルセットはほとんど残っていなかった。ゆらゆらと輝く水の光が進む先をぼんやり照らす。


ときどき飛び出してくるカルセットを軽く斬り捨てながら薄暗い通路を駆け、しばらくすると鬼礼が急に走っていたのを歩くのに切り替えた。疲労した様子はなく、彼は息ひとつ乱していない。あの鬼礼がまさか一罪を気遣ったわけでもないだろうから、おそらく彼の後ろを走っていた声音のためだろう。


歩きはじめて間もなく、大きな影が水中から飛び出してきた。カルセットだ。うわ、と驚きの声をあげながら間一髪、棘だらけの突進を躱す。イガ状に変形したスライムは放物線を描いて通路を飛び越え、再び水に飛び込むとすぐに、次は鬼礼に向かって飛びかかった。鬼礼は振り向かないまま腕を振り、大きなイガに何かを投げて突き刺した。大きな氷柱だ。氷の杭に貫かれたスライムはその場で弾け、水飛沫を周囲に撒き散らして消えた。


「頼むから足手まといにはならないでくれよ。……まあ、自分から離れさえしなければ問題ないのかもしれないけど」


「うるせえな」


一罪が苛立ったような声で言うと、突然鬼礼が振り返った。まさか今の言葉で怒ったわけではないはずだが、予想だにしなかったことなので驚いた。鬼礼はそのまま一罪に一歩詰め寄ると、彼のコートのポケットに手を突っ込み、いつも護身用に持ち歩くようにしている折り畳みナイフを取り上げた。


「へえ、良い物を持ってるね」


「おい、返せよ。能力持ちのお前には必要ねえモンだろ」


「いらないよ」


刃渡り十センチほどのナイフを開き、刀身を白い指がそっとなぞる。すると、刃の根本のあたりから刀身を包むように氷が発生した。鬼礼の能力だ。氷は刃を軸に三十センチほどの長さの氷柱になって照明の光を照り返す。氷柱――というより、氷で出来た剣のようだ。


「その氷は能力の一部だから、一応カルセットにも通用する。これで身を守るくらいは出来るだろ? さっきも言ったけど、君が襲われても助けるつもりはないからね」


鬼礼は一罪に強化したナイフを返すと、通路の分かれ道の前で左を指差す。


「君、そっちに行ってね」


助けるつもりがないどころか、共に行動する気すらないらしい。舌打ちをしながらもその言葉に従う。死んだら死んだで別に構わない。躊躇なく右の通路を進んでいく鬼礼の後ろ姿をちらりと見て、一罪は左の通路を進んだ。


鬼礼と離れてすぐに周囲の肌寒い空気がなくなった。いつ何処から飛び出してくるか分からないカルセットの存在に、あたりへの警戒を高める。死んでも構わない――たしかにそう思ってはいるが、それでもあっけなく犬死にするのは避けたい。一人になった途端に体が緊張したのがわかった。氷の剣を持つ左手に自然と力がこもる。カルセット討伐の任務に出ている第四軍のギルド員たちの気持ちとは、こういうものなのだろうか。実戦に慣れていればまた違うのかもしれない。


一罪は不良との喧嘩はともかく、武器を持ってカルセットと戦ったことがこれまで一度もない。剣の振り方は他の能力者の戦いぶりを見ていたから、見様見真似でそれらしくすることはできるであろうが、実戦経験はほぼゼロに近いのだ。それに、一罪は例の事情で右手が使えない。利き手だろうがそうでなかろうが、戦場に駆り出された無能力者にこのハンデは大きい。とにかく、早く誰瓜たちと合流しなければ。


はやる気持ちを落ち着かせるために深呼吸をし、先に向けて走り出した。照明の光で青色に光る水路。質の変わらない通路。道は入り組んでおり、初めて来た者ならすぐに道に迷ってしまうだろう。三年以上前の古い記憶のなかにしかなかった浄水場に、数年ぶりに立っている。頭の中でこの施設の地図を描こうとしても思い出せなかったが、無心のままに進めば自然と正しい道に足が向いた。思い出せなくても、覚えているのだ。


角を曲がり、真っ直ぐ続いている小道を走り、また角を曲がる。息が乱れ、顔に疲労の色が見えてきたころ、通路に横たわる大きな影が遠くに見えた。初めはカルセットか、障害物の類と思ったが、近付いて行くうちにそれが人であることに気付いた。


弾かれたように地を蹴る。人は下半身を水路に投げ出し、地面にしがみつくようにして倒れていた。通路に突っ伏している上半身が下半身に引っ張られ、徐々に水に沈んでいく。傍まで駆け寄るとそのまま滑り込むようにして膝を曲げ、倒れていた人の両腕を掴んで通路に引き上げた。あちこちに擦り傷があり、肩や腹部から出血していた。


倒れていたのは輪廻カナだった。


「おい、おいッ! 起きろ、おい、カナ!」


気を失っているカナの体を揺さぶる。まさかあのカルセットにやられたのだろうか。誰瓜たちの姿が見当たらないところを見ると、はぐれてしまったところを囲まれたのかもしれない。大きな外傷は見当たらないが、しばらく呼び続けるとカナは小さく呻き声を洩らし、ゆっくり目を開けた。一罪を見て何か言おうとしたようだが、掠れた息が洩れただけだった。


カナの意識がはっきりしてくるまでしばらく待ち、彼が話せるまで回復したころを見計らってから一罪は立ち上がった。


「一之瀬たちはどうした。はぐれたのか?」


「はぐれた――っていうか……それより、一罪は一人でここに?」


「途中までは雪白のやつと一緒だったんだがな、ついさっき別れたところだ。……で、うまく話を逸らしたみたいだけどよォ、生憎そのままスルーできるほど器用な性格してねえぞ」


「……さっき誰瓜たちとここを通った時、この先にそれまで見てきたカルセットとはまったく別の、大きな影が見えたんだ。オレは姿まではっきり見たわけじゃねえ。ただ、そのときここにはスライムたちも多くいたから、オレがそいつらを引き受けて誰瓜たちを先に行かせた。……で、あんまり数が多いもんだからさ。ちゃんと狩り尽くしたところまでは覚えてるんだけど……ガス欠でくらっときてさ。力を使いすぎたみたいだ」


「母体がいた――ってことか?」


「多分。だから、誰瓜たちはもう少し先に行けばいるはずだ」


カナが立ち上がる。動けるかと一罪が聞くと、カナは一罪の肩を叩いて笑った。大丈夫そうだ。


「……っつうことは、お前らはさっきの分かれ道で二手には別れなかったのか?」


「そうだな。想定していたより敵の数が多かったから、戦力を分散するとかえって危険だと思ったんだ」


鬼礼はそのことを知ったうえで一罪にこちらの道を進ませたのだろうか。ずっと警備室でモニタを見ていたのだから、知っていてもおかしくはない。あそこで二手に別れた理由はおそらく、誰瓜たちに一罪のことを任せておいて、自分は誰瓜たちが選ばなかったほうの道を進み、まだ狩られていないカルセットを相手に暴れるためだ。元々、彼は浄水場へ乗り込むことにあまり乗り気ではなかったし、折角来たからには、ある程度の討伐数を稼いでおかないと割りに合わないのだろう。鬼礼がひと暴れするためには一罪は邪魔なのだ。


カナは服を手で払うと右手首の腕時計を確認し、一罪を振り返った。


「よし、行くか。……っていっても、まだちょっとフラフラするから、戦闘面に関してはあまり期待しないでくれよ」


「ついさっきまで気絶してたようなやつの背中に隠れるほど気の小せえ男じゃねえよ」


「そうかい」

次回は随時更新します。

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