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 昼飯時を遅らせ店に入ると、客はまばらになりつつあった。

 入ると、奥のカウンターに立つメインシェフのカイトと目が合った。

 ゴマ塩の髪と口ひげ。日焼けした肌。染みだらけのコックコート。

「ぎりぎりセーフだ」

 デカい声は入り口でも聞こえるが、今日は飯だけの用ではない。

 そのままカウンターに寄った。

「チリカは?」

「もう行った」

—————午後と聞いていたが早いじゃないか。

「そんなに気になるか?」

 カイトはニヤニヤと下世話な笑みを浮かべると、目元と口元に細かい皺が寄った。

「そういうんじゃねぇから」

 カイトは噴出した。

「お前ぐらいだ。そんな分かりやすくムッツリスケベなのは」

 思い切りカイトを睨みつけると、両手を上げてわりぃわりぃと言いながら、俺がオーダーした定食を作り始めた。

—————取り調べも出来ねぇのかよ。

 この調子のカイトには、次にチリカが来る日を聞けない。

 絶対にチリカに色を付けて喋るだろう。チリカが何かの嘘をついていた場合に怪しまれ、避けられるかもしれない。最悪、もうこの街に来ない可能性も。

 だが、この店以外にチリカが定期的に出入りしている場所など知らない。

 自宅直帰野郎ランドルも知らなかった。他のワンナイト野郎どもにしたって、チリカの日常には興味がないのだろう。

—————そうなるとますます怪しいんじゃねえか?

 チリカに関する情報がない。

 知っている人は当然に知っている人物としてここに馴染んでいるのに、分かることが少なすぎる。

 漁港とそれを取り巻くこの街は、貿易港のある山の向こうの地区よりは人が定着しているものの、出稼ぎでやってくる人間や旅の途中に泊っていく人間もいて、詮索しないのが美点になっていた。

 もう少し田舎だと違うのだろうが、なんだかんだで前線になっていた時期があったのが大きい。

 ここにその前から住んでいる婆曰く、『戦争を機にドライになった』とのことだった。

 もうウエイターも下がった店内に、カイトが料理を持ってやってきて、俺の顔をチラ見して、黙って皿を置いていった。

 魚料理のことが多いカイトのメニューだが、港が使えない以上メニューに出来ない。

 今日は猪肉。

 考え事をしながら噛むには丁度良い固さ。

 普段は十分もあれば喰い終わる食事も、そうすると長い。

 肉汁と赤身を味わいながら、チリカの普段の様子を聞き込みに行くならどこがいいか考える。

 服屋? 食料品店? 宝飾店?

 どれもしっくりこない。

 考えては口に運び考えてはかみ砕きを繰り返しているうちに、皿は空になっていた。

 ソースをパンでふき取って最後の一切れまでなくなったが、それでも行先が思い浮かばない。

「ごちそーさん」

 金をカウンターに置いて店を出る。

 そのまま詰所に戻ると、ルースがやってきた。

「魔法陣の話、婆に聞いてきました」

「なんつってた?」

 正直、聞いたところで何が凄いのかわからないだろうが、一応興味を持った体で前のめりになる。

「わからない、って」

 思わず眉を顰める。

「婆が?」

「はい。そうだったんす」

「じゃ、誰ならわかるんだ?」

「婆は目つぶって口すぼめてました」

 ルースの顔芸はとんでもなく酸っぱい果物か何かを食べているような。

 婆の苦渋は皺まみれで、目と口がどこにあるかわからない有様だったことが伺える。

「とりあえずランドル曹長に伝えとけ」

「うぃ」

 ルースは俺がいない間にある程度仕事をこなしていたらしいが、俺の仕事は1日で溜まっている。

 机上に詰まれた書類に、ランドルからの悪意を感じたものの、致し方ない。

 ルースにチリカがいなかったことを伝えると、『風任せの人すね』と返ってきた。

 風任せというか、波任せというか。

 ルース曰く別に普通だったとのことだが、俺自身が合ったわけじゃない。多少引っかかった。

—————好きでもないし親しくもない女一人に思い切り振り回されている俺は一体。

 道具の利用と手入れにかかった金の書類やらなにやらを確認してはサインをし。

 一枚ずつ片付いていく。

 留め金で書類をまとめようと、引き出しを開ける。

 紫色のネックレス。磨いたものがそのまま。

—————婆のところに聞きに行くか。

 訓練の本格再開は明日から。今日はまだ少し時間があるはず。

 ポケットにそっとネックレスを忍ばせる。

 今日は寝込んだ翌朝だと様子見。こそっといなくなっても大丈夫だろうからと、立ち上がった。

 パラパラいる他の者を尻目に抜け出す。

 いつの間にかこの詰め所の最古株になっているうえ、一昨日の夜死にかけて寝込んでいた俺に口をはさむ者はいない。

 そっとドアを閉め、街外れに向かって歩く。

 漁を止めているから港には井戸端会議の人すらいない。

 普段なら少しずつ夜の漁に向けた準備が始まる頃。

 餌に使う小魚をおこぼれで貰おうとする猫は、辺りをウロウロし、餌がもらえないことが分かってしょげた様子で日陰に入ってしゃがみこんだ。

 店と住宅があるエリアの端のほうから奥まった小道に入り込む。

 細い路地の隙間にある古めかしい木製のドアを開け、黒いカーテンを開ける。

 両サイドに少しだけ棚があり、その向こうに椅子がある。

 その向こうにまた黒紫の布が見える。

 ひと通りそれっぽさを整えた奥の院から婆が出てきた。

 でっぷりとした体に濃い緑色のローブをかぶり、ゆっさゆっさと全身を揺さぶりながら出てきた老婆は椅子に座っている。

 太っていると皺が伸びるというが、この老婆は皺もしっかり刻まれている。

 そういう種類の犬のような顔で、皺の奥にある目は不気味なのにどこか愛嬌があった。

 横に置かれた香炉から立ち上る煙が老婆の登場で発生した風により、俺の顔にかかる。

 目に入ったそれは容赦なく粘膜を刺激し、思わず目を強くつぶった。

 で、目を開く。老婆は俺の顔ではなく、俺の腰のあたり——武器の剣が刺さっている——を見て、おもむろに俺の顔を見た。

 怖気づいたり怪訝な顔をしたら競り負けてしまう。

「昨日はルースが世話になった」

「いや、なに」

 この婆には以前から何度も魔法絡みで問題が出た時に相談に乗ってもらっている。

 ツーカーでは全くないが、自己紹介する必要もない。

 雰囲気もいつも通り。ただ、今日は少しだけ婆が驚いているように見えた。

「あの魔法陣のことかね? ルースに任せとったんだろ?」

「それじゃない。個人的にだ」

 椅子に腰かけながら、ポケットに手を突っ込んだ。

 目の前のちいさなテーブルの上には、香炉以外特に物は置かれていない。

 ビロードのようなテーブルクロスの上に、そっとネックレスを置いた。

「これだ」

 婆は見た瞬間、ニンマリとした。

 笑顔を見たことがない婆の口から、黒く何かで着色された並びの悪い歯がのぞく。

「ポケットに入っていたのはそれだったんだねぇ」

 さっき見ていたのは剣ではなかったらしい。

「どこで見つけたんだい」

「あの魔法陣のそばで拾った」

 くっくっと笑う婆は俺の目論見を瞬時に悟ったらしい。

「少し手に取らせてくれるか」

 頷くと婆はとんでもなく高価なものであるかのうようにそっとペンダントの部分を持ち上げ、表と裏を見て、またそっと音も出ないように置いた。

 じっと石の半透明の奥を透かして見るように凝視。

 そしてボソリと、

「しかしまぁ、アンタがコレを拾うとはね」

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