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 今は静か。異音に気づいたものが少しだけ玄関から出てきているが、皆外を少し見て、そのまま眠い目をこすって家に戻っていく。

 俺がいるのにも、ナム副隊長がいるのにも気づいていない様子。

—————ナム副隊長の防御魔法か。

 色々見えないようになっているのだろう。

 そう思っていたのだが、ナム副隊長のほうを見ると、俺がしていたのと同じように周りの人間が家に戻っていく様子を横目で見て驚愕している。

—————じゃあ、なんで…。

 アパートの屋根が蒸発するように霧散し始めると、それは上からじわじわと壁、柱へと広がっていった。

 爺は今も建物があるかのように二階のその場所に佇んでいるが、中空に浮いたようになっている。

 ナム副隊長は自分の体に何か魔法をかけていた。一瞬だけうっすら黄色く光ると、それは消えた。

 副隊長はそのまま建物に走っていく。

「おい!」

 後を追って駆け寄ると、既にナム副隊長は焔の前にそろりと左手を差し出しているところだった。

 ほんの僅か、掠る程度に触れたその腕に、焔が巻き付くように絡む。

「あ゛ァあ゛ア゛ああア!!!!!!」

 絡みついた焔は副隊長のローブの左袖を焼き切って腕を燃やしていた。

 そして今、変色するほど晴れ上がった腕ごと、その体を巻き込むようにゆっくりと引きずり込もうとしている。

 全力で脚を踏ん張っているが、ずるずるとつま先も焔に近づいていっていた。

—————引き抜けるか?

 苦悶の表情で脂汗を掻きながら歯を食いしばる副隊長の後ろに回る。

「暴れないで下さいよ」

焔に触れないところ。その腰に腕を回し、思い切り引っ張った。

「あっ!」

 何の抵抗もない。二人して後ろに倒れ込む。

—————あんなに副隊長が踏ん張ってたのが嘘みてぇだな。

 副隊長を引き抜くことに成功して起き上がってまた焔のほうを見た。

 焔の中にあった建物はもうすっかり消えていて、少しだけ勢いが弱くなっている。

 見上げると爺は地面まで下りてきていた。

 こんなに広い土地たっだのかと驚く広さの真ん中に立ち、両手を掲げている。

 おそらく最後の何かで、逃げるか自爆するか。

 ナム副隊長があの状態になったことからみて、俺に手出しできることはない。

—————今、爺が逃げる前に聞けることは? 聞いてもいいことは?

 わからなかった。この状況で的確に尋問ができるほど頭が良かったら、こんな体力馬鹿軍人なんてやっていないだろう。

 だから思いついたことは、

「お前らは今も人魚の国が欲しいのか!?」

 口を割るはずはない問いかけに、爺はほほ笑んだ。

「それは心の中にだけある! 最後の一人として、それでいいと決めることにした! 我らの心の中にある姫の行く先に幸多かればそれだけでよいのだ!」

 焔はほとんどなくなっていた。

 爺に駆け寄ろうとした時、爺の足元に小さな円が浮かぶと、海に飛び込んだときの水しぶきのような魔力のしずくが魔法陣から跳ねた。

 爺は一瞬にして脚から垂直に海に落ちたように、その円に吸い込まれて消えた。

 アパートのあった土地には、うっすら建物の基礎にしていた石がのぞいている以外何もなくなっていた。

 見上げると夜空。雲一つない。というか、この辺りだけ雲が晴れている。

「ぅ」

 背後のうめき声の主、ナム副隊長を振り返る。

予定よりも軽く焔から引き抜けたことにより、結果的に副隊長を地面に投げた格好になってそのまま放置していた。

 なんとか片腕で上体を起こしてこちらを見ている。

「応急処置の道具とか持ってますか?」

「ここに」

 腰に付けた道具袋の中に少しだけ入っている薬草を片手で取り出そうとしているが、丁度火傷した手のほうにかかっているからか開けにくそうだ。

「やりますんで。腕だけ挙げてジッとしててください」

 その腕は真っ赤にはれ上がっていたが、はれ上がり方もやけに斑模様になっている。

「普通の火傷じゃないですね」

「毒虫かそういう生き物に触った時みたいな痛みがある。薬草が利くかわからない」

「やらないよりましでしょう」

 手で揉んだ薬草を付けた布で腕をくるむと、ナム副隊長は必死で叫び声を出すまい・涙を流すまいとして歯を食いしばって目をつぶった。

 包帯を巻きながら、

「詳細はここでは聞きません。ランドル曹長含め、関係者がいるところでお話いただきたい」

 ナム副隊長は黙っていたが、

「ふっ…グ…何故あなたが今ここにいる理由は」

 痛みからか苛立ちからか、俺を睨みつけるような目線になっていた。

「偶々遅い時間まで飲んで帰ってきて、寝るところで外から破裂音が聞こえたんで、出てきたんですよ。アリバイはあります。一緒に飲んでたのはカザミ軍曹ですから」

 包帯を巻き終わり、立ち上がる。

 副隊長少し痛みが治まったらしい。脂汗をハンカチで拭いて立ち上がると、更地になった土地を見る。

 ゆっくりと脚を踏み入れ、さっきまで建物が立っていた辺りまでふらふらと歩み寄ると、基礎の石がのぞいている場所でしゃがみこんだ。

—————勝手に現場に入り込むとは。

 今の時点で誰か呼ぶのが先だろうと思いながら、そのそばに寄っていく。

 副隊長が土を払った基礎の石を立って上から覗き込む。

 長年の劣化のせいか、表面の意思には線のような凹みが入っていた。

 それだけここに長くあったということだろう。

 そう思った俺をよそに、ナム副隊長は立ち上がりながら、

「…そういうことか」

 呟いて、元アパートの土地全体を改めて見晴らしている。

 疑問を持ったまま副隊長の顔を見ると、紙に何かしたためている。

 何かを張り付け、ふわりと息を吹きかけると、桃色に光って中空から飛び立った。

「何したんです?」

「ここに明後日…いや、もう明日ですね。

 到着予定だった援軍に当てた急ぎの文です。

 状況と要件を手短に。ここでやることが大幅に変わりましたから。ただ、どこまで通じるか…」

 ナム副隊長は苦し気な顔をしている。

「現場検証と聞きこみじゃないんですか?」

「爺…『馬蹄』内でもその呼び名で呼ばれた人物がここの大家ですが、得意な魔法は」

「魔力隠蔽と人形代」

「そうです。その人形代というのも、人魚の魔法の人形代は通常の魔法とは大きく構造が異なっていることがごく一部の調査や伝聞で分かっています。

 通常の魔法だと、人のように動いて喋る人形の実体を精巧に作ることにその要点があります。

 でも、人魚の魔法は違う。ごく一部に特殊な魔力を持っている者がおり、それを使うのです」

「と、いうと?」

 結論が見えない。

 喋らないつもりなのかと思っていたナム副隊長は、観念したように饒舌だった。

「未来が見えるものがいるのです。それと、記憶操作を組み合わせる。

 人形代自体はただ動くだけの木偶の坊に近いものしか彼らの魔法では作れません。

 でも、その人形代が見ているものを遠隔操作で魔法使い自身に流し込み、それに関わる直後の事象を予期し、関わった人が見たものの記憶を全て魔法使いが都合の良いものに書き換えたら?」

「確かにできそうだ。

 が、素人考えだが…とんでもなく大変なんじゃねぇのか?」

 自分と別に、人形代の人生も生きることになる。そんな情報量に普通の頭は耐えられないだろう。魔法使いの精神が持たない気がするが

「事前にどういった情報が入ったら人形代から魔法使いに通達する、というのを仕込めるのかもしれません。生贄も必要かもしれない。それも一人ではないかも。

 仕込んだ魔法使いが死んでも一度改ざんされると解けないことはわかっているのですが…兎に角解明されていないのです。どのぐらい大規模にやれるのかもわからない。

 だからこそ、人魚の国と戦争が起き、そういった魔法を使っていることが分かった後で人間の国々は全面抗戦して人魚を絶滅させる方向に急進した。

 分かっているのは、魔法陣で事前に仕込むらしいこと。

 その糸口がこれです」

 指でつついた基礎の石。

「この線。わずかに湾曲している。角度からしておそらく魔法陣の一角。このアパートの基礎に彫り込まれているのだろうと思います。

 野次馬の反応からするとあの自体が見えていたのは我々だけでしたよね。なぜかは不明ですが」

 ナム副隊長がなぜ急に饒舌になったのか分かり、俺も唇をかみしめた。

「こんな規模の魔法陣、私も過去一、二回しかお目にかかったことがない。

 最悪、関係者全員の記憶が今時点でもう…」

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