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完全にチリカは関係者になっている気がし、頭が不要に冴えたものの何もできない。
明後日までの間にチリカがここに来なければ、ひとまずいい。
爺の監視は継続しないと、もし爺が形代じゃなかったとき困るということで、明後日までの間ひとまず現状を維持する話になった。
詰所の中でも軍曹にまで緘口令を敷いて状況を伝え、夜に至る。
レストランにはチリカはいない。
酒とつまみをちびちびやっていると、
「どうした? 珍しいじゃねぇか」
カザミ軍曹は一人酒の俺の向かいに座った。
「そっちこそ」
「今日の話で気が重くてな」
それはそうだ。
万が一のことがあれば、あのアパートの周囲の建物に攻撃の手が及ぶ。
そうなったときの防衛はこちらの詰所持ちの可能性大。
何も知らされていない秘密の魔法が飛び交うさなかに若手を突っ込ませる判断をしたり、自分もその攻撃を受けながら指令を出すことを考える。気が重いのは、
「俺もだ」
カザミ軍曹が黙ってジョッキを掲げたので、俺も黙って掲げて杯を合わせる。
何も言葉を交わすでもなく気が重い心だけ共有する。
何回かビールをぐいぐいやった後、カザミ軍曹はおもむろに、
「この詰所の曹長二人状態、解消されるかもしれんって話聞いたか?」
初耳だ。
「知らなかったって顔だな」
適当人事で形だけにしても、詰所の最上位権力者が二人いるなんてトンチキな状態がいつまで続くのかとは思っていた。
「ランドルは次どこに行くんだ?」
昇進+異動。つまみを齧りながら聞くと、カザミ軍曹は俺を指さした。
「は?」
「異動話はお前にだって聞いてる」
いったんその場で固まってから、ジョッキを傾け、
「そんなわけあるか」
なにせ会議の席で上役をぶん殴って怪我をさせ、昇進の道を自ら絶っている。
しかも国賊と名高い元王宮騎士団長の海賊ゼタ・ゼルダの肩を持ったうえで、だ。
「『鉄顎副団長』が引退して、色々一区切りしてくらしい。
正確なとこは知らんが、おおかた鉄顎に恨みつらみがある奴がしこたまいて、方々で支障が出たんだろ」
確かにあの当時から、鉄顎は武力より政治力や世渡り力の評価が高かった。
鉄顎の良くない噂にはあの頃全く興味がなかったが、俺がここに来た事情を聴き知ったこの詰め所の先輩方にいくつか聞いたことがある。
俺が騎士団から左遷された以降も鉄顎がその話の延長線上のふるまいをしていたとしたら、
—————さもありなん。
ジョッキの酒を思わずズズズと音を立てて啜る。
カザミ軍曹はニヤニヤした。
「ん? なんだ嬉しくないのか?」
息をついてから、
「もともとそんな興味なかったしなぁ」
出世。
この二文字が好きなやつには堪らない響きなのだそうだ。
だが、単純に喧嘩っ早くて腕っぷしが強いという理由で軍に入って偶々昇進が早かったというだけの自分。
なんとなく良いものなのだろうという響きだけはあるが、進んで欲しがったことは一度もなかった。
二十代で早々にそのルートを外れたこともある。
「いまさらというか」
案外今の暮らしが嫌いではないのも大きい。
若いやつの面倒を見つつ、THE・上の人というランドルのような重責を負って何かというのでもない。
激務になるときはなかなかの酷さだが、終戦末期と比べればまぁ気楽なものだ。
「この町の外に出るとか、なぁ…」
顔見知りも多く居心地がいい。
今度のあの騒ぎが無事済んだら、またチリカにも会える。
なんとなく尻切れトンボで店を出て家路についた。
空っぽになっていくような気がする。
自分がこの町を出る可能性。
—————よりによってこのタイミングで。
全部こういうのはまとまってくるものなのかもしれない。
今日は正直、朝から基本的に話を聞いていただけで激しい訓練もなかったし小競り合いもなかった。
だから足取りが重くて疲れた気分なのは慣れない気疲れという奴か。
体力馬鹿にも歳を食ったら老化は起きるわけだが、こういうメンタルにクる出来事が多いときは特に実感する。
家に帰宅する道が遠く感じる。
月も浜も港も店もなにもかわっていないのに、だ。
なんとはなしに、『あーあ』とぼやきたくなって自分の部屋にたどり着く。
開けようとしたドアノブ。
—————なんだ?
ネックレスがぶら下がっている。
シルバーの枠にはあのネックレスのような細工は施されておらず、四角く太めの枠にひし形で黄色の石が埋まっている。
背後や周りを確認したが、誰かいる由もない。
ドアノブからチェーンを外し、そのままドアノブを回してそっと帰宅する。
静かに腰かけ、机の上で改めてペンダントを観察した。
チリカのあのネックレスとよく似たチェーン。
あの拾ったネックレスと同じように長く、ちぎれても縛って使えそうなぐらい。
黄色の石は半透明。
裏側を見る。
あのネックレスと同じようにツメがついている。
ただ、ツメが大きく、装飾も施されており、男の指でも開きやすくなっていた。
パカリ、とあっさりそこは開く。
中に折りたたまれた小さい紙切れが入っているのを取り除くと、
—————『バーギリア』。
シルバーの土台の中に、四角い枠いっぱいに広がる黄色の石。
バーギリアと刻まれたそれ。
—————誰だ。これ置いてったのは。
チリカは? まだ町に来ていない。
深呼吸。小さな紙きれのことを思い出す。
紙きれを開くと、書かれていた。
『あなたのためのお守りです。末永く姫をよろしく』
婆か?
いや、字が違う。ということは、
—————爺かもしれん。
と、いうことはまさか。
ぱぁん、と強い音が外から響く。
今自分がここまで来た方向とは逆のほう。
爺のアパートのほうからだった。
ネックレスを机に置いて立ち上がる。
一瞬、その机の上を見た。
置かれたネックレス。
—————このままここに置いていったとき、これが万が一誰かの手に渡ったら。
—————俺の首にあのネックレスがぶら下がっていた時、周りは。
—————もしあのネックレスと同じような効果のものだったら。
ネックレスを手にし、首からぶら下げる。
ドアを出ると、空に一か所明るい場所が見えた。
人の声が聞こえる。
爺のアパートに近づくにつれ、明らかに声の人数が多い。
ただ、この町の人の逃げ惑う声ではなかった。
「くそったれが!」
この前眺め、爺とやり合ったあの部屋の前に、爺の形をしたものが佇んでいる。
到着は明後日のはずなのに今ここにいるナム副隊長。
その手からアパートの放たれた白い光。
それはまっすぐ爺の元にむかったが、アパートが放つ渦のような青白い焔がはじき返していた。
爺は手すりに手をかけ、ニタリと笑っていた。




