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いや、あの店に行くたびに思い出している。
チリカが来だして最初のころ、夜に同僚とここに立ち寄り、一杯ひっかけたところでチリカがその同僚に声をかけたのだ。
同僚には恋人がいたから、
『いや、いい。こっちの奴は?』
俺を指さし、
『俺もいい』
言ったのに、チリカは俺の頭の上から爪の先まで眺め、股間でわざわざ視線を止め、ゆっくり俺の顔を見て、
『パス』
同僚に『残念ね』と言ってチリカが立ち去ったのを見て、思わず悪態をつくと、同僚は酔っぱらいながらドヤ顔——酔っ払いだから、ともいえる——。
一方的に雄としての低評価を押し付けられ、同僚の酒の肴にされ、さらに見ていて面白かったらしい外野の客に門前払いされたという話を大々的に吹いて回られたのがファーストコンタクト。
そんな女に好印象を持つのが無理筋。
当然ルースもそのことは知っている。図太い部下だ。
だったらあの店に行かなければいいだろうといわれることはあるが、メインシェフの料理が旨いし限られた給料をやりくりするには必要な店。
その食材は主に今目の前にある漁港からも運ばれていた。
小さいが港。
海賊船が寄り付くことも偶にあり、田舎なのに駐屯地があるのも戦時の名残だけではなく現実の必要性からだ。
ただ、
「よう、万年軍曹」
駐屯地に帰り着くや否やこれだ。
「自宅直帰曹長野郎がなんの御用でしょうかね」
自宅直帰野郎ことランドルは、
「返す刀があって何より。ちょっと頼みがあって」
伺う顔。
どうせ自分がやりたくない書類仕事だろう。他人もやりたくないものだと分かっていながら。
ルースは察したのだろう。瞬間移動して自分の席から何か取り出そうとする仕草をし始めている。
俺も黙って立ち去ろうとすると、
「ちょちょ、違うから。いつもの書類仕事じゃないから」
「あ゛? じゃ何か? いつもの書類仕事は面倒事ってわかって押し付けてるんだな? え?」
「いや、ほんと今は勘弁。マジで仕事の話だから。割とデカいやつ」
会議用の部屋にそそくさと先入りして手招きするランドルに怪訝な顔をするものの、なんだかんだで今は俺の直属の上官。
部屋に入ってドアを閉め、おもむろに着席すると、
「港の海中に夜、魔物が出ている可能性がある」
さっきとは打って変わって深刻な顔つき。
「昨日の夜、定置網で仕掛けた海産物が網ごと根こそぎ喰われていると昼に漁師伝手で連絡が来てな」
「それなら、ここ一週間ずっとだろ」
港界隈の漁師がうわさをしていたのを耳にした。
「知ってたのか。じゃあ話が早い。
あんまりにも続くもんだから、挙げた後の網を調べたんだ。
そしたら魔力が少し残っていた」
ランドルは魔力を感じ取る能力がある。ここに赴任してからもその能力を駆使し、何度かトラブルを回避してきた。
「攻撃性のあるもののように見える。が、」
「本当に魔物か判断しきれていない、ということか」
ランドルは黙って頷いた。
「魔物を装った密貿易の可能性もあるが、いきなり討伐隊を入れる規模ではない。
追加調査が必要だ。発生個所はここ。港からほど近い。
お前が一番潜水がうまいからな」
ランドルが指差した地図の箇所は、港からほとんど離れていないと言ってもいい漁場。
「ルースも連れて行くぞ」
「ああ。頼んだ」
出てきてすぐにルースに声をかけ、潜る準備を多少して駐屯地を出る。
干潮の時間はもう少し先だった。
「書類じゃなかったんすね」
満面の笑みのルースと今来た道を少しだけ戻っていく。
「あっ! ダン! こっちこっち」
「話は聞いてます」
漁業組合長と古株の爺の二人が、網を持っている。
結構な破れっぷり。引きちぎられるように網の三分の一がボロボロになっていた。
「魔物に強いよう、呪文をかけてもらっておったんだがな」
そのまま網を配置していた辺りまで船を出してもらう。
「ここです」
「本当に港に近いな」
聞いていたものの想像以上。魔物や密貿易者の上陸を危惧しての、今回の対応速度。
「じゃ、早速すね」
「ん」
早々に泳げるところまで来ている服を脱ぎ、魔法をかけた胴衣——一時間程度息継ぎなし会話可能な状態で深い海に潜ることができる——を羽織る。
海中でも利用できるよう魔法をかけて重さをなくした各々の武器——ルースは槍、俺は斧——を背中に背負う。
「この赤いボールが浮いたら、紐を引っ張って引き上げてください」
「了解。何度目かだからな」
人員の少ない駐屯地。実体としては俺とルースとランドル以外に数人しかいない。
増員して全員で出張るのは無理筋だった。
ふわりと揺れる小舟からそっと海中に沈むと、網は綺麗に取り除かれた状態になっている。
透明度の高い青々とした海辺。
小魚はちょろちょろと泳いでいるものの、ここ一週間で激減したようだ。
—————そりゃ死にたくねぇもんな。
ところどころ土が削れていたりする。
海藻は残っているから、肉食の魔物か密猟者だろうことは想像できる。
が、確固たる証拠になるものは見つかりそうにない。
「食い残しの骨ぐらい残ってたらいいんすけどね」
あるわけないことをぼやくルースだったが、
「あ、ダン曹長、これ、ちょっと」
辺りを警戒しつつ、ルースに近寄る。
指差した先を見た。
「…っんだこれ?」
海中に沈んだ大きな岩。その一か所だけ、嫌にきれいに苔がない個所。
手のひらと同じくらいの大きさで、魔法陣が描かれている。
「こんなん、見たことあります?」
「いや、知らん。そもそも詳しくもないが」
「やば」
「周りに他に似たようなのないか? あと、なんか落ちたりしてないか?」
人の仕業なら、複数仕掛けがあっておかしくない。
暫く二人して辺りを広く見回すが、
「ねぇな」
「そっすね」
だが、視線の先にキラリと何かが光るのを見つけた。海藻に絡まっている。近寄って手に取ると、
—————ネックレスか。
紫色の半透明の石のようなペンダントがついている。金具はちぎれていた。
サビが出ていないのは強いサビ止めの魔法のおかげなのか最近落としたからなのか不明。
魔法陣からも遠く離れている。ほぼ確実に、落とし物。苔が付きすぎており、最近落としたとは考えにくい。
—————ゴミ拾い兼戦利品にするか。
落とし主などわかるまい。
安月給の足しにするつもりでネックレスを胴衣の中にこっそり忍ばせた。
その後1時間弱見回したが、あの魔法陣のようなもの意外にそれらしいものは見つからず。
「あがるぞ」
「はい」
ボールを浮かべることなく水面に浮き上がり、小船に戻る。
胴衣から着替え、誰にも言わずにそっとネックレスをポケットにしまいながら今しがた潜っていた漁場を眺めなおした。
小船が港に向けて動き出す。
この時はまさかこの魔法陣とネックレスで自分の人生が様変わりしようとは、思ってもいなかった。