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ペジェ伍長もナム副隊長も、先日の来訪から二回目。ここにも慣れた様子。
休み時間は各々出歩いていた。
ナム副隊長がチラリとあの店を覗いて、いなくなるところは見かけたが、チリカは今は来ていない。
俺自身、だからこそ今日の昼も安心して通えた次第。
いないほうが落ち着くのに、居たらきっと俺はまた逢いに行く。
ナム副隊長はどうなのだろう。同じように落ち着かないのだろうか。
先日の余にも自分とは違う真面目な軍人ぶりを見せつけられたことで、なぜかチリカが離れた理由が分かったような気がした。
『利ざや』。
そういうことだろう。
俺とて軍人として出世街道にいたら、女に引っかかりそうなことはしないし、その女に陰があったらおそらく普通に報告して暴き立てに行くのではないだろうか。
鶏と卵。どちらが先かは分からない。
チリカを秘密裏にかばうようなことをしてしまう出世に不向きな人間だからその道から外れたのか、道から外れたからこんなことになっているのか。
いずれにせよ、ナム副隊長はどっちもなさそうだ。
だから、
—————ナム副隊長がチリカの何かに近づいて仇をなしてしまいそうなら、その時は。
「今日の訓練内容ですが、大筋は問題なしです。
ただ、やはり海中ですね。装備品不足で実施できない箇所が痛いので」
「寄付を募る手配も明日以降で整えます。
難しそうな場合の第二プランもある程度みていただいて」
「ええ」
ごくごく事務的な会話。
ペジェ伍長も今日訓練前に装備品の中をひと通りチェックし、頑張って手入れして使っている有様から納得したようだった。
戦でも起きない限り、最新鋭の装備はやってこない。
そのほうが平和だということ。
その後二日の滞在日程でひと通りの確認を行い、海辺に結界を張るなどすることも念頭に入れることとなった。
そうなると、いよいよあの浜は使えなくなる。
チリカは沖のあの場所まで行けるのだろうか。
キャンドルの明かりでお茶をすすっていたチリカのぼぅっとした顔が思い出された。
どこかほかの場所を見繕う必要はあるだろうか。
—————俺の部屋とか?
一瞬にして頭の中が真っ赤になったような気がした。
それまで考えていたことが全部消えてしまい、全てまたかき集めなおす。
チリカのことを可能な限り思考の脇に寄せると、寄付金集めの集金担当者と集金方法を考えることに集中することにした。
実際その日から一週間はその手筈と追加になった魔物の訓練で手一杯。
途中でナム副隊長とペジェ局長も街に帰り、チリカの陰もなかった。
だから、婆のところに赴くことに決めた。
『おひいさま』と抜かした理由を聞くこととしよう。
あの角を曲がり、細い路地の隙間を抜ける。
あの木製のドアに手を掛け、開ける。
そのまま立ち尽くした。
—————なんもねぇじゃねぇか…!
黒いカーテンはなく、中身が空になった棚。机と椅子はそのままだが、クッションなどの物という物がない。
スッキリとしたボロい部屋だけがそこにある。
前は黒紫の布で覆われた奥の部屋との間は丸見えになっているが、念のため足を向けてみる。
入り口の部屋と同じぐらいに狭い。
ベッドはなく、何かの四角い後のようなものが見えるから、ここに敷物を敷いて寝ていたのかもしれない。
棚があり、矢張り何もない。
—————いつだ? いつからいなくなった?
街の住人の人数を厳密に記録しているわけではない。
増えたら増え、減ったら減る。
漁師町だが、人の出入りはある前提だ。
だが、この婆が突然いなくなるのは予想外。
—————流石に報告しないとまずい。
少なくとも俺がこの街にやってきて以来、あの婆はずっといた。
魔法に関することはある程度、軍の詰め所が頼っていたと言っていい。
俺とチリカの秘密を抱えた人間が一人いなくなったことも大きいし、この街の住人達もなんだかんだあの魔女に相談事をしていたはず。
他にこのことを知っている人間はいるのだろうか。
…いや、いないだろう。
こんなにスッキリいなくなっていたら、街でたった一人の魔法使い。一晩で噂が回る。
—————騒ぎになる前に報告をあげよう。
あの魔法陣の話をルースを信用せずに追加で自分でも聞きに行っていた、ということにしよう。
勝手にやったことについては問題だっただろうが、婆も知らず、他に情報があったら流してほしいと言われていたということにしよう。
『何も見つかっていない話だけはしている。もし見つかっていたとしても、そういうことにするつもりで婆の妥協点にする気だった』。
これでいこう。
ひと通りの言い訳を考え、詰所に向かおうと隘路を抜けたところだった。
「あら、どうしたの?」
「っ…! そっちこそ」
チリカはきょとんとした顔で俺を見上げている。
前にここでかち合ったのと全く逆の状況。
チリカはどことなく嬉しそうに見えた。そのことが少しだけ嬉しかったが、
「お婆さん、元気?」
ひょいと俺の肩の向こうを覗く。
先に言っておこう。口が固いチリカだが、自分の秘密を知っている人間が消えたことをいきなり知るのはつらかろうから。
「いなかった」
チリカはこの俺の一言を耳にして固まって、
「うそ」
俺の手を振り払って抜き去り、ドアを開ける。
開けただけで仁王立ちし、中に入る気配がない。呆然としている。
チリカのほうにゆっくり近づいた。
俺のほうを見もせずに、ゆっくりと部屋に足を踏み入れる。
ギシ…という木の床の音は、以前は物だらけのこの部屋でかき消えてしまっていたものだろう。
あの薬草と香がひしめく婆独特の匂いはなくなっている。
チリカは天井をぐるりと見まわし、床もぐるりと見まわし、部屋の奥に入り、同じように見回し。
その部屋から戻って来がてら壁を触ったり床を叩いたり棚を揺らしたり。
そしてドアから出て、俺の前に舞い戻り、ドアをそっと占めて、深呼吸し、開けた。
同じように何もない部屋がある。
「なんか知ってるか?」
答えが分かっていながら聞いた。
「何にも知らない」
唇が震えているが、明確な答えを頑張って出すチリカ。
秘密を婆に打ち明けていたことは知っているが、
「秘密を誰かにばらす可能性があるようなばーさんなのか?」
だから取り乱しているのだろうか。
「絶対にそれはない。いなくなるなんて」
俺の目をまっすぐ見て、またもぬけの殻になった部屋を見ている。
瞬きを何度も繰り返し、目をこする。
「ずっといたのに」
「いつから知ってるんだ?」
チリカは隘路の外に出て、左右を確認し、向こうも見て、壁の裏の人の気配すら確認した。
そして軽く背伸びして、俺の耳元に唇を寄せ、手を口元に。
「…私がこの時代に来た時からここにいたの。
最初に暫くかくまって、この街から出してくれたの」
背伸びを終えたチリカは、俺の胸のあたりを見たままジッとしている。
「いつ頃だ?」
「ここが戦場になる半年前ぐらい」
俺が来た終戦直前頃はもう前線ではなかった。
少し離れた前線に向かうための場所で、そこは血で血を洗う様相。そことこの町を行き来する形で、ここも前線のおこぼれで荒れることがあった。生き延びた俺は僥倖だった。
チリカが過去からやってきて、最初にたどり着いたのがこの街で、それは俺が来る大分前ということか。




