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 岩の外の波の音がかすかに聞こえる。

 チリカは話し終えて疲れたのか、肩を落としてのろのろと茶菓子をつまんでいた。

 今目の前にいるチリカが人魚なのは間違いない。

 そのうえで、百五十年前から未来――現在――にやってきたのだという。

 胡坐をかいて落ち着いた様子で茶菓子をほおばるチリカの様子は疲れた後のエネルギー補給をしている小動物の様だ。

 さっき話し始めの時はこの後おいしい誰かの餌になるためのように見えたのだが、今はサクッと補給が終わったら巣穴に戻ってひっそり生きるつもりのような。

 ぼんやりしている俺の顔をチラリと一目し、

「食べなよ。疲れたでしょ?」

 茶菓子を取って進める。さっきまで疲れた様子だったのに、今は疲れた俺を労っている。

「今話したのが全部本当だとしたら、お前、強いな」

 目を丸くしたチリカは俺の顔を凝視したかと思えば、口をかるくへの字に曲げて、

「だって…泣いたって、ねぇ」

 肩をすくめ、茶を飲み干したチリカ。

 俺の疑り深い言動を責めるでもなく淡々としているのは、強がっているだけかもしれない。

 強くならざるを得なかったのか。

 チリカが今何歳で、何歳の時に現在にやってきたのか分からないが、なんとなく想像してみる。

 王族などという御大層な身分なら、料理はおろか、日常生活の事すら自分一人では何もできなかったのではなかろうか。

 聞いてみたい気もしたが、今あっけらかんとしているチリカが話し始めたときに緊張した様子だったことと、途中かなり疲れているように見えたこと、声がふるえたりもしていた。

 こちらも情報が多すぎて整理しきれていない。人魚の国? 戦? 魔女バーギリア??

 でも、チリカから目を離すこともできず。時折眠たげな目で瞬きしていたが、

「ほんと、あなた今日私のこと見過ぎよ」

 『あなた』。『私』。

 多分『アンタ』『アタシ』という蓮っ葉な物言いと口数の少なさは王族という自出がばれないようにするためだったのだろう。

 気を緩めて自然に話すと舌ったらずさがなくなり、言葉遣いが極端に綺麗になる。

「仕方ねぇだろ」

 気楽にするとますます口が悪くなる自分とチリカの育ちの違いを感じながら、空になった茶菓子の皿やお茶を片付けだすチリカの腕と、その先の肉付きのよい二の腕を見た。

 チリカが鼻で笑うのが聞こえ、目を伏せる。

「明日は休み?」

「ああ」

 そう。幸いにしてか困ったことにか、明日は休暇。

 チリカが全て片付け終わって荷物を整理しているようだ。出る準備か。

「今日話したことは…」

「黙っとくから」

 チラリと俺に目線を向けて、『ありがとう』と聞こえるか聞こえないか程度で呟いた。

 男にこれを話したことはあるだろうか。

 もしかしたら、チリカは自分が安全な人間であることを他にある程度証明しつつ、自分の身の安全を確保するために男の家を渡り歩いていたのかもしれない。

 そういう女が世の中にいるらしいことは知っていた。

 ナム副隊長との昔話を聞いてあんな様子を目の当たりにし、安易に遊び歩いたからだと決めつけていた。

 チリカとしては致し方なかったのかもしれない。

 一人で過去からやってきて、右も左もわからない中で庇護者を求めたのは理解できた。

 なにせ文字通り取って食われるかもしれないわけだから。

 そのチリカは、

「ちょっとコッチ来て」

 手招きされるがまま、ゆっくりとチリカのほうに近づいていく。

 背中側がほぼ紐のビキニだから、肩甲骨と背骨の凹凸がうっすらと陰影を帯びているのが分かった。

 前からだと隠すための効果を及ぼしていたパレオは、その布の張り具合としわ具合で腰から尻に掛けてのラインを寧ろ強調している。

 その下に下着の線や凹凸が全く見えず、尻の盛り上がりが滑らかなのも、全くもってよろしくない。

 さっきまで消えかけていた欲望が盛り上がってくるのが分かり、暗がりに極力視線を向けることにした。

 チリカが鞄の中から取り出したのは寝袋のようだ。

「ここ、持って向こうに」

 端の方を俺に持たせると、チリカはまた何かをごそごそと探しているようだ。

 サイズは大き目に見えるものの俺には厳しい。幸いにして暑くもなく寒くもない今。このままでも十分眠れそう。

 背後からチリカの足音をききながら、広げ切った寝袋の端を壁際に。

 寝袋には綿が入っていて、岩場に直接眠るよりはましではある。

 自分は岩を背にしてしゃがんで寝よう。そう思いながら軽く寝袋に膝をつくと、沈み込むのが分かった。

 振り返ると、チリカが布にくるんだ何かを持っている。

「手、出して」

 行きがかり上寝袋に腰を下ろして訝しむ俺の前にチリカはしゃがみこんだ。

 そのまま片手だけ出すと、『もういっこも』。

 だから、両手を前に出す。

 チリカは持っていた布のようなものを俺の手首に。

 ガシャリ

「え?」

 布を取ると、俺の両手首にはふわふわとした毛で覆われた手枷が嵌められている。

「よし」

 チリカはニンマリとして俺の手首を掴んだ。

「おまっ…!」

 腕を振り払おうとしたのだが、全く力が入らない。よく見ると呪符に使われている文字が手枷の鍵穴のまわりに。

「これも人魚の魔道具か?」

 チリカの顔はさっきまで茶を嗜んでいた場所のすぐそばにあるキャンドルに後ろから照らされていた。

「『おもちゃ屋さん』で買ったのよ」

 このビジュアルの手枷をどんなおもちゃ屋さんで買ったのかは想像がつく。

 俺を殺すなどする気は全くないことだけは明確なその手は、そっと俺の両腕を上に持ち上げ、石を手枷の間に置いて床付近に固定。

 立ち上がったチリカの足元にはピンヒール。仰ぎ見るはその満面の笑み。

 ゆっくりと俺の上半身のほうへと進む。

「お前、取って食われる側なんじゃねぇのかよ」

「そういうときもあるわ」

 チリカが興奮からか、肩で息をしているのが分かる。

「でも、ご存じなかったかしら?」

 くぐもった声が岩場に再びこだました。ここに来た時とは違う色を孕んでいる。

 チリカはそっと俺の右胸の上にその左足を載せた。

 自分の心臓がそれに合わせて跳ね上がるのが分かる。危機感からと、もう一つ、ここに来るときからじわじわと刺激されていた情欲から。

「鍛え抜かれた男の大胸筋はね」

 俺の視線の先。チリカのパレオの下、足の間の薄暗いところが見えそうで。

 そしてそのままその上のチリカがペロリと舌を出して唇をなめると、ぽってりとした肉付きの良いそこが艶やかにキャンドルの温かな光で照らされて濡れそぼっているのが分かった。

「ピンヒールで踏みつけて、痣を付けるためにあるのよ?」

 グッとチリカの左足に力がこもり、わずかに足首をひねったのが分かる。

 踏みつけられたのは右胸なのに、明らかに全く違う箇所にも強い刺激を受けていた。

「っ…」

 歯噛みして声を上げるのを押さえ、チリカを睨みつける。チリカが俺に何をする気なのかは、分かり切っていた。

「俺はお断りなんじゃなかったのか」

「…そうだっけ?」

 声が少しうわずっている。

 足を下ろしてかがんだ後、踏みつけられて軽く赤くなった俺の右胸の痣を中指でそっと撫で挙げながら。

「男のところを渡り歩いたのだって、そういうんじゃなかったんだろ」

 身を守るためなんじゃ、なかったのか? 男を隠れ蓑にするためじゃなかったのか?

「だって…」

 言いながらチリカは俺の腹の上にまたがった。太ももだけでないチリカの体の滑らかで温かい感触。

 立ち上がったり蹴り上げたりすることはできる。でも、それをするとチリカは怪我をするかもしれない。

 もし今拘束がなかったとしても、もはや俺の腕は速やかに、反射的に動いただろう。

 それがチリカをはねつけることではなのは明白だった。

「好きになっちゃったんだもん」

 チリカはゆっくりと上半身を屈めながらそう呟いて、俺の右胸のそこに舌を這わせた。

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