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 最悪だ。今日は『いる』日か。

「どしたんすか? 急に不機嫌そーっすね」

「あ゛?」

 昼飯時の不機嫌を同席した部下に指摘されたが 、当の部下は嬉しそうだ。

 俺の不機嫌の原因が分かった上での発言。

「そんな嫌いすか? いい女じゃないすか」

「どの辺がだ? あのクソビ…」

「なんだって?」

 その女はいつの間にかテーブルの横まで来て、オーダーした日替わり定食をそっと置いて立ち去った。

 ニヤニヤしながらいただきますと上司を差し置いて肉をかっ喰らい始める部下ルース。

 肉と香草の焼けた匂いにソースが混ざり、苛立ちが消えそうになるのがまたムカつく。

 ナイフでぞんざいに切り分けた肉をくそったれと口に運んで噛み締めると、鳥肉のわずかな臭みが調理でうまみに昇華され、飲み込むと体内にジワリと染み込むようだった。

—————だからムカつくんだ。

 女はチリカという。流しの料理人だ。

 初めてこの辺りに来たのは半年ほど前。それ以降、時々この街に立ち寄り、二、三日滞在している間この店で雇われシェフとして料理を振舞っていった。

「メインシェフのも旨いけど、チリカさんのもやっぱ旨いわぁ」

 もっちゃもっちゃと肉を飲み下したその口でお喋りを続ける部下を窘めることもせず、不貞腐れたまま旨すぎる飯をまるで泥饅頭でも出されているかのような気分で口に運ぶ。

 量が多く手ごろな値段の店として軍の先輩からこの街に赴任した当初に教えてもらった店の一つ。

 客は軍人や冒険者のような、良く言えば屈強、悪く言えば粗忽な者が多く、お上品にお食事できない人種には気楽だ。

「褐色の肌、肉感的な唇、たわわなのがくっついて、グイっと締まった腰にバーンと肉付きのいい尻。

 あー、マジエロい」

 睨みつけたらルースは黙ってルッコラをもしゃもしゃと噛み始めた。

 今、チリカの上着はコックコート。だがその下は簡素な上着とアザラシの革のパンツスタイル。もう体を男に見せつけるためとしか思えない。

 今は昼間。だからまだこの程度で済んでいる。

 夜にはこの男たちが『チリカの今晩のメイン』になるためにそこここで声がけしはじめるので、もう見ていられない。

—————普通は逆なんだがな。

 相手がチリカの場合、どう考えても喰われているのは男のほうだ。

 それどころかチリカによって夜のテクニックの格付けが実施されたうえ、翌朝本人へのフィードバックがある。

 下の中という評価を受け凹んでやけ酒する同期の姿とそれに付き合わされた時間——そいつはその後付き合った女と結婚して現在の渾名は自宅直帰野郎——を返してほしい。

 上の評価を受けた男は悦びに満ちていたが、フラッとやってきて一方的に評価対象にされ、一晩分の宿代節約+αに使われている時点で完全に馬鹿にされていることに気づけ。

 女関係で揉めるのは男社会の軍ではよろしくない。問題が起きたら…と、軍曹になったあたりで目を配っていたが、今のところセーフ。

 絶妙にバランスを取って一夜の男遊びに徹しているのだろう。

 そして良い頃合にいなくなっては戻って来、を繰り返している。

 だから嫌なのだ。

 野郎ばっかりで気楽な飯場が、あの女の狩場になり、無駄に浮ついて大迷惑。

 いっそ消えろと言いたいが、どうしても認めないといけない。

 目の前にある空になった皿を見つめる。

—————旨いんだよな…。

 毎回来るたびに絶妙な味の数々。

 で、店の客が増える。チリカの男遊びの選択肢も増える。店が騒がしくなる。ますます居つく。

 悪循環。

 部下の皿が空になるのをしばし待ちながら水を飲み干し、辺りを見回す。

—————見ない顔の男だ。

 店の端にある一人用のスペースで食事中。目の届かないところを選んでいるような。静かに平らげるや否や、皿が下げられる前に立ち上がり、出口の方を見ている。

 まだ金を払っていないが。

 軍の駐屯地があって軍人御用達の店で食い逃げしようってのか。マヌケ過ぎる。俺以外にも一人二人軍曹クラスのやつらが気づいて目で追っていた。

 そして男が出口の五歩手前、俺の席の傍で店の奥を見て、店主にばれたのに気づき、走り出す。

 流石に止めようと椅子から立ち上がって中腰になったとき、店の奥からわずかな風切り音が聞こえた。その方向を見る。

 誰かが投げた包丁がまっすぐ飛んできている。

—————立ち上がったら俺に刺さる。

 中腰をキープして停止。直後、ダンッと壁に包丁が刺さる音がした。

 ざわついた店内は静まり返っている。

 出刃包丁はまっすぐ男の鼻先を削り取り、壁に留まっていた。

 包丁の飛ばし元を改めて見る。あの女は厨房のカウンターから食い逃げ未遂男を睨みつけ、

「千、置いてって」

 静かな店に、静かでドスの利いたチリカのハスキーな声が広がる。

 男はその場で小銭をありったけ全て俺の座っていたテーブルの上に散らかし、震えながら数え、

「千ウパニー、あるだろ!」

 俺に向かってほぼ一方的に叫んでそのまま店の外に走り去った。

 チリカは二人いる店員すら忍び足で皿を片付ける状態になっているところに、出来上がった料理の皿をもって悠然と店内へ。

 道すがら料理を客に運び、そのまま俺のほうにやってきた。

「足んなかったらアンタらで払って」

 と言いながら小銭を数えている黒髪パーマの頭をぶん殴りたい感情を抑え、

「包丁刺しかけた慰謝料、俺に払うのが先だろ」

 代金が足りていることを確認し、コックコートのポケットにすべて納め、俺とルースの皿をひと通り

腕の上にまとめたところで、おもむろにチリカは俺の顔を見て、ため息をついた。

「刺さんなかったでしょ」

 そして店内を見回し、

「だから、いいと思う人っ!」

 手を上げるポーズをとる。同時に、大きな拍手やら歓声やらが店の中にこだました。

「いいと思う!」

「だってダンだろ?」

「刺さってたら懲戒つーか」

 男たちの笑い声。俺を思い切り指さす奴も。

「アンタらも、お代」

 黙って財布から二人分出してチリカが差し出した手の平に載せた。

「え? いいすよ俺」

 俺を見上げるルース。そんなルースを見ながらチリカがニヤついた。

「カッコつけさせといたげな」

 思わず舌打ちすると、チリカは来た時と同じようにゆっくりと立ち去りながら、

「ランチライム終わっちゃうよ~」

 店内に呼びかけた。

 もういつもの店内だ。誰も聞いちゃいない。

「あざっす」

 かぶりを振りながら、店を出た。

 後ろを振り返る。誰もいない。チリカもだ。当たり前だが。

 チリカという女から、焦げる直前の香ばしい香りを嗅いだような気持ちになっている自分。

 それがどういう種類のものなのか、分類するのはやめることにしたが、確実にその中にある重要成分だけを取り出し、ルースに尋ねた。

「お前だったら、あの包丁、避けれたか?」

 ルースは少し考えて、かぶりを振った

「いえ。自分は…気づいたら壁に刺さってたって感じっした」

「そうか」

 やはり。

 チリカのいた位置・風切り音の小ささ。

 包丁は最短経路でとんでもなくまっすぐ飛んで来ていたことになるわけで、

—————チリカは武器を投げ慣れていて、対象の力量を測ったうえで調整までできるということ。

 あの店にいた人間のうち、他にそれに気づいたものはいただろうか。

 自分が首都からこの地に赴任することになったころは小さいものの港があるこの街にだって手練れが多かった。

 今はその頃より随分と平和になった。

 海岸沿いの堤防と釣り人。青空の下広がる海。潮風の匂い。血の匂いが混ざることはもうないように思う。

 その後別の土地に異動になった者も多いなぁと一同の顔を思い浮かべていると、ルースは、

「腕がいいのはあっちもこっちもなんすね、チリカさん」

 それで思い出してしまった。


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