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 この前と同じようにチリカの顔を見ないように立ち去るつもりだった。

 全く動けない。魔法に掛けられたようだ。

 ぼうっとしているうちに、

「そぉ…」

 同じようにぼんやりと呟いたチリカが俺の視界から消えるのが先だった。

 振り返って後ろ姿を目で追うと、縛った後ろ髪がふわりと揺れていた。

 たったっと駆け足で小さくなるチリカの背中。

 今目の前のチリカだって大して大きくなかったのに、そのまま消え去るともう二度と戻ってこないのではという気になる。

—————だったら、何だってんだ。

 どうでもいいはずなのに。

「あ゛ー…」

 一人で天を仰ぐ。

 やっかいな女に引っかかり始めている自覚を吸って吐き、まっすぐ買い物を済ませて帰宅。

 そのまま飯も食わずに手持ちのナイフを研ぎながら自問する。

 なぜネックレスを拾ったのか。報告しなかったのか。チリカに返してやったのか。わざわざ手ずから首にかけてやったのか。

 引っかかりに行っているようなものなのに。

『バーギリアが導いてくれるんだから…』

 婆の言葉が思い出され、小脇に置いたラム酒を飲み干した。

 干し肉を口にくわえながら研ぎあげたナイフを布で拭き上げる。

 かったるくなって横になると、午後の睡魔が襲ってきた。

 身を任せ、次に目が開いたのはもう暗くなったころ。

 折角の休みがクサクサと過ぎていくのが急にもったいなくなって、また外に出た。

 夜風が涼しい。港は夜の漁に向けて出航していく船で活気づいている。

 前回ここに来た時は調査目的で人っ子一人いなかったが、今はわらわらと漁師の野郎どもが闊歩していた。

 脇に逸れたところをずっと歩いていくと、港からほどほどに離れたところまでやってくる。

 前にチリカが飛び込もうとしていた場所はこの辺りだったが、今日はそういう者も見かけない。

 夜の海の風景が自分ひとりのものになったような感覚に陥り、そのまま漁船の光に照らされていない暗闇にも目を向けてみる。

 少しずつ目が慣れると、小さな湾の向こう岸の岩肌も見えるようになった。

 あのあたりは浅瀬ととんでもなく深い海が入り混じっていて船では入れないし、毒性の海洋生物がわんさか生息している。ベテラン漁師でさえ立ち入らない。

 だから俺のあとを付ける者もないし、向こうから来るものもない。

 実は時々来ては夕涼みしているのがこの辺りでもあった。

 そのままその岸辺を眺めるように海辺に腰かけた。

 波の音に耳を傾けるのは、女のことで頭がいっぱいになることよりもだいぶ健全だ。

 そういう邪な気持ちで海を利用しようとした罰なのかもしれない。

 ザバン

 だから今その向こう側の岩場に、チリカそっくりの女が上がろうとしているのが見えているのだろう。

「おい! チリカ!」

 今度は声が出た。

 褐色の上半身は、あの日の夜に見たシルエットとよく似た形を晒しながら振り返る。

 青く光る瞳。

 視界に入れただけで全身が凍りつく。冷たい海の中の宝石のようで、死出の旅に誘うようで。

 瞳の主はハッとして、刹那、海の中に消えた。

—————追えねぇ。

 水着がないとかどうとかというのではない。危なすぎて入れないのだ。

 だが今回は絶対に間違いなく、チリカの顔と体だった。あの日見たのと、今日昼間見たのと同じ顔だった。

 でも、

—————あの目はなんだ??

 こちらを照らすように光る濃い青色の光。

—————魔物?

 チリカが?そんな馬鹿な。

 だとしたらナム副隊長が付き合ったりするわけがない。

 目を凝らせどもう二度とチリカのシルエットは視界に映らず。

 単純に夜泳ぐのが好きなだけだろうか。

 半年の間に見かけたことはなかったから、ここ最近夜泳ぎに出だしたということかもしれない。

 だとすると、あのあたりが危ない場所だと知らずに泳いでいる可能性大。

 踵を返して、助けを呼びに走り出そうとしたその時。

「ちょっと!」

 すぐ横の岩場から、チリカの声がする。

 振り返って見ると、顔だけチラリと横向きに覗いていた。

 いつもの顔に、濡れた髪がへばりついている。

 水を手で絞っているその脇に無遠慮にずかずか近寄ると、岩場に両肘をついた状態で上半身が裸なのが分かった。

 露わになった胸元と、あのネックレス。

 褐色の肌の上に紫の石が輝いていて、素肌とともに水滴をはじいていた。

 またクルリと踵を返し、何とか斜め下を向いて、

「服を着ろ!!!」

「向こう岸に置いてきちゃった」

 からかうような声で指さすのはさっき俺が見ていたのよりさらに向こうの砂浜のほう。

「まさかとは思うがまた…」

 全裸じゃないだろうな、と言おうとしたのだが、

「なんか着ないといけない?」

「当たり前だ」

 歯を食いしばっていると、

「アタシの生まれ故郷じゃそんなのなかったけど」

 クスクスと笑い声が混ざっている。確信犯か。それに、

「やっぱり前に魔物の調査しに来てた時も海に入ったろ」

「ふふ…そうだったかも」

 笑っている。

「あのなぁ!」

 カッとなって振り返ると、露わになった胸元が目に入る。どこに目を向けていいのか分からなくなったところで、チリカが自主的に岩場に少し引っ込んで、顔だけ出る姿勢を取った。

「ん?」

 あの青く光っていたのはなんだったのかと思うぐらい黒々とした瞳で、さも当然とばかりにかがみこむ俺を斜め下から見上げる。

「あの辺りでは泳ぐな。マダラアカヘビなんかの海洋毒性生物の巣なんだ。危ない」

 一瞬きょとんとしたチリカは、

「ダイジョブよ。そういうの得意」

「得意って?」

 少し考えて、

「…毒には強い方」

「なんかあってからじゃ遅いだろ」

「心配してくれてるの?」

 どことなく嬉しそうな声色を強引に上書きして、

「兎に角あの辺はやめとけ。入っていいのはあの砂浜の向こう側と、ここから港のほうまでだ」

 指差して場所をおおむね教えると、

「じゃ、この後アタシは服取りに戻らないとね」

 チリカの目線がチリカ自身の下半身に向いているのが分かる。

 仰ぎ見た空に出ている半月にもし顔がついているなら、この状態の俺を見て笑っているような気がした。

「…砂浜んとこだな」

「うん」

「くそったれ」

 チリカに向かって真っすぐに言い放ち、自分が来ている上着を脱いでチリカの顔の上に放り投げた。 そのままチリカのほうを見ないように走る。

 砂浜までは港沿いに一本道。十数分の道のり。

 走りながら、さっきまで焦り過ぎていて思い至らなかったことに気が付いた。

—————あいつ、泳ぐの速過ぎないか?

 今日は波もなく、水面は静か。海面に浮かび上がったりするのも見なかった。

 息継ぎもなく、ちょっと見ている間に向こう岸からここまでやってくるなんて

—————どう考えても、人間じゃねぇ。

 だが、魔物でもなく、人間でもないのなら、一体?

—————魔法使い?

 聞いたことがない。あの青い目は?

 上着がなくなった背筋に悪寒。寒いわけではなかった。

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