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音楽のプレゼント、本番

 ぐずぐずしていたらみっともない。僕はすっくと立ちあがり、これから自分たちのプレゼントを音楽としてお贈りする、自分たちと言ったのは兄と姉の協力を得ているからである、準備でき次第演奏を始める、ゆっくりご鑑賞いただきたい、というようなことを言った。それからお兄ちゃんとお姉ちゃんに支度をするよう促した。三味線はもう持ってきてあったし、尺八や楽譜なんかもすでにこの部屋にあった。きっとさっき三味線と一緒に持って来ていたんだろう。お兄ちゃんはにやにやしながら、お姉ちゃんは静かに微笑みながら準備を始めた。

 けれどこの時、色男さんが急に手を挙げて、「ところで、演奏される曲のことや演奏の形態についてもちょっと説明してもらえないか」と言ってきた。なんだかんだ言って僕も少しは緊張していたんだろう、すっかり忘れていた、確かに、曲の紹介はしなければならなかった。でも今回のトリオの編成とか曲自体の編曲内容なんて僕には説明できない。だから僕は、そのことについては兄の方からとかわし、さっさとピアノの椅子に座ってしまった。

 いきなり振られたお兄ちゃんは、しかし全く慌てることもなく、自身の準備をしながら解説してくれた。本日はベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番ハ長調の第三楽章をお送りする、これは勿論、本来ピアノとオーケストラで奏するものであるが今回は室内楽風に編曲し、加えてオーケストラの部分を三弦と尺八でアレンジしてみた、ちなみに三弦は太棹を、尺八は長管を使う、これは音量増加と低音の必要性から生じた楽器選定である、このようなアレンジは別段伊達や酔狂でやらかしたことではない、理由がある、弟のプレゼントに協力する妹と自分がこれらの楽器しか奏することができなかったからである、敢えて和洋折衷とか奇をてらってというものではない、違和感を持たれる方には寛恕を請う、さて曲についてであるが、ロンド形式で発想記号はアレグロスケルツァンド、つまり速く、諧謔的に演奏せよという意味になる、そんな風な曲だと思ってもらえればいい、ただこの曲を含む全体、一番ハ長調自体有名なものとは言えない、とは言え若きベートーヴェンの書いた躍動感のある生き生きとした楽しい曲だ、その点は保証する、もし今日の演奏を聴かれてそれでもつまらないと思われたなら、それは曲のせいでも演奏のせいでもない、ひとえに自分の編曲能力の不足によるものである、平にご容赦を願いたい―――こういうことをよどみなくぺらぺらと喋り、色男さんを大いに満足させた。

 ところがその後、調弦を終えたお姉ちゃんが突然顔を上げて、兄はあのように申しましたが、勿論謙遜です、今日の演奏はなんと言ってもお誕生日のプレゼント、必ず素敵な演奏をお贈りいたしますのでどうぞご期待ください―――こんなことを言って、皆の喝采を誘った。色男さんもこの勇敢な態度に大満足の様子だった。そしてお兄ちゃんは、そんなお姉ちゃんを誇らしげに見つめていた。僕はその時のお兄ちゃんの、自慢の娘を見つめる父親のような顔を今でもよく覚えている。

 

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 本番、やっぱりアレグロは勘弁してもらって少しゆっくりめにピアノ独奏を始める、一音一音大事に、確実に、でも相変わらず変なメロディー作るなあ、なに?この一小節と二小節のつなぎ目のとこ、まあゆっくり弾いても三十二分音符がぞろぞろ出てくるんだから速く聴こえるさ、このテンポなら上出来なんじゃなかろうか、きっとお姉ちゃんも弾きやすいと思う、さあ、どうぞ―――三味線の音、なんとも切れ味が鋭い、オーケストラの主旋律の大部分を担っている、お兄ちゃんがもともとそうやって編曲したんだ、お姉ちゃんの三味線も目立つようにしたかったんだろう、お姉ちゃんもそれに十分応えているようだ、何だかんだ言ってもお姉ちゃん、随分熱心に練習してくれていたんだから、さてこのオーケストラ部分が盛り上がるところにきた、つまりは音量が必要なところだ、一度お兄ちゃんに見せてもらったこの曲の総譜のここのところにティンパニのパートがあったな、そこを低い和音でやってみようか、予定はなかったけど、急遽助太刀だ、上手くいった、と思ったら直ぐに自分のパートだ―――ピアノ独奏、尺八は今度はピアノの装飾だ、一度三味線が姿を現すけれどこの時は三味線の旋律の下支え、そしてピアノパートになったらまたその装飾でお兄ちゃんも忙しい、今更ながらなんだけどお兄ちゃんには本当に頭が下がる、しかし忙しいのは僕も同じ、大体左右の腕を交差させなきゃいけないなんて、反則でしょ―――またオーケストラ部分、相変わらずお姉ちゃんの三味線の音は切れまくっている、僕のために一生懸命練習したことが今お姉ちゃん自身を助けているんだね、それにしてももともとのオーケストラの演奏で木管がやるところも極力三味線の方でアレンジしてある、原曲からすれば尺八の音色の方がよかろうに、というところまで、思いもかけずこういう状況になっちまったんだから結果的には良かったんだけど、ただお姉ちゃんは撥さばきだか何なのか、音色を自在に操り違和感なく演奏している、大したもんだ、才能があるんだろうな―――原曲でどこかの二つの弦楽器パートどうしが交互に演奏し合う部分があるんだけど、ここは三味線と尺八が掛け合いを見せる、息ぴったり、お見事でした、練習の時から感じていたけど、本当に全然目立たないところで尺八が大活躍している、しかもこのトリオの演奏を引っぱっているのは尺八の通奏低音のような重低音の流れなんだから、縁の下の力持ちとはこのことだ―――さて、再びピアノの独奏か、随分余裕が出てきたよ、お姉ちゃんとお兄ちゃんは僕の背後にいる、いくら余裕があると言っても楽譜から目を離して振り返る訳にもいかないから音だけで判断するしかないんだけど、お姉ちゃん、大丈夫だ、オーケストラのところ、さっきのティンパニパートみたいに出来るだけ参加してお姉ちゃんに加勢しよう、ということで、さあ、どうぞ―――お姉ちゃんの三味線の音はますます磨きがかかっている、ただ弾く音だから持続性がない、そこのところをまた尺八が上手くカバーしている、さり気なく自分の音色をかぶせ三味線が弾いた音が伸びているかのように響かせているんだ、だからスケールが大きくなっている―――などと思っていたらまたピアノの部分、ピアノ協奏曲なんだから仕方がないか、今度はちょっと毛色の変わった主題、ソナタ形式とかだったら第二主題になるのかな、ここでも尺八が装飾しなければならない、お兄ちゃんはほとんどずっと吹きっぱなしだ、けれどお兄ちゃんが言っていた、昔のお箏、三味線、尺八で演奏する三曲合奏というのがあるらしいけど、尺八は始めから終わりまでずっと吹き続けているそうだ、だからきっと慣れているんだろう―――またお姉ちゃんの三味線の音が響き始めた、まだ僕も弾いているんだけどその合間々々で例の三味線と尺八の掛け合いなんかもやっている、両方の音ともに元気だ、きっと二人ともノリノリなんだろう、お兄ちゃんはともかく、お姉ちゃんのこの音、本当に力強い、で、その後またピアノの独奏、いつもの主題、でもこれから段々と音量を小さくしていこう、ではまた、どうぞ―――三度目かしら、この部分、でもいい具合だ、この部分がすっかり主役になっている、三絃の音が轟き渡っている、そう、三絃の音、お兄ちゃんは三味線のことを三絃と言っていた、僕も今のこのお姉ちゃんの演奏を聴いているとほんとに三絃という言い方のほうがしっくりくる気がする、お兄ちゃんの長管とやらもなかなかの音量で、でも前から思ってたけど尺八ってあんなにでかい音が出るもんなんだろうか、西洋の楽器と比べたらシンプル過ぎる構造の笛、音を作る段から人力だ、これがお兄ちゃんの言う“肺臓”の力なんだろう、さて、僕もピアノの方を頑張らなくちゃ、けれどほとんど手が勝手に動いてくれている、何しろ一生懸命練習したんだよ、僕は、ピアノ教室の先生もびっくりしてた、始めは、あなた最近変わった曲ばっかり持って来るのねって、仕舞いには、急にどうしたの?やれば出来るじゃないって、そうかも知れない、なんてったってあのこのためにやってるんだから、この三四か月で随分上達した気がする、先生も、あなた本格的にやってみたら?なんて言ってくれたし、きっと演奏に表情が出ているんだろう、とか思ってたらオーケストラ部分がえらく盛り上がるところにきた、お姉ちゃん落ち着いてるな、しっかりした力強い音だ、さあ、下支えのティンパニ、ティンパニ、よしよし、おっと直ぐに自分の出番だ、申し訳ないけどピアノのソロパート、綺麗に弾かせてもらうね、ここはちょこっと目立たせてもらいます、けれど音量は控えめに、相変わらず律儀な尺八の伴奏、こういう和洋楽器のからみ、面白い、じゃあお姉ちゃん、どうぞ、お兄ちゃんも引き続き縁の下でよろしく―――お姉ちゃんの三絃の音、お姉ちゃんが三絃を始めたのはきっとあの色男さんが何らかの形で邦楽をやっているということを聞きつけて、それで自分もやってみようと、何か接点を作ろうと、そういういじらしい心持ちから始めたんだろうけど、でも今現在のこの音、本物のような気がする、趣味とかの域を越えてしまっているような気がする、きっと色男さんの心にも響いているに違いない、おっとティンパニだ―――さあ暫くはピアノと尺八の掛け合い、楽しいなあ、こうやってお兄ちゃんと合奏をするなんて、ピアノって独奏が多いからね、あまりこういう楽しさは知らなかった、確かにこの日のために三人で練習してきた期間、大変だったけど楽しかった、やっぱり音楽の醍醐味は合奏だ、けれどこれが終わるとまた独奏、エンディングに向けて最後のソロだ、折角だから情感たっぷりにやらせてもらうね、勿論あのこのことを考えながら、ピアノの先生は表情を付けてと言う、僕は“情感”の方がいいと思う、趣味だけど、それにあのこには背中を向けている、思いっ切り気取ってやったって見えやしない、尺八の伴奏が遠くの方から聞こえてきた―――ピアノソロが終わり、尺八の静かな演奏、エンディングへの導入、三絃はフィナーレに向けて牙を研いでいる、僕も低音部に参加しようと身構える、直後三絃最後の雄たけび、尺八の重低音と僕のピアノの低い和音でバックアップ、怒涛のエンディングは華やかに鳴り響いた―――


      *     *    *    *    *    *    * 


 案外短かったなあ、というのが先ず初めの印象だった。それからお姉ちゃんの演奏はすごかったなあ、というのがその次、最後にお兄ちゃんもお疲れ様でした、と順繰りに感じていった。すると背後で拍手とともにわあっと歓声が上がった。そこで座ったまま椅子をくるりと回転させて皆さんの方に向き直り、挨拶をするために立ち上がろうとした。ところがその時、眼前にあのこの顔が迫って来ていてあっという間にぎゅっと抱きしめられた。「ありがとう!とっても素敵なプレゼントだったよ、ありがとうね!」身動きがとれない、頬ずりをされてあのこの息遣いが首筋にかかり、何よりもその大きな胸が僕の胸にぐいぐいと押し付けられてくる、それで……とっても言いにくいことなんだけど、絶対に人に知られてはいけないことないんだけど、実は―――ちんこが固くなってしまった。

 でも大丈夫だ。色男さんはあのこの友達と一緒にお姉ちゃんのところに集まって興奮した面持ちで何か話しかけている。お姉ちゃんは精魂尽き果てたという様子で、それでも何とか火照った笑顔で応じている。お兄ちゃんの方は、おばさんから盛んに背中を叩かれ悲鳴を上げていた。これはどうやら遺伝らしい。というわけでちんこの件は誰にも知られずに済みそうだ。もしかしたらお兄ちゃんにだけは気づかれているかも知れない。でももしそうだとしても、お兄ちゃんなら大丈夫だ。何があっても人に言ったりしないし、後で僕にやらしいことを言ったりすることも決してない―――それはともかく、全ては上手くいった、目標はどれも達成された、きっとそうであるに違いない。

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