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孝太郎と奈津

作者: 長井景維子

戦争を境に大きく国力を失ってしまう我が国。中国への進出を侵略と捉える著書を読みましたが、作者の意図とは相入れません。当時新聞社が担ったプロパガンダに毒されていく国民と新聞記者を描きました。第二次世界大戦、我が国風に言えば、大東亜戦争を分水嶺に国が断絶され、国民が時代に翻弄された時代です。

 刺し子を刺す手を休めて、奈津は囲炉裏で針を持ったままの右手を焙った。この一枚を今日中に仕上げてしまいたい。両方の肩にズンと重い石が乗っているような痛みがある。奈津は刺し子を再び刺し始め、六つになる息子の源次郎を呼ぶと、肩を揉んでくれるように頼んだ。

 源次郎は、土間の向かいの廊下に置いた勉強机で、イロハを筆書していたが、すぐに手を止めて母の方へ来ると、奈津の背中の後ろに膝を折って立ち、小さな手で肩を揉み始めた。

「お母さん、凝ってますね。」

 覚えたての敬語で話す童顔は、頬を産毛が覆っていて、奈津にとっては目に入れても痛くない可愛い息子だった。

「おや、そうかい。痛いと思ったら。硬いかい?」

「いえ。揉んでいるうちにだいぶん柔らかくなりましたよ。もう少し待ってください。僕が心を込めてたなごころで押しますんで。」

 奈津は源次郎に何か褒美をやりたくて、

「源次郎、この中におさつが入れてある。そろそろ焼けた頃だ。どれ、お母さんがみてあげよう。食べなさい。」

 と言うと、囲炉裏の灰を棒で突いて、小ぶりのサツマイモを一本取り出した。源次郎は、喜んで、

「お母さん、僕は半分でいいです。半分に割って、お母さんも半分あがってください。」

 呑気にサツマイモを親子二人で分け合って食べているうちに、悴んだ手もじんわりと温もってくる。食べ終わると、源次郎はイロハに戻り、奈津は刺し子をまた刺し始めた。

 源次郎の歳の離れた姉、昌が女学校から帰ってくる。藍色の制服に身を包み、昌は玄関先で自転車を止めた。

「お母さん、ただいま帰りました。」

 玄関の引き戸を勢いよく開けて、昌はよく通る声で奈津を目で探した。奈津は、囲炉裏端から、

「おや、おかえり。早かったね。寒かろう。ここへ来てあたりなさい。」 

 昌は、アルミの空の弁当箱をお勝手の桶に浸してから、囲炉裏にあたりに来た。

「今日は教頭先生のお訓示をいただきました。卒業しても、聖マルクスの誇りを忘れないように、とおっしゃっていたわ。」

 昌は看護学校に通っているのだった。聖マルクスという名のカトリック系の女学校で、明治の中頃、創立した。昌は成績も優秀だった。本当なら、医者を志していたのだが、女の身で医師は難しいと、看護婦になることにした。今年の三月に卒業だ。卒業したら、父、孝太郎の旧知の医師、上田元弘の開いている上田医院に、看護婦として勤めることになっている。

 父、孝太郎は、政治部の新聞記者だった。毎朝、朝早くに家を出て、帰りは午前様のことも多い。不在の父の分を、蝿張に入れて、奈津はお勝手で作った夕餉のおかずを、茶の間の掘り炬燵に運んだ。掘り炬燵と囲炉裏、両方がこの家にはあった。囲炉裏をごしょう大切にしているのは、奈津が育ちは東京の下町だが、津軽の生まれで、冬になると、囲炉裏端で刺し子をするのが、何よりの楽しみだからなのだった。

 奈津の刺し子の腕前は、なかなかのもので、富裕層の奥様方からの注文に追われていた。奈津は、刺し子を内職にして、小遣いを稼いでいたが、家計を支えるためではなかった。家族四人が食べて暮らしていく分の収入は、新聞記者の孝太郎が十分稼いでくれていた。

「昌、ご飯をよそって頂戴な。」

「はい。」

 昌は、お櫃から白い炊き立ての白米を三人分、お茶碗によそった。鯖の味噌煮をおかずに豆腐とネギの味噌汁で熱いご飯を食べる。

「今日は源次郎はよく勉強しましたね。お母さんが今度イロハの考査をしてあげよう。」

 源次郎は白米を掻き込んでいたが、顔をあげると、

「ええ。だいぶん書けるようになりました。考査してください。」

 と言って、奈津の方を見た。昌は、

「お父様は今夜も遅いのかしら。」

 と言いながら、お櫃からおかわりをよそった。奈津は、源次郎のお味噌汁碗が空になるのを見ながら、手を伸ばし、おかわりを促すと、源次郎は、首を横に振った。

「おや、もういらないかい。」

 奈津は言うと、さっきの昌の質問に答える。

「さあ、お父様の帰りはいつになるんだろうね。たまには夕餉に間に合うようにお帰りになると嬉しいけど。お仕事がお忙しいから仕方がないね。」

 柱時計が鳴る。午後七時だ。

「昌、ラジオのニュースを入れてみておくれ。」

 奈津が言うと、昌はラジオのスイッチを入れる。ラジオは大きな雑音を発しているが、時々人の声らしき物を拾う。ラジオの時報が鳴った。そしてNHKのニュースが始まる。天皇皇后両陛下が、葉山の御用邸でお過ごしになっていることを伝えている。そして、気になるのが、小規模ではあるが、関東地方で地震が頻発しているそうだ。

「地震、感じなかったわ。外にいて動いてると感じないのかしら。」

 昌が心配そうにお茶をすすりながら呟く。奈津は冷え性の両手のひらの中で湯飲みを転がしながら、

「お母さんも感じなかった。この家は建て付けがいいからね。腕のいい宮大工が建てた家だから、揺れなかったのかもしれないね。」

 源次郎は子供らしく無邪気に、地震を経験してみたいと言った。小さな物なら面白いと。すると、奈津は源次郎に、関東大震災の恐怖を教えておかねばならぬと思った。まだ生まれる前のことで、源次郎は地震の怖さを知らないのだ。

「源、地面が大きく揺れて家が倒れるだけじゃない。火の元から火事が起きて、焼け死ぬ人も多かったんだよ。みんな水が飲みたくて飲みたくて。あんな大震災が二度と来てもらっちゃ困る。たくさんの人が亡くなったんだ。軽々しく地震を面白がったりしたら、罰が当たるってもんだよ。わかったかい。」

 昌も、

「そうよ、源はまだ生まれてなかったけど、私は六歳だったから、はっきり覚えてる。」

 奈津は、

「源にもちゃんと教えておかねばね。この家は震災後にお父様が建てた家なんだよ。そしてお前が産まれた。その前の家は震災の火事で焼けて、お父様とお母さんと昌姉さんは、バラックにしばらく住んで凌いだんだ。冬は寒くて、夏は蒸して、そりゃあ、惨めなもんだよ。でもね、命があったから、また家も建てられたし、源も産まれて来てくれた。今度は丈夫な家にしようと言って、お父様が銀行からたくさんお金を借りて、宮大工に頼んで地震が来てもびくともしない家を建てたんだ。」

 源次郎は目をパチクリして聞いていたが、

「ごめんなさい、僕は何にも知らないで、地震を面白がったりして。」

 奈津は、

「もうわかったね。関東大震災の話は源次郎にはまだ早いと思ってしないできてしまったが、そろそろわかる年だね。お父様からも詳しくお聞き。」

「はい。」

 夕餉の片付けを昌が始める。

「源、お風呂を沸かしてあげるから、入りなさい。」

 奈津は、五右衛門風呂を薪で炊いて、あっためた。源次郎は最近一人で風呂に入れるようになった。坊主頭を石鹸で洗い、体も石鹸を塗った手拭いで擦ると、風呂の中に入って、ゆっくり二十数えた。そしてカラスの行水の入浴を終えた。

 昌は、台所で一人洗い物をしていた。早く、机に向かって教科書に目を通したい。洗い物を終えて洗いかごに食器を並べて、布巾で上から覆うと、前掛けを取り払って、さっと二階の自分の部屋に上がって行った。卒業する前に国家試験が待っている。寸暇を惜しんで復習したり、試験対策に勤しみたかった。机に向かって、一気に集中力を高めた。

 奈津たちの家には手頃な庭が南側に広がり、奈津は家庭菜園をしていた。今は大根、キャベツ、人参、ジャガイモ、玉葱などが植っている。

 父、孝太郎が帰って来たのは、午前零時を回っていた。1931年に満州事変が起き、翌年、満洲国が建国された。国家元首には愛新覚羅溥儀がついた。日露戦争に勝ってから、ポーツマス条約で日本は多くの覇権を手中にし、その後、国内にはキナ臭い匂いが立ち込め始めていた。高崎孝太郎は、毎朝新聞の政治部の中堅の記者だった。

「おーい、帰ったぞ。」

 玄関の裸電球の下で、孝太郎は大きな声で奈津を呼んだ。奈津は囲炉裏端で刺し子をしながらうとうとしていたが、ハッと気づいて、廊下を走り、玄関の鍵を開けた。

「おかえりなさいませ。」

 孝太郎は中折れ帽を脱ぎ、書類鞄と一緒に奈津に渡し、靴を脱いで家にあがった。

「お茶漬けでも召し上がりますか。」

「そうだな。」

 孝太郎が酒席に呼ばれていたらしいことを酒の匂いから敏感に察知した奈津だった。大根のぬか漬けと梅干しの茶漬けを用意して、夜更なので、出がらしのほうじ茶を注いだ。

「俺はなあ、また戦争になるんじゃないかと気を揉んでいる。戦争は勝てればもう、クセになる、次も勝てると。これは社内では言えないが、戦争癖がついた日本は今に痛い思いをさせられる。昔から戦で泣くのは、女子供だ。」

 奈津は目を見張って孝太郎の顔を見た。いつも仕事の話は一切家族にはしないのだが、今夜に限って孝太郎は妙に饒舌だった。孝太郎は茶漬けをすすりながら、

「新聞が政治に利用されているんだ。本来なら、ジャーナリズムは政府を自由に批判し、見張るべき物だが、政府がこう書け、こう書けと言ってくる。そして、書いた後の記事にイチャモンつけてくるんだ。全くやってられん。戦争が正しいと政府が思えば、新聞は戦争は正しいと書かねばならなくなる。そんな記事、書いてられるか。」

 孝太郎は、茶漬けを飲み込み、そこへ、すかさず奈津がほうじ茶を空の茶碗に注いだ。

「もう寝てくれ。俺は風呂に入る。」

「あっためて来ます。」

「すまんな。」

 昌は、二階の自室でまだ机に向かっていた。源次郎は静かな寝息を立てていた。父の思いを知らずにいる二人だった。


      


 毎朝新聞の本社は、港区麹町にあった。高崎孝太郎は、朝一番に社屋に着くと、タバコに火を点けた。赤鉛筆を耳に挟んで、黒鉛筆で、書類の下書きを書き始める。内容は、昨日の酒の席で内務大臣に言われた、愛新覚羅溥儀の物語をシリーズで連載するための企画書だった。企画書を政治家の意向に沿って書かねばならないことに、強い憤りを感じながら、そうしなければ、検閲で発行中止に追い込まれることは目に見えていて、逆らえない辛さがあった。

 企画書が通る確率は、社内の規定によると低かった。しかし、孝太郎の上司の大森も、昨夜の酒の席で内務大臣の話を聞いていた。

「高崎君、昨日の件だが。」

「はい。」

 政治部長の大森は、孝太郎のデスクに近づきざまに、こう切り出した。

「事実を伝えるのが新聞の役割だ。溥儀を美化した物語を掲載するのは、私もぶんやとしての良心が咎める。内務大臣にはそこのところをわかって頂けるよう、もう一度今夜、お話ししてみる。それまで、企画書は待ってくれないか。」

「はい。わかりました。」

 孝太郎は、鉛筆を置くと、タバコを咥え、しばらく考え込んだ。このまま、政府の上位にいる政治家から新聞記事に指図を受け続けるなら、この会社で新聞を書いていく意味がない。全くやるせない。

 大学時代にジャーナリズムに憧れて、この世界を目指した。自由闊達に紙とペンで議論して食べてゆけるジャーナリストになりたかった。毎朝新聞に入社して、しばらくは夢中で修行に励んだ。

 大学は早稲田大学政治経済学部だった。大隈講堂に政治家や哲学者、企業家が講演に来ると、政治経済学部の学生には優先的にチケットが配られた。孝太郎は熱心に大隈講堂に通った。そして、自らも熱弁会に入会した。学生同士で青臭い主張を闘わせ、自身は左翼に傾倒しながら、自身の考えを正しいと主張する過程に、心の底から半ば酔いしれ、恍惚となり、喜びを感じていた。

 そして、毎朝新聞の政治部に配属され、最初の二ヶ月は毎日、先輩たちの鉛筆削りをやらされた。朝、一番に社屋に着くと、自分の机の上に、先の丸まった鉛筆が数百本投げるように置いてある。それを一本一本、小刀で削るのだ。昼飯どきになっても、鉛筆削りは終わらない。必死に削り終えて、冷めた日の丸弁当を掻き込むように貪り食い、そして、席に戻ると、また、丸まった鉛筆が投げ置いてある。一本一本削る。便所に行く暇も惜しんで削る。そして、やっと鉛筆を削り終えると、書庫に行くことが許される。そこで過去の記事を読んだり、文献を勉強したりできた。それを二ヶ月続けたある日、係長が、

「高崎、このノートを読め。」

 と言って、古びた大学ノートを一冊手渡してくれた。

 そのノートには、政治部の記者が引退するときに、一人二ページずつ、後輩への心構えを記してあった。毎朝新聞の政治部記者たるもの、どういう気構えでいるべきか。そして、社内での身の処し方はどうするべきかを、経験から記してある貴重なものだった。孝太郎は、心して熟読した。

 孝太郎はタバコに火を点けて深く吸い込むと、あのノートを今読みたいと思った。確か、書庫の一角にそのノートを入れた段ボール箱が片付けてあるはずだ。孝太郎はタバコを揉み消して、席を立った。

 書庫を漁っていると、ノートはしばらくして見つかった。表面についたホコリを軽く払うと、孝太郎は書庫を出て、自分のデスクに戻り、読み始めた。

 ジャーナリストとしての理想を持ち、自分の書く記事には主観をある程度入れても良いとか、いつでも真実を読者に伝えるために、できうるだけの取材を手抜かりなくせよ、とか、政治家と食事をしてはいけない、酒はもってのほか、ともハッキリと書いてある。これが孝太郎の出発点だったはずだ。この会社は今、どうしてこんなふうになってしまったのだろう。孝太郎はこのノートを机の引き出しにしまって、鍵をかけた。


      


 昌は、国家試験に無事合格した。この春から晴れて看護婦になる。上田元弘医師の元へ合格の報告に行く。上田は、今日は休診日で、書斎で本を読んでいたが、玄関で夫人が迎えてくれた。応接間に通された。上田は書斎からやって来て、

「おめでとう。難しいのに、よく頑張った。昌ちゃんは成績優秀と聞いていたから、驚いてはいないよ。」

 と、朗らかに握手をして祝福してくれた。昌は、

「ありがとうございます。」

 と言いながら、奈津が用意してくれた百貨店の和菓子の包みを夫人に渡した。

「昌ちゃん、春からお願いね。去年の夏に看護婦さん、結婚して辞めちゃったの。それで、この人、一人でなんとかやってたんだけど、これからは昌ちゃんが来てくれるなら、助かるわ。」

 と夫人はお菓子を受け取り、礼を言いながら、昌に春からの勤務について念を押した。昌は、

「はい、よろしくお願いします。まだ新米なので、不安なこと多いです。いろいろ教えてください。」

 と頭を下げた。上田医師は、

「それなら、しばらく見習いで来てみるかい?お給金も払おう。正式には四月からだけど、それまでの二週間ほど、通ってみなさい。よければ。」

 と、申し出てくれた。昌は、

「あの、両親と相談させてください。」

 と、控えめに申し出た。夫人が、

「そりゃそうよ、ご両親とご相談なさい、そうしてくださいな。」

 と、助け舟を出してくれた。

「あなた、今夜にでも高崎さんに電話なさったら?」

 と、夫人はまた気を利かせてくれた。昌は大層助かった。

「ふむ。そうしよう。」

 上田医師も同意した。

 昌は、しばらく談笑していたが、

「それでは、母が待ってますので、失礼します。」

 と、上田家を後にした。上田家の玄関で、羽織袴姿で、大きく一礼すると、踵を返して家へと向かった。清々しい気持ちだった。

「そうだ、お母さんに花でも買って帰ろう。」

 昌は、駅前の花屋に立ち寄り、花桃の枝を買い求めた。そして、和菓子屋で葛餅を買った。土産を手に、奈津と源次郎の顔を思い浮かべて、微笑んだ。

「そうだ、お父さんにはお酒。ウイスキーってものを買ってみよう。お好きかどうか、私にはよくわからないけど。」

 そして、酒屋でウイスキーを買うと、

「まだ、お給金もらったわけじゃないのに、生意気だったかな。叱られるかな。」

 と、少し心配になったりした。奈津が持たせてくれたお小遣いをすっかり使い果たしてしまった。

 駅前の通りを家に向かって歩いていると、地面が大きく突き上げられるように揺れた。ゴーっと大きな音がして、昌はウイスキーの瓶を地面に落として割ってしまった。そして、手を地面について倒れてしまった。

「キャー。」

 そこらここらで悲鳴が聞こえ、地響きが続く。そして、しばらくして遠く西の方角には黒煙が上がっていた。昌は花桃の枝を握りしめ、葛餅の包みを掴んで、起き上がり、そして、人々が見ている西の空を自分も見た。

「富士山だ。富士山が噴火した。」

 男の人が大きな声で言っていた。昌は、

「えっ?」

 と、もう一度西の空に立ち上がる煙を見た。

 昌の周りでも十人ぐらいの男女が富士山の噴煙に驚き、茫然と立ち尽くしていた。

「とにかく家に帰ろう。」

 昌は家路を急いだ。そうこうしている間に、空はみるみる暗くなり、煙が空高く立ち上って来た。

「お母さん、源!ただいま。大丈夫?」

 昌は大声で叫ぶと玄関で草履を脱ぎ捨てて、家の中へ入り、奈津と源次郎を探した。

 奈津は、

「地震があったけど、昌は大丈夫だったかい?」

 と、昌の顔を見るなり、昌を気遣った。昌は、

「私は大丈夫。富士山よ、富士山が噴火してるみたいなの。お母さん、煙が見えるから、窓から見てみて。」

 奈津は南側の窓から右の方を見て、西の空が真っ黒に煙で煤けているのを見つけて、

「まあ。なんてこと。」

「源次郎は?どこ?」

 奈津は、

「あの子は豆腐を買いに使いに出したら、そこで豆腐を持って転んでね。可哀想だったよ。地震の中で『お母さん、ごめんなさい、豆腐を僕は台無しにしちまいました』って泣きながら帰ってきた。今、二階に上がってるよ。しかし、富士山なのか。大変なことだ。お父さんは会社だけど、今日は新聞は号外が出るかもね。」

「私も転んだの。羽織袴を汚してしまいました。お母さん、洗い張りのやり方を教えてください。」

「そんなことはどうでもいい。怪我はないのかい?」

「はい。お父様に私、調子に乗ってウイスキーを差し上げたくて買ったんです。でも、落として割ってしまいました。自分のお給金でもないのに、お小遣いでお土産買いたくなっちゃって。ごめんなさい、」

 昌は、ようやく花桃の枝を奈津に手渡した。

「それから、これ、葛餅。おやつだけど、お夕飯の後に食べたいなと思ったんです。」

 奈津は、

「そうかい。」

 また、窓の外を見ながら、

「ここまで火山灰が降るかもしれないね。大根を抜いておこうか。昌、ちょっと手伝っておくれ。キャベツも収穫してしまおう。火山灰で台無しになってしまう前に。」

 昌は羽織袴を脱いで、モンペに着替えた。奈津と昌は庭の畑に出て、野菜をできている分は全て収穫した。

 次の日、富士山の噴火を受けて、大日本帝国憲法下に於ける緊急勅令が発令され、天皇のお言葉が朝刊に掲載された。



 空は薄暗い。太陽は出ているが、光が届かない。そして、何日も洗濯物を干せず、庭の畑には火山灰が2センチくらい積もっている。奈津たちは、晒しの布で作ったマスクをして生活していた。富士山の噴火は丸々三日間続いたが、四日目に鎮静した。

 富士山の噴火も去ることながら、世の中はどんどん大陸へと進出の兆しを見せていた。毎朝新聞が『大陸新聞』という日本語と中国語の新聞を上海で発行することになり、孝太郎に、上海行きの辞令が降りた。孝太郎は、悩んだ末、辞令を断って、毎朝新聞を辞し、作家として一本立ちすることにした。

 しばらくは昌が看護婦の給料で家族を支えることになった。孝太郎は昌に申し訳なく、最初は辞令を受けて単身で上海に行こうかと思案もしたが、奈津が、自分も今まで刺し子で稼いだ小遣いを貯めてあったし、昌も、父が会社の不穏な動きに長い間悩んでいたことを知ると、好きな本を書いて行くことを応援すると言った。

 源次郎はまだ幼い。小学校に上がってもうすぐ二年生になる。この子が将来徴兵に取られるようなことがないよう、昌も奈津も孝太郎も祈るしかない。抗日の動きは中国大陸で目立っており、日本は孤立を極めていた。孝太郎は政府の政策を批判することに心血を注ぎたかった。今、国中で巻き起こっているプロパガンダに対抗して、本来、日本はどうするべきか、日本人は間違っていないか、と問題提起がしたかった。中国への進出はやがて侵略へと発展することを、早くから見抜いていた孝太郎だった。日清、日露と、大国を相手に分の悪かった戦争を二度も続けて勝利した日本は、今、調子に乗っているに違いなかった。日本は自分が見えていない、そのことを訴えたかった。多くの人に気付いて欲しかった。

 孝太郎は、畑を耕しながら、鶏を飼い、卵をとるようになった。物書きとして食べられるという保証はない。畑でとれる野菜や卵は貴重な栄養源だった。

 孝太郎は今日も原稿用紙に向かう。言論の自由を満たすジャーナリズムは、今や組織では行えない時代になっていた。検閲や言論統制、軍や政府からの干渉を受けて、メディアの発信力は、国の手足と化している。そして、毎朝新聞も、プロパガンダを取り入れ、軍の手先となることで、部数を圧倒的に延ばし、経済的にも潤沢になったのだった。いわゆる戦争景気だった。

 個人で自分一人でペンを持つことが、ジャーナリズムの基本だと、今更ながら思う孝太郎だった。言論の自由を新聞社や組織にいては持てない時代にあっては、孝太郎のようなジャーナリストにとっては、組織は足かせであった。

 軍部や政府高官の検閲のない、自由な書物を書きたい。自分の思想を広めたい。しかし、印刷することへのハードルは高かった。孝太郎は同人誌への投稿から始めることにした。戦争への道を突き進む日本で、自由な思想を持ち、それを広めることは、法外に難しいことだった。孝太郎は、自分が二十年早く生きているのだ、と思った。時代が孝太郎に追いつかないのだった。

               (了)


参考文献:『朝日新聞の中国侵略』山本武利著

 

孝太郎のような新聞記者は当時は多かったのではないかと推察します。そして、その妻、奈津や子供たちもみな、どこにでもいる普通の日本国民です。昭和初期らしい、丁寧な言葉遣いをお楽しみください。

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