急襲
名前は出ませんが、以下別作品のキャラが出てきます。
「狙撃手の娘、拾われました。」
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狭い小部屋の壁一面を覆うように、ずらりと並ぶ無数の小型モニタ。そこに映し出される不鮮明な映像を、青い制服を着た無精ひげの警備員がカップ麺をすすりながら眺めている。かやくの引っかかった箸を持ったままの手が、手元の黒いスイッチを押した。
『12番テーブルの3番。見えた、クロだな』
彼がそう告げた数秒後、モニタに同じ制服の警備員が二名現れて、カードを引こうとしていた猫背の男を肩を叩いた。手札を置いてなにやらわめく男。周囲の客が迷惑そうな顔をする。警備員たちは男の肩を掴んでスツールから引きずり下ろすと、男を引きずるようにして画角から消える。すぐさま三人はエントランスを映す別のモニタに現れる。入口扉が自動で開き、猫背の男が店舗から蹴り出された。
男を見下ろした警備員が口を開いた瞬間、モニタ室に警報ベルが鳴り響く。
『搬入口で火災報知器が作動』天井に嵌め込まれた備え付けのスピーカーから、機械音声が平坦に告げる。
画面の向こうで同じ一報を受け取ったであろう警備員二人が、つたない企ての出禁客を放置して、慌ただしく店内へと戻っていく。
「ったく、なんだよ今日は」
監視カメラの映像から目を離した警備員はそうぼやいて、食べかけのカップ麺を置き、上司への報告にと電話機を引き寄せる。
モニタの向こう、一人残された猫背の男がのそりと立ち上がり、ヘラヘラと笑いながら駅の方向へと歩き去る。上着のポケットから覗くシワだらけの封筒を、大事そうに撫でながら。
*
吹き抜けの天井から吊り下げられた、カットガラスのシャンデリア。ダウンライトの落ち着いた明かりが照らす赤絨毯の上で、白いグランドピアノが優美な音を奏でている。
上等な衣服で着飾った紳士淑女たちの間を、グラス数個とワインボトルを銀盆に載せた黒服たちがよどみない足取りで行き交う。
カラカラとルーレットの回る音。赤や緑のカジノチップが積み上げられては運ばれて崩される。
その上質な空間の中に、かすかに広がる、どよめきと緊張の空気。
鳴り響いた警報音に何事かと立ち上がって周囲を見回す客たちを、よく訓練された黒服やディーラーたちが、穏やかな声色と仕草で座らせようと努めている。
「そーだよ、座んなよ、今オレが勝ってんだから」客の一人、手札を並び替えていた金髪の青年がのんびりと言う。一目でオートクチュールと分かる、上等な仕立てのツイードのベスト。しっかりとプレスされたスラックス。銀細工のタイピンに嵌め込まれた宝玉がダウンライトにきらめく。
他の客たちが視線をさまよわせる中、
「ただのボヤ騒ぎで、ここの警備が崩れるわけないしね」同じテーブル、数席横の壮年の男性が穏やかな声色で賛同する。ゆるくウェーブのかかったダークブラウンの髪。袖口には螺鈿のカフスボタンと、精緻に動く歯車の腕時計が光る。白い革手袋をはめた指先が、つややかな黒檀の杖の持ち手をゆっくりと撫でる。
彼が確認するように対面に目を向ければ、
「もちろんです」
無表情のディーラーが手元のカードを切りながら大きくうなずいた。
「それとも」青年の瞳が、なおも立ち上がったままの隣席の老人を楽しげに見上げる。「あんたがこの場にいることを、駆けつけた治安部隊に見られちゃマズいとかーーなんかそういう事情があるんなら、話は別だけど?」
いかめしい顔の老人は見知らぬ生意気な若者を睨みつけてからスツールに座りなおし、しわがれた声でディーラーに告げる。「次のゲームはテーブルを移る」
「かしこまりました」
手際よく配られるカードを眺めながら、黙って口角を上げる金髪の青年。
*
革靴の足音が近づき、部屋の外側からドアが開く。白髪の老人が、お付きの者を伴って部屋に入ってくる。
「何事だ、騒々しい」
「お呼び立てして申し訳ありません、オーナー」黒服がさっと頭を下げ、部屋の奥を示す。
屈強な男たちに乱暴に取り押さえられた若い男が床に転がされる。蛍光灯の下、腹部を押さえて苦悶の表情を浮かべながら、いかつい男たちを見上げ、青ざめた顔で叫ぶ。
「オレっ、ホント何も知らないんすよっ、ココにちょっかい出すならこの日時ってウワサ聞いただけでっ、そしたらホントに火事とか起きたからっ」
明らかに三下のチンピラから皆が興味を失ったように視線を外し、その中央にいる老人がゆっくりと目を細め、しわがれた声で告げた。
「通報しておけ、仕掛けられた」
「はい」
「非番の奴も全員呼べ。事務所にも人をやれ」
一礼した部下たちが機敏な動きで駆けていく。
*
「おいおい……何あいつら」
別テーブルからの小さなささやき声に、手札を見つめていた青年の瞳がすいと横へ滑る。派手な格好の男女数人が警備員の一人を突き飛ばして、『STAFF ONLY』と書かれたドアを乱暴を蹴り開けて駆け込んでいくのが見えた。その手にはナイフやひしゃげたバットや曲がった鉄パイプ。すぐ近くのディーラーが襟元のインカムを引き寄せて短く叫び、血相を変えた黒服たちが銀盆を放り出して彼らを追う。
「はい、降参」さっと目を伏せた金髪の青年が、手札三枚をテーブルに置く。「お忍びのおっちゃん、そろそろ帰った方が良いんじゃない」
ゆっくりと席を立つ青年。銀色のスツールがくるりと回る。彼らを追うように蝶番の壊れたドアに向かいながら、真逆の方向にある入口扉を指さす。
ーーそこにいつの間にかずらりと立っていた、紫紺色の人影を指さす。
*
近づく足音と怒号。ドアを蹴破って飛び込んできたのは、頓狂なわめき声を上げた入れ墨まみれのスキンヘッド。室内にいた者たちが一斉に飛びかかり、またたく間に乱闘が始まる。ガラスの代わりに窓枠に嵌め込まれていた黒いパネルにヒビが入り、壁際に積まれていた段ボールの山が崩れる。
まぶたから流れる血をぬぐって息を吐くスキンヘッドの背後、開けっ放しのドアから、場違いに上等な衣服をまとった金髪の青年がふらりと入ってきた。
「お客様、」バックヤードに紛れ込んだとおぼしき客に、すぐさま襟を整えた黒服の一人が歩み寄る。青年はその接客を押しのけると、崩れた段ボールの山から覗く黒い箱や、デスクに散らばる書類をひょいと覗き込んでから、
「ーー動くな、治安部隊だ」
良く通る声でそう告げて、服の下から黒い銃を引き抜いた。銃底から下がる、所属を示す金属製のタグが揺れて、蛍光灯に鋭い銀の光が反射する。整った金髪がさらりと肩の上を滑る。
「いま盗ったそれも出せな」
スキンヘッドの男が、眉間に突きつけられた銃口を凝視しながら、「マジかよ」とぼやく。「そのナリで?」
「るっせ」
青年の合図で、一斉に部屋に雪崩れ込んできた紫紺色の制服が、乱闘を次々と制圧していく。規制線の黄色いテープが手際良く張られていく。
「事件現場の保全のため、現場検証まで全てのものに手を触れないようお願いします」
黒服たちがものすごい形相で、機敏に動く紫紺の制服を睨みつける。それに目もくれず、飄々とした顔で指示を出す青年。
「オーナーは逃したか。まぁいいや」部屋の奥、パーティションの裏を覗きこんだ青年が、人知れず小さくぼやく。
治安部隊の包囲網を掻い潜った黒服数人が、退路を妨げる紫紺の制服をぶん殴って廊下に飛び出す。目の前で取り逃した一人が慌てて無線機に、外に待機する同僚へ向けて応援要請を叫びーー
人間の鼻の骨が折れる、ひどく不快な音。
廊下に飛び出した数人が、顔面から血を吹き出し、小さく悲鳴を漏らして床に崩れ落ちた。廊下の白い壁に、放射状の綺麗な血飛沫が、アートのように描かれる。
彼らの襟首を掴んで部屋に引きずってきたのは、先ほど青年と同じテーブルでカードを楽しんでいた、壮年の男。
「あんたーー」
青年が銃口を向ける前、血みどろの革手袋をひらひらと振った壮年の男が、青年に向かって何かを放る。
「これ持ってたよ。おおかた、そこの金庫の鍵かな」
青年が、受け取ったばかりの黒いカードキーを見下ろす。
治安部隊たちの視線が、部屋の隅に鎮座する業務用の巨大な金庫に集まり、黒服たちが悲壮な顔をする。
その様子を満足そうに眺めてから、壮年の男は青年の元に寄ってきて楽しそうに小さく問う。「で、なにが見つかるんだい」
青年がにべもなく答える。「一般人はロビーへお戻りください。すぐに誘導させますので」
「私そこの二人伸しちゃったけど、いいの?」
「……そちらの椅子でお待ちください。のちほど、我々とともに署までご同行を」
「はいはい」
押収作業を進めていた部下の一人が、手を挙げて青年を呼んだ。青年が歩み寄る。開封された段ボール箱から覗く、ライフル数丁とひしゃげた紙箱、それから異国語で殴り書きされた品目リスト。
「各国から買い付けた条例違反の旧戦時代の武器弾薬。ロマからの密輸品ですね」と部下。
「よし、アタリか」と青年。
ーーと。
部屋の奥で慌てた声が上がる。人肉の裂ける不快な音と、断末魔の悲鳴。
青年と男性、二人がほぼ同時に、俊敏に振り向く。
紫紺の制服数人が苦悶の声を漏らして床に崩れる。臙脂色のジャケットを羽織った細身の女性が、鮮血のしたたる軍用ナイフを手に、彼らの間からゆっくりと立ち上がる。鼻立ちの通った白い頬。異様な眼光と殺気立った雰囲気に、周囲の全員が一斉に動きを止める。緊迫した空気と静寂が部屋に満ちる。
絶望的な想像が治安部隊たちの頭を満たした瞬間ーー
頭上から、乾いた発砲音。
天井の排気ダクトが音もなく開いて、数人分の人影が次々と降ってくる。猫のようなしなやかな着地。先頭の人影が地を蹴り、一瞬で女に肉薄すると、女の構えたナイフを鮮やかな蹴りで弾き飛ばした。続く人影が女のこめかみに黒い銃を押し当て、さらに別の人影が女の両腕を拘束する。
再び訪れた静寂に、部屋の中の状況をゆっくりと見回した青年が、は、と短く息を吐く。それから、終始表情を崩さないまま、さも当然のように成り行きを見守っていた壮年の男に視線を向けた。
「妙に落ち着いてるじゃねぇの、おっさん」
男は、胡散臭い笑みを浮かべて鷹揚にうなずく。「不確定な情報だけどね、ロマから殺し屋を招いたという話が入っていたもので」
なにそれ、と青年が部下に問おうと振り返る前、残りの人影ーーもとい、真っ黒な防弾繊維の防護服に身を包んだ治安部隊の特殊部隊員が、壮年の男に向かってきっちりとした敬礼を向ける。男の上着から覗く黒革のホルスターから、所属を示す金属板が揺れているのを見つけ、青年は途端に呆れ顔を浮かべる。隣で拘束されているスキンヘッドと目が合うなり顎で促す。「なあおい、さっきのやつ、そいつにも言ってやれ」
「さて」革手袋をはめた手で顎をなでつつ、思案顔で男が呟く。「使う予定のない『備え』だったんだが……しかし、彼女との関与を表沙汰にしてまで我々に押収されたくない品物があるってことか。気になるね、いったい何が出るのやら」
ーーと。
パリン、と窓際で何かが割れる小さな音。
何事かと皆が身構える中、女の身体がゆっくりと崩れ落ちた。床に広がった臙脂色の上着の下から、赤い血溜まりがじわりと広がる。
「そ、狙撃!」青年が叫ぶ。
皆が床に伏せようとするのを、壮年の男が笑顔で止めた。死体に歩み寄ると、殺し屋の服の下から覗く小型の暗殺用の拳銃を、黒檀の杖の先で示す。「ああ、これは命拾いしたね」
青年は窓の方を見た。ヒビの入った黒い窓に、小さな穴がひとつだけ開いているのを見つける。
「……は? なんでオレらが気づかないものを狙撃手が気づくわけ、そんでコレどうやるわけ」
「あとで礼を言っておくよ」
どう見ても治安部隊の所属ではない、そのべらぼうな『備え』に対して、気安いふうに言う壮年の男。
青年がまじまじと男を見る。
「あんた、いったい何とつるんでるんだ」
青年の問いに、男はゆったりと笑って、口元に指を置いてみせるだけ。
*
紫紺の外套を羽織って店を出た壮年の男に、
「お客さま、先ほどのゲームの、」
ものすごい形相をした黒服の男が寄ってきて、とても嫌そうに、新品のアタッシュケースを差し出した。
部下たちとともにせっせと段ボールを運び出していた金髪の青年が、その様子を見つけて手を止め、苦虫を噛み潰したような顔をする。「ちゃっかりしてんね」
「潜入捜査ならともかく、勤務時間外に得た一時所得を放棄する理由はないからね」
丈の長い紫紺の外套をはためかせ、アタッシュケースを手に颯爽と去っていく男の背を見送り、青年が「よく言う」と小さくぼやく。