とある男の話3 そして
文章量がいつもの倍以上になってしまいました。
申し訳ないです。
「なんだこれは」
先頭を切っていた若い男が声を上げた。最後尾にいた男は慌てて駆けつける。ある範囲だけ、嵐が通り過ぎたように荒らされた形跡があった。
――何かの罠か、それともマーキングか何かか。
荒らされた範囲の外から慎重に観察する。
荒らされている範囲ははっきりとしている。それはずばり、地面が抉れているか抉れていないかだ。何かが起こった範囲は黒く湿った土が表層に現れている。範囲外では下草や苔がのびのびと生えている。
範囲内にある一本の木は傾き、傾きと逆側の根が大きくせり出している。幹には縦に割れ目が刻まれ、枝がぽろぽろと落ちていた。。
抉れた地面には曲線が無数に刻まれている。被害の外側をぐるっと歩いていくと、刻まれている曲線に一つの共通点を見つけた。ある一つの中心点を回るようにして曲線が刻まれている。
――被害の形は円状に広がっている。
その辺にある小石を円の中へと投げ込む。いくつも違う場所に投げ込むが、何かが起きる気配はない。円の中へ一歩踏み出す。何も起きない。恐る恐る進み、円の中心へと向かった。
円の中心には下草と苔が生えている。驚くほどに被害がない。
男はここで起こったことの大体の予想がついた。
竜巻だ。
被害の程度から言えば、ごく小規模でごく短時間だろう。
こんなところで自然現象の竜巻が急に起こり、急に消えるはずがない。つまり魔法だ。人間か、それとも魔物か、はたまた別の何かが魔法を使い僅かな時間――瞬き数回程度の時間――竜巻を起こした。
竜巻を自在に起こせるほどの魔法の使い手が相手となればここにいる四人では力不足だ。
脇目も振らずに逃げていったサーベルタイガーの姿が一瞬頭をよぎる。
男の頭に警鐘が鳴り響く。
これ以上先には行けない。行ってはいけない。
冒険者になって十五年生き延びてきた勘が告げている。一刻の猶予もなかった。早く逃げなければならない。命あっての物種だ。たとえ今回失敗したとしても、今度は高ランクの冒険者が集められて解決するだろう。だから今回は――。
「――っ」
遠くから声が聞こえる。男の耳には「死ね」と聞こえた気がした。次いで「ぴぎゃあ」という獣の甲高い悲鳴のようなものが聞こえた。
森の奥へと目を向ける。見えないが、何かがいることは間違いない。調査隊の中で森に最初に入ったのは自分たちであり、抜かされた記憶はない。男は三人にこちらに来るよう指示した。真剣な声色で言う。
「向こうにいるやつに見つかったら死ぬ。静かに来た道を戻るぞ」
この冒険者たちに説明する時間はない。だから強めの言葉を使う。
「嘘ですよね」
女の一人が半笑いで尋ねる。
「嘘だと思うならお前が囮になってくれ。二人もそいつについていくなら勝手にしろ。最低限、俺が逃げるまでの時間稼ぎくらいはしてくれよ。無駄死にはやめろ」
質問をした女が一瞬、痙攣したように身体を震わせた。
男は早足に、しかしできるだけ物音を立てず歩いていく。三人は男を見習って歩く。背後から聞こえる音が僅かに、しかし確実に大きくなっている。
気づかれているのか、それとも気づかれていないのか。気づかれていないと信じて歩く。
段々と後ろから聞こえる音が大きくなっていく。比例して鼓動の音が大きくなっていく。
一際大きな音が後ろでした。木が倒れたような音。
瞬間、何かが男の横を通り過ぎた。すでに前を行く何かはさっき半笑いで質問をしてきた女。ぱきぱきと小枝を踏み鳴らしながら走り去っていく。
――馬鹿が
強い魔物から逃げるときに大事なこと、それは気づかれないことだ。自分から捕まえて御覧なさいと言わんばかりに足音を立てて逃げるは愚の骨頂。
後ろから迫る音が今までとは桁違いの速度で近づいてくる。やっぱり気づいてなかったんだ。逃げた女を殴り殺してやりたくなった。
若い男はどうすればいいのか指示をくれとこちらを見る。残った女は後方をじっと睨んでいる。
協調性のかけらもない。
だからあの時にすぐに帰っておけばよかったんだ。こんな馬鹿どものせいで。罵倒が喉元までせりあがってきたが、何とか飲み下した。ここで癇癪を起しても生き残れない。
空を飛ぶ影が三人を通り過ぎた。直後に突風が吹く。影は逃げた女の前に降り立った。
「待て」
影は人だった。
髪は首元まで伸びている、くすんだ金。くたびれた服は魔物が生息する場所に足を踏み入れるには軽装すぎる。
その人型は振り向いた。男ははっと息をのむ。見たことがある。それどころじゃない。この二か月にわたって自分を苦しめた元凶。
二か月前とは違い、双眸には剣呑な光が宿っている。
自分のことを覚えていない可能性はないだろうか。
「あの時のおじさん」
希望的観測は見事に砕け散った。
殺される。
仕方ない。
本当に?
「お前はここで何をしてるんだ?」
殺されても仕方ない。しかし、ただで殺されてやるつもりはない。足掻いてやる。
「魔物を倒してた」
「それは魔物じゃない」
「みたいだね」
少年は女の首と頭をあっという間につかんだ。こき、と小気味いい音がした。半回転以上した顔から金切り声が飛び出した。しかし、すぐさま途切れる。
女の身体は力なく頽れ、少年が手を離すと倒れていく。少年は一歩前に出て倒れてくる女の身体を避けた。
一連の様子を見守っていた近くの女から短い悲鳴があがった。女は無理やり自分の手で口を塞ぎ、悲鳴を掻き消した。
「そっか、うん。人間でもいけるな」
グーとパーを繰り返しながら無邪気に微笑んでいる。
うなじから這い寄るおぞけが背筋から流れ落ちていく。
あっという間に人を殺した手腕もさることながら、少年からは人を殺したことに対する罪悪感は全くと言っていいほど感じられないことが何よりも恐ろしい。
もしも殺した相手が盗賊の類であれば罪の意識も幾分か軽くなろう。慣れてしまえば何の罪悪感もわかないかもしれない。
なぜ彼が捨てられたのか。
人を殺す仕事でもしてたのか?
だとすれば、依頼の報酬があれほど高額だった理由も納得いく。
あの時に死んでもおかしくなかった。
今この状況において、過去の自分が助かったことに安堵する。
唇を思いきり噛んだ。ボケて現実逃避をしようとしていた頭に喝を入れる。自分が殺されることはもう仕方がないことだ。しかし、この二人は逃がせるかもしれない。
現状主導権がどちらにあるかは明白。主導権を奪わなければ。
「随分生き生きとしてるじゃないか」
「おじさん、わかるんだ」
「死んだ目をしてた時から比べれば全然違う」
「ありがとう」
皮肉を皮肉で返される。くそが。
「今冒険者が三十人ほどいる。この森の異常を調査するためだ。もしかしてお前が原因か?」
会話をするように見せかけて、自分たちの戦力を見せつける。相手が引いてくれれば儲けものだ。
「どんな異常?」
少年はこの場にそぐわない少年のような無邪気さで聞き返してきた。思惑は全くと言っていいほど効いていない。
「魔物が森の入り口や村に頻繁に出現するようになった」
「僕のせいかもしれない。見つけ次第殺してるから、魔物のほうから逃げるようになっちゃって。最初なんて僕を見るだけで殺しに来たのに」
自身が満ち満ちている。ねっとりとした汗が口に飛び込む。塩味だが苦い。
「お前は何がしたい」
「僕は、生きていたい」
随分と抽象的な答えが返ってきた。
「死にたくないなら自分から魔物に喧嘩を吹っ掛けるのはどうかと思うが」
「違う。敵を殺すことでしか生きられない」
いまいちピンとこない答えだった。物語の中にあるような『呪い』にでもかかったのだろうか。馬鹿な考えが頭をよぎる。
「なら俺もお前が生きる手伝いをしてやる。お前だってこの森の生き物全部殺したいってわけじゃないんだろ? でもお前がやってる方法だと、いずれいなくなる」
調子よく話を合わせ、適当なところで手を引けばいい。少なくともここを乗り切れば勝機はある。
「冒険者ギルドで討伐依頼を受ければ敵を殺すことでしか生きられないっていうお前の願いも永遠にかなう」
「冒険者ギルド?」
僅かな手ごたえ。
「そうだ。そこで仕事を斡旋――紹介してもらえれば、簡単な魔物の場所を教えてもらえる。それを狩ればお前が生活するに足る金銭を得ることができる。どうだ? お前の目的にあった場所だと思うが」
少年は口に手を当てて考え始める。
助かりたいという一心から口をつついて出てきた言葉に身を任せていたが、事ここに至り、ようやく生への手綱を手にしたと自覚した男は、少年の言葉の理解に努める。
敵を殺すことでしか生きられない。
敵とは?
魔物のこと、だけではない。さっきの「人間でもいける」という発言からするに、敵と認識していればたとえ人間だろうと容赦せずに殺すことができる。その証拠に、少年の近くには首が捻り折られた遺体が無残に転がっている。
命の綱渡りの綱が、会話という手段でしか紡げない一本だとするとあまりにも心細い。自分の発言が相手に障るだけで落ちてしまう。
だが、助かる可能性があるだけましだ。
「もうちょっと冒険者ギルドの話をしていいか?」
少年は口に手を当てたまま首肯した。
「冒険者ギルドってところはランクによって受けられる依頼が決まってる。最初は特例でもない限りGから始まる。だから、お前が仮に冒険者ギルドに入ったときに受けられる依頼の中に討伐依頼はほとんどないはずだ。しかし、俺とパーティを組めばもっと上のランクの依頼を受けられる。討伐依頼の数は馬鹿みたいに増える。その分腕っぷしも必要だがな」
更に少年の興味が引けたようだ。
「俺が見る限り、お前の腕っぷしだったらCランクの依頼なんて余裕だ。お前が討伐して周りにお前の存在を認知させればランクなんてすぐに上がる。そこまでいけば俺の手助けもいらなくなり、お前ひとりでもいろんな討伐依頼を受けられるだろう。どうだ?」
少年が頷く。もう一押しだ。ここで主導権を握り返す。
「ただ、ここで一つ問題がある。お前が冒険者を殺してしまったことだ」
少年の近くの遺体を指さす。
「冒険者同士の争いは日常茶飯事だ。だが、殺すまでやっちまったらそれは問題になる。冒険者ギルドに属していたとしても資格をはく奪される。入る前にこんなことをしちまったら入会は間違いなく断られるだろう」
少年が苦々しい顔をした。男は今までよりも更に細い綱の上を歩き出したことを自覚する。
「そこで俺は、ここで死んだやつが魔物に殺されたと言い張ろう。幸いとここはそれが起きたとしてもなんらおかしくない場所だ。死体も隠せばいずれ魔物が食い荒らしてくれる。証拠は残らない。残る懸念点は『俺たち目撃者』になる。だが俺は誓ってお前を通報したりはしない。なんせ、パーティメンバーになるんだ。そんなことをする意味がない」
長く冒険者をしてCランク。悪いわけではないが、いいわけでもない。
いい意味でも悪い意味でもそれ相応の実力――男が言うところの腕っぷし――であることの証左である。自然、口がうまくなり、人を丸め込む術にも長けてくる。
「俺は通報しない。俺は、な」
男はニヤリと笑った。先ほどから全く会話に参加しない二人に目を配る。その意味に気づいた二人はようやく音を発する。「お、俺だって」「私も」
二人の声は驚くほどに震えていた。
その程度の胆力か、乗り越えてきた場数が違う、という自負が男に自信を与える。
「仲間にもならないやつを信用できるか?」
「じゃ、じゃあ仲間になるよ」
「いや、いらない」
若い男の提案を男は明確に拒絶した。
「仲間になる? お前たちはEランクだろ? 俺よりも低いランクだ。俺があいつに提案した条件なら、俺だけが生きていれば問題ないわけだ」
自分の安全圏を広げるために他の者を蹴落とす。それが自然の摂理だ。若い男の絶望した顔。しかし、すぐに「お願いします。仲間に入れてください」と頭を下げる。
「どうする? 仲間に入れるか、それとも殺すか」少年に声をかける。そして、まだ何も決めていない女へと問いかける。「それから嬢ちゃん。あんたはどうだ」
話を振られた女は死体と男に視線を行ったり来たりさせ、悔しそうに唇をかみしめながら「お願い、します」と言った。目からは一筋の涙が溢れている。
「わかった。じゃあこの四人でパーティを組もう。この森の異変に関しては俺がしっかりとギルド長に伝えておく。わかりませんでしたってな」
ちらりと少年に目線を向けてお伺いを立てる。少年は頷いた。その瞬間、男の全身が快感に包まれる。
切り抜けた。そして、最高の成果を手にした。
ピンチを切り抜ければチャンスが訪れる。もしかしたら念願のBランクへと昇格できるかもしれない。皮算用をしながら心の中でほくそ笑む。
男は少年に歩み寄っていく。
「これからよろしくな」
そして男は
腰に下げたナイフを手に取り、少年に向かって振り上げた。
「「「えっ?」」」
若い男の言葉であり、女の言葉であり、そして男の言葉であった。
少年は眉一つ動かさずに対応した。素早く土の盾を作り上げて男のナイフを受け流す。同時に、水の刃で男の首を切断する。そこから始まるのは一方的な蹂躙だった。
呆気にとられた二人はあっという間に少年に距離を詰められる。若い男は少年の拳をわき腹にねじ込まれて吹っ飛んだ。女が距離を取ろうと一歩後ろに下がったが、少年はすぐさま女に肉薄し、何もしてこないとみるや首を掻き切った。
血潮が跳ねる。悲鳴を上げるための喉はすでにただの肉塊と化していた。
とどめと言わんばかりに顎を殴る。僅かに首の皮がつながった状態で浮き上がり、落下した。少年は若い男の元へと移動した。若い男は木にぶつかり、意識を失っている。難なく首を落とせた。
「冒険者ギルドか」
少年は呟くと、平然とした面持ちで森の入り口へと歩いていった。襲い掛かってきた男がまるで自分も驚いているかのようだったことが僅かに気にかかった。
次からはイシュタルの視点に戻ります。