別れ
「随分と暴れまわったみたいだな」
隠れ家に帰ったイシュタルを出迎えるカームの顔には、疑念の色が浮かんでいた。
「練習してた時の魔法の生成速度と戦闘中における魔法の生成速度では比にならないほど後者の方が速かったわけだが、練習中は本気を出していなかったというわけか?」
「そういうわけではないと思います」
「要領を得ないな」
「練習は自分の思った通りの大きさの火球を自分の思った通りの速度で投げ込むことが目的です。それを自分のできる限りの速さでやってはいましたが、全力を出していたかと言われると違うと思います」
「ふむ」カームは腕を組んだ。「『調力』と『運搬』、すなわち魔力を使いやすいように調える速さと経路に魔力を通す速さが練習と実戦では随分違っていたが、練習段階では手を抜いていたのか?」
「いいえ」
カームは低く唸った。
「戦ってた時は違う経路に多少魔力が漏れても問題ないから『運搬』の速さは説明できる。しかし、『調力』に関しては説明できん。なにかないか、なにかないか、なにかないか」
密やかな声でぶつぶつと呟く。
しばらくすると「だーもう!」と大声を上げ、イシュタルの胸倉をつかみかかった。そして、イシュタルの瞳をのぞき込む。赤い瞳、吸い込まれて、意識がぼやけて――
「魔法があれほど早く放てた理由を説明せよ」
「殺意が、頭がつながって、うまくできました」
「自分自身でもよくわかってないと」
カームは不満げに鼻を鳴らすと、イシュタルの身体を後方へと押しやった。目が外れ、体の束縛が解かれる。イシュタルは後ろにたたらを踏んだ。
「今宵の出来事、是非に詳しく説明してもらおう」
カームは居住スペースにある四脚椅子に腰かける。
「まずはなぜこんな夜中に家を出た?」
「……この森に入ってきた日のことです。幌をめくって外を見るとゴブリンがいたんです。こちらの様子をうかがっているようでした。近づいては来なかったんですが、ゴブリンの視線を感じたんです。その時、今まで感じたことのない感覚があったんです。そして、今日のことですが、練習をしていると似たような視線を感じました。同じような感覚が訪れました。だからその正体を確かめようと思って外に出たんです」
「なるほどなるほど。恐怖すら凌駕し、痛みさえも無視できるお前が気になった感覚か。面白い。外に出た後のことも話せ。自分の感じたことを言葉にしろ」
「外に出て、視線を探しに森の中へと入りました。少しして、見つかりました。こちらの足音が相手の注目を集めていることに気づいて、そうしたら身体に何か冷たいものが走った気がして、何か息苦しかった。息はどんどんと激しくなり、心臓の鼓動が激しい運動をした後のように大きく聞こえ、頭がのぼせるように熱くなり、反対に背筋は冷たかった。視線の正体が殺意だと気づいて、急に視界が広くなった。次に何ができるかが瞬時に浮かび、何でもできるような気がした。体が軽くなり、今までがあまりにも鈍重であることに気が付いた。あの時自分が世界にはまったんだ」
いつの間にか敬語をやめていた。彼は自分の語る口からあふれ出る熱量に浮かされている。
反対に、カームは冷めた目で彼を見ていた。
「どの経路にどれくらいの魔力を流せばいいかが分かった。自分のしたいことが現実になっていく。組み合わせて、新たに事象を作り出し、敵を葬り去る。怖くて、楽しくて、でも、呆気なく終わった」
「もうよい。お前の自慢話はわかった」
イシュタルは冷や水を浴びせられ、ようやく自分が暴走していたことに気が付いた。
「つまり、死地の中にこそ本当の自分があるということだな」
つまらんと言わんばかりに目を細め
「存外普通の結論だったな」カームは鼻を鳴らす。「お前の願いはかなったのだろう? では明日にでもここを去れ。もうお前に興味はない。戦場で勝手に生き、勝手に死ね」
椅子から立ち上がると、ベッドにもぐりこんだ。
「ありがとうございました」
それが、イシュタルとカームの別れの言葉だった。
◇ ◇ ◇
翌日、寝ていたイシュタルの横に手のひら大の袋と一枚の紙が置いてあった。
『収納袋だ。中身は自分で確かめろ。起動には足の小指のパスを使え』
周りを見渡したが、すでにカームの姿はなかった。一礼してから袋を手に取る。くたびれた黄土色の袋。紐が通してあるので持ち運びも楽。
足の付け根から足の小指の経路に魔力を通す。慣れない分魔力の操作に四苦八苦したが、事前の練習の成果が生き、なんとか魔力を通すことに成功した。
収納袋の中に手を突っ込む。すると、身体が吸い込まれていく。
上には虚空の穴が開いており、周りを覆う壁は収納袋と同じ黄土色。目の前には一か月ひたすらに食べ続けた干し肉が堆く積まれている。後ろには甕が四つ並んでおり、中には水が張られていた。
もう一度足の小指のパスに魔力を通すと元居た場所に戻った。
収納袋を逆さにしてみる。何か出てくる気配はない。
使い方を調べようかと書棚に目をやるが、頭を振って収納袋を腰にぶら下げた。
「さぁ、いこう」
螺旋階段をのぼりながら、一か月と少しを過ごした空間を眺める。何の感慨もわかなかった。
外に出て、彼は改めて考えなければならないことに気がついた。すなわち、これからどうしていくか、という素朴にして重要な問題だ。
イシュタルはこの場所がどこかすらまともに把握していない。地図はなく、あるのは一か月はもつであろう食料と水。
今までは誰かが自分に指示した。自分の意思で行うことはせいぜい本を読むくらい。
生きるとは、昨夜経験したことを繰り返すこと。
勝手に生き、勝手に死ね。
カームの言葉がよみがえった。
そうか、勝手に生きて、勝手に死んでいいのか。
自由がそこにはあった。
生きるために何をすればいいのかもわかっていた。
昨夜の興奮が胸の奥にともる。じわじわと広がり、更なる感情を求めんとして彼は歩き出した。