【書籍化】婚約破棄を告げられたので、言いたいこと言ってみた
書籍2023年3月3日発売!
ほぼ書き下ろしです。
タイトルが大幅改題され、
『したたか令嬢は溺愛される ~論破しますが、こんな私でも良いですか?~』
として発売されます。
詳細は活動報告や本文下のリンクをご確認ください。
よろしくお願いいたします!
「アンジェリカ、君との婚約を破棄したい!」
「……はい?」
アンジェリカ、と呼ばれた少女は、言われた言葉を理解するのを脳が拒否するのを感じ、首を傾げて訊ね返した。
「アンジェリカ、君との婚約を破棄したい!」
しかし、残念ながら、返って来た言葉はさきほどとまったく変わらない。
アンジェリカは極めて無表情を意識して顎を引く。
「それ、今でなければいけなかったのでしょうか?」
なぜ、今なのか。
今のこの、衆人環視の中でなければならないのか。
公爵令嬢アンジェリカと、彼女に婚約破棄を告げた王太子オーガストがいるのは、卒業パーティーの真っ只中、多くの卒業生のいる会場内だった。
王太子とその婚約者ということで元々注目されていたのに、オーガストが大きな声で婚約破棄を告げたりするから、人々の視線はすべてこちらに向き、どうなるのかと固唾を呑んで成り行きを見守っている。
その視線を鬱陶しく思いながら、アンジェリカはオーガストに疑問をぶつける。
「ああ、今でないといけない」
決意を秘めたオーガストはその後ろに控えていた令嬢を呼び寄せる仕草をすると、その令嬢はスッと前に出てきてオーガストの腕に手を添えた。
アンジェリカのこめかみがピクリと動いた。
静かに様子を眺めていた生徒たちもざわついた。今婚約破棄を告げられたとは言え、手続きは済んでいない。実質まだオーガストの婚約者であるアンジェリカの前で、オーガストの腕にすがるなど、ありえない行為だ。
困惑する会場にいる令息令嬢に気付かない様子で、オーガストは現状を受け入れていた。それを見てアンジェリカは、そういうことか、と納得した。大方、この少女が好きになったから婚約破棄などと言っているのだろう。恋は盲目。周りが見えていないオーガストと相手の女性にため息が出そうになる。
「お前は、俺の婚約者であることを笠に着て、ベラに嫌がらせをしていただろう!」
「……は?」
ため息を我慢したが、その代わりに間の抜けた声が出た。
今オーガストはなんと言ったか。嫌がらせと言ったか。
「……嫌がらせ、とは?」
「ふん、しらばっくれるのか?」
オーガストは鼻で笑い、ベラと呼ばれた少女はオーガストの腕にぎゅっとしがみつく。胸が腕に当たるようにしているのはわざとなのか。アンジェリカは不愉快な思いでいっぱいになった。
「ベラの教科書を使えなくし、制服を破き、取り巻きを使っていじめ、ついには階段から突き落としたそうじゃないか!」
オーガストの主張に、ざわついていた会場は再び静かになった。アンジェリカは皆がこの婚約破棄という舞台を楽しんでいる観客になっていることがよくわかった。その証拠に、誰もアンジェリカの味方をしてはくれない。
仕方なくアンジェリカは自ら口を開いた。
「何ですか? それ」
「とぼけるつもりか!」
オーガストは怒りでであろうか、顔をやや赤くしながらアンジェリカを睨みつけた。
「ベラから聞いたぞ! この性悪女が!」
「私、本当につらかったんですよ、アンジェリカ様……」
ベラはオーガストにしなだれかかった。そのベラをオーガストが優しく抱きしめる。
「おお、ベラ、かわいそうに……」
何を見せられているんだこれは。
アンジェリカは自分が白けていくのを感じる。もしや、証拠を出してこないところを見ると、この少女の言うことだけを鵜呑みにしたのだろうか。
きっとそうだろう。恋に恋している様子のオーガストに、そんな彼に見えないように、アンジェリカを見てにやりと笑ったベラを一瞥して、アンジェリカはそう確信した。
なるほど。やってくれる。
「……婚約は破棄ということでよろしいのですよね?」
「ああ、もちろんだ!」
改めて、言質は取った。ならばいいだろう。
――徹底的に叩き潰す。
「いじめなんかするわけないでしょうが、馬鹿なの?」
突然口調を変えたアンジェリカに、オーガストが面食らった様子で口をぽかんと開けた。アンジェリカはすでにそんなオーガストを気遣う必要性もないため、そのまま話を進めた。
「第一誰よ、その子。知らないわよ。クラスだって一緒じゃないわよね? 見たことないもの」
「ひ、ひどい……そうやって身分でまたいじめて……」
「いやそういうのいいから、あんたが誰か教えろって言ってんのよ」
オーガストと同じようにぽかんとしていたが、先に我に返ったベラが、目に涙を溜めながらまた何か主張しようとしたのを遮った。いちいち猿芝居されたら話が進まない。
「知らないわけないだろう! 彼女は男爵令嬢のベラだ!」
やっと我を取り戻したオーガストがアンジェリカに吠えたが、アンジェリカはそんな彼に呆れの眼差しを向けた。
「知らないわけあるのよ。だって私のクラス、高位貴族のクラスで、そうそう他のクラスの生徒と関わりないもの。校舎違うし。王太子のあんたもそのはずだけど?」
ハッとした様子のオーガストが、ベラを見た。
「そんな……私、本当に辛かったのに、なかったことにされるのですか……?」
「いやだから、あんたと接点なんかないって言ってるでしょうが、耳ないの?」
「あ、あります!」
ちょっとムキになったベラに、アンジェリカは内心ほくそ笑んだ。この感じでは、か弱く儚い雰囲気は演技だろう。
ちょっと素を出したベラは、すぐに気付いたようで、慌てて顔を俯けた。
しかしその様子に思うものがあったのか、オーガストがようやくベラに疑いの目を向けた。
「ベラ? 君は俺にアンジェリカにいじめられていると言って話しかけてきたよな?」
「ほ、本当です! 信じてください!」
「だが、アンジェリカと接点がなかったとすると、俺に会った時から嘘を吐いていたことになるぞ?」
「本当に……私……」
うるっと瞳を潤ませるその表情は大変愛らしく庇護欲をそそられる。オーガストはそんなベラを見て、疑っていた自分を恥じるように、アンジェリカに向き直った。
「こんな愛らしいベラが嘘を吐くわけがないだろう」
「うわあ、筋金入りの馬鹿。こんなやつの婚約者だったことが一生の恥」
辛辣な言葉を告げたアンジェリカは、確認のために、オーガストに訊いた。
「こちらは証拠を出せるんだけど、出していいの?」
「ああ、好きにするがいい!」
アンジェリカは笑顔で頷いた。
「じゃあ遠慮なく。……王家の影の皆さーん、どうぞ出てきてくださーい!」
アンジェリカが声を張り上げると、どこからともなく黒い服を着た人間が数人彼女の周りを取り囲んだ。
「は、はあ? お、王家の影……?」
いきなり降ってわいた人間たちに困惑しながらも、オーガストはアンジェリカの発言をしっかり耳に入れていたようだ。
「そ、王家の影。未来の王妃を守る役目と、あとこっちが多分メインね。王太子の婚約者である私が誰かといい仲になったりしないか見張るためにずっと張り付いていたのよ」
「なんだそれ! 聞いたことないぞ!」
「教えてないもの。教えて正義感溢れるお馬鹿さんな王太子のあんたがやめろって騒いだら大変でしょう?」
アンジェリカは丁寧に説明してあげることにした。
「命を守るのはもちろんだけど、嫁いだとき、胎に王太子以外の子供がいたら、困るじゃない? たとえ王太子の子だとしても、それが本当かどうかもわからないし。だから、未来の王妃になる娘には、王家の影が付くの。その娘が誰かと通じ合ったりしないためにね。つまり、この人たちは、常に私のそばにいる。さらに王家に忠誠を誓っているので嘘は述べない。これほどの証拠はないわ。毎日私の様子を報告しているはずだしね」
ベラがオーガストの腕にすがる手に力を込めたのがわかった。しかし、アンジェリカはここでやめるつもりはない。先に喧嘩を売ったのはあちらなのだ。こちらは存分にやり返させていただく。
「私、彼女をいじめたことあったかしら?」
「いえ、面識すらございません。王妃教育でそんなことをしている暇もございませんでした」
影の一人に訊ねると、すぐさま返事が返ってきた。
「そうよね。で、何か言いたいことは?」
「あ……」
さすがに旗色が悪いことがわかったのだろう。ベラは顔を真っ青にして震えていた。その姿はさきほどのあざとさとは違うが、大変可愛らしい。可愛いっていいわね、とアンジェリカはどうでもいいことを思った。
「か、勘違い……だったのかも……」
「勘違いで済むと思っているの? こんな大事にしておいて?」
ビクリとベラの肩が跳ねた。それを見て、オーガストが彼女を支えるように肩に手を添えた。
「そんなきつく言わなくてもいいじゃないか。こんなに怯えてかわいそうだろう?」
その言葉にアンジェリカはプツリと切れた。
「かわいそう……?」
さきほどとはまた雰囲気が変わったことに気付いた様子のオーガストが、頬を引き攣らせた。
「あ、ああ……人間間違いもあるだろう? 許してやらないか……?」
――粗末な罠でアンジェリカを嵌めようとした人間を、許してやる?
アンジェリカは静かに口を開いた。
「座れ」
澄んだ声は静かな会場でよく響いた。
「え?」
突然のことで意味が理解できなかったオーガストが、首を傾げる。その様子にアンジェリカは眦をつり上げた。
「座れと言ったのよ。す、わ、れ!」
「ひえ!」
怒りをあらわにした形相で言われ、オーガストと、その腕に掴まっていたベラがその場に座り込んだ。美人の怒る表情はすぐに言うことを聞いてしまうぐらい、恐ろしかったのだ。
立ったまま二人を見下ろすと、オーガストとベラは仲良く手をつないですくみ上がった。
アンジェリカは二人を指さした。
「正座しろ!」
「は、はい!」
返事をし、座り直したところで、オーガストがハッとする。
「いや、俺、王太子……」
「は?」
「なんでもないです……」
剣幕に恐れをなして引き下がった。ベラに至ってはプルプル震えている。アンジェリカは腰に手を当てて、イラつきを隠さずに、舌打ちした。二人の肩が跳ねた。
「まず、私は許す必要性を感じないんだけど、どう思う?」
「そ、そうだな……」
慣れない正座に悪戦苦闘しながら、オーガストは恐る恐る返事をした。
「そうよね? どう考えてもそこにいるアホな女が、婚約者のいる男を誑かして、さらにはその男の婚約者を罠に嵌めようとしたんだから、私、許す必要ないわよね?」
「は、はい」
「で、あんた、どう責任取るつもりなの」
「え?」
「え? じゃないわよ。あのね、八年よ、八年! 八年間も婚約してたのよ! その間未来の王妃になるために勉強詰めだったし、苦痛しかなかったわ! なのにあんた、ポッと出の小娘に簡単に誑かされて! 私の八年なんだったわけ? どう責任取るつもり?」
「え、えっと、じゃあ、俺と結婚する……?」
「どんな罰ゲームよ! こっちの努力も知らない浮気くそ野郎なんかお断りよ!」
くそ野郎ととんでもない言葉で罵倒されたオーガストは目を白黒させながら、オロオロと戸惑っている。
「え? じゃあ、どうすれば……?」
「それはあんたが自分で考えたら? もうすぐ王太子じゃなくなるだろうし、色々考えたほうがいいわよ」
「え?」
「さっきから『え?』ばっかりね! あんた、こんな大人数の前でやらかして、許してもらえると思った? 本当に馬鹿としか言いようがない! 少なくとも王太子の座からは引きずり降ろされるわよ! もともと我が公爵家が後ろ盾になることで決まった王太子の地位だもの! じゃなければ第二王子のあんたが王太子になれるわけないじゃないの、馬鹿! 当然私が婚約者でなくなったらうちはあんたから手を引くからね!」
「え?」
「ええ~!」
アンジェリカが畳み掛けるように言い切ると、今まで黙っていたベラが、大きな声を出した。愛らしい瞳をくわっと見開いている。
「それって、オーガスト様このままじゃ王様にならないってこと!?」
「そうだけど……?」
アンジェリカが答えると、ベラは今度はオーガストに向けて、キッと睨みつけた。
「アンジェリカを婚約者の座から引きずり降ろしたら、私を王妃にしてくれるって言ったじゃない!」
「い、いや……」
さっきまでの可憐な様子はどこへやら、ベラは強気にオーガストの胸倉を掴んでいる。おそらくこちらが素なのだろうな、とアンジェリカは思った。
「たぶん、その馬鹿、本気で言ってたと思うわよ? 散々言い聞かせてたんだけど、耳を通り抜けて、まったく私との婚約の意味を理解していなかったんでしょう。理解していたらこんなことするわけないもの」
「なにそれ! 馬鹿ってレベルじゃないじゃないの!」
「そうね、大馬鹿者だわ」
「この大馬鹿!」
まさかの最愛の少女にまで罵られ、オーガストは涙目になった。
「ちょっと、このぐらいで泣いてるんじゃないわよ。あんたこのあとが大変なのわかってるでしょうね?」
オーガストは泣くのを我慢しながらも、口を開いた。
「でも……それはアンジェリカ、お前もだろう?」
アンジェリカは懐に入れていた扇を出すと、オーガストの頭を遠慮なく叩いた。ペチペチペチ叩くアンジェリカに、オーガストが反抗しようと開口した。
「なにする――」
「ええそうよ! 私のお先は真っ暗よ!」
アンジェリカの怒声が響いた。
「私はあんたと婚約して八年。そして今十八歳。今まさに卒業パーティーの真っ最中。数日後には輿入れ予定。そ、の、は、ず、が! 全部なくなったわけ! わかる? 馬鹿のあんたにわかる? ほとんどの適齢期の優良物件のご令息は婚約者持ちなの。私の相手を探すのは絶望的なの。何でせめて一年前とかにやらかさなかったのよ! おかげで私のお先も真っ暗よ! この国で女はまだ一人で働ける権利は認められてないし、最悪! もうこうなったのも、これを婚約者に選んだお父様が悪いのよ! 一生脛かじって生きてやる!」
アンジェリカは叫んで扇をオーガストに投げつけた。オーガストがよけたため当たらず、悔しそうに歯ぎしりする。
アンジェリカは話しかけてきたオーガストの様子から、こうなることを予想していた。だから、もう取り繕うこともせず、存分に罵倒した。だって自分はもう後がない。せめて言いたいことだけは言い切らないと割に合わない。
第一、品行方正にするようにと王家から言われてそうしていたのに、その結果がこれだ。王家含めて許さない。
「そんなこと言われても……なあべ――あれ? ベラ?」
「あの子ならさっさと逃げ帰ったわよ。まあ、逃げても素性調べられて何かしら罰せられると思うけど」
男の目を気にした演技は不快だったが、切り替えの速さだけは好感が持てた。まあ、許さないが。
アンジェリカは投げつけた扇を拾って、さっさと足早に会場を後にした。
――いや、しようとした。
一人の男に腕を掴まれるまでは。
「は?」
突然腕を引かれたアンジェリカは、間の抜けた声を出す。
振り返ると、そこには端正な顔立ちの男が立っていた。オーガストが優しい王子様系の美形なのに対し、その男は野性的な美貌だった。
好みの顔だ、と思わずアンジェリカはその顔を見つめた。
「俺と結婚してくれないか?」
唐突のプロポーズに、アンジェリカはぽかんと口を開いた。少しして言葉の意味が頭に入り、慌てて口を閉じ、咳払いした。
「あの、ええっと、結婚……?」
「ああ」
アンジェリカの好みの男性は、大きく頷いた。
「俺の名前はリュスカ・スコレット。俺はこの国に留学に来ていてね。今日このあと、国に帰る予定だったのだが、よければ一緒に来ないか? この国にはもう居づらいだろう? 結婚したくないとごねていた俺が結婚相手を連れ帰ったとあれば、大喜びで迎えられるよ」
確かにもうこの国には居づらい。アンジェリカに非がないにしても、人々の好奇の目に晒されるだろう。何よりすごい言葉遣いで罵倒してしまったし。引きこもりになるからいいかと思って。
でもだからと言って急に結婚できるかと言えば否である。
というか誰だ。初対面のはずだ。そのはずだが、名前には聞き覚えがある。
「――もしかして、スコレット公国の、三男様では……?」
アンジェリカの確信を持った問いに、リュスカは頷いた。
「ああ、身分的にも釣り合うだろう?」
釣り合う、釣り合うが、いきなり結婚とはどういうことだ?
アンジェリカが混乱していると、リュスカがアンジェリカの手を握る。アンジェリカの胸はときめいた。オーガストでは一切感じたことがないあまずっぱい気持ちだ。
「君の軽快な叫びは実にスカッとしたよ。俺は大人しい女性より君のような女性がタイプなんだ。ダメかな?」
「い、いえ、ダメというか」
ダメというより、急ではないかと思っているだけだ。
リュスカがにこりと笑った。
「アンジェリカ、どうか俺の妻になっておくれ」
アンジェリカはクラリと眩暈を感じた。こんなに誰かに求められたことはいまだない。
急だとかもうどうでもいい。顔がいい、顔がいい!!
「結婚いたします!」
アンジェリカが大きな声で返事をすると、リュスカが笑みを深くした。