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秘書の片桐に連れて来られたのは、『ウェヌスタ』の社長室…ではなく、隣接するホテルの一室だった。
「社長、失礼いたします。」
「3日とかからなかったな。見事だ、本庄君。」
テーブルには、色とりどりルームサービスのご馳走が並んでいる。
「…恐れ入ります。」
「座ってくれ。昼がまだだろう? 好きなだけ食べるといい。」
一色社長は、満面の笑みを浮かべる。
女なら誰しもが目をハートマークに変えてしまうだろう、一色湊人のキラースマイルも、ハナには逆効果だ。
(自分の武器を分かっていて全面的に押し出してくる辺り…あざといわ…)
「社長、約束の方は守っていただけますか?」
「もちろんだ。庶用務課全員のクビは取り消し、君の配属もとりあえずは、変えない。」
「とりあえず?」
「まぁ、早く食べなさい。好きなんだろう? ここのホテルのケーキ。」
(そんなことまで調査済なんて…)
「…いただきます。」
空腹時の誘惑に耐えきれず、ハナがケーキを一口頬張る。
(やっぱりおいしい…! ここのホテルのケーキは高いから、いつもは月に一度給料日に買って、1ピースをゆっくり味わって食べるけど、今日のテーブルには新作も含めて何種類ものケーキが並んでいる…!!)
思わずハナの頬が緩む。
ふと、視線に気付いて顔を上げると一色社長がじっとこちらを見ていた。
「社長、わたしの顔に何か付いてますか?」
(何故なんだ…彼女の笑顔をみて今、一瞬胸がひどく疼いて…いや、気のせいだ…最近『ウェヌスタ』に来たばかりで激務だったから疲れて動悸がしただけだ。)
一色湊人は、咳ばらいをして気を取り直したように口を開く。
「…モデルの『サクラ』は、これからは、プライベートでも全てウチの会社の商品を使ってくれるそうだ。すでにSNSにもアップしてるし、大変な宣伝効果だよ。」
「そうですか。」
(千勢…そこまでしてくれるなんて…。まさかとは思うけど、社長が彼女に何かしていないか聞いておかなければいけない。)
「それで社長、単刀直入にお聞きしますが『サクラ』さんとお付き合いを?」
「なんだ急に?」
「お応え願います。」
「ハッ、気になるか? 君も俺に惚れたのか?」
「君も?!」
ハナはフォークをテーブルに叩きつけて身を乗り出す。
(この男…まさか既に千勢に手を出してるんじゃあないでしょうね。)
本気で睨むハナを、一色湊人は不思議そうに見返した。
「…冗談が通じないな。「サクラさん」とは良い友人として付き合うことにしたよ。」
一色社長はうつ向いて、少し懐かしそうに微笑む。
「…そうですか。社長のお言葉を信じます。」
(今の一色湊人の表情…『サクラ』が前世の千勢のことだと知っているみたいだった。よかった、それなら彼女に下手なことはしないだろう。)
「なんだ本庄君。まるで恋人みたいな言い様だな。食事に誘ったくらいで勘違いするなよ。悪いが、君のような容姿の女性には興味がない。」
急に不機嫌になった一色社長に、ハナは驚いて目を見開く。
「…。」
本来、普通の女性なら社長の失礼な発言に腹を立てるか、ショックで泣き出しそうなところだが、疑似恋愛の達人「桜木花魁」だったハナは気付いてしまった。
(この男、私…本庄ハナを女性として意識し始めている…!フェミニストで有名なプレイボーイ、一色湊人がある意味「素」の感情を見せた。不機嫌なイラ立ちは、ハイスペックな己が、一瞬でも地味OLに心動かされてしまったことに対する拒絶反応…。そして「恋人」という単語を出してくる辺り…それは紛れもなくそういう対象としてハナを見てしまったということ…これはマズイ…非常に良くない傾向だ…これ以上親しくなるのは何としてでも避けなければ…)
「社長…ヒドイ言い様です。社長に一目惚れでしたのに…」
ハナはショックを受けたようにハラハラと泣き出した。女が被害者面して大袈裟な涙を見せると、大体の男の気持ちは冷めるものだ。
そのスピード、量ともに大女優も顔負けの『桜木花魁の女泣き』は、前世から無駄に引き継がれたハナのスキルだった。
(子どもの頃、マラソン大会でどうしても学校に行きたくない時、一度使ったことはあったが、こんなところで再び披露することになるとは…)
一色社長はハッとして我に返って…
そして面倒くさそうにため息を吐いた。
「社長…」
見かねた秘書の片桐が、一色湊人に封筒を渡す。
「すまない。言い過ぎたよ本庄君。ほら、これ約束の『ライスボールマン』のお笑いライブのチケットだ。すごく行きたがっていたろう?」
「!」
(うわ、すごい最前列だ…!今までどんなに頑張っても取れたことないのに! 嬉しすぎる!!)
思わず緩みそうになる頬を、ハナは必死に引き締める。
「ありがとうございます…二枚も…」
「あぁ、そうだ、誰かと楽しんで来るといい。ほら、本庄君。涙を拭きなさい。」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃのハナの顔に、一色湊人が上等なハンカチを差し出す。
「ありがとうございます…でも、私は友達もいませんし…社長と一緒にライブに行きたい…」
ハナは、そう言ってハンカチを握る一色社長の手ごと、ぐいっと自分の方に引き寄せ、頬ずりをする。
「…っ! 本庄君、悪いが君の気持ちには応えられない。」
一色社長は慌てて、ハナの頬から自分の手を離そうとする。
(ふふ、あと、一押し…)
ハナは、思わず溢れた微笑はそのままに、一色湊人を見据えた。
「これでは、見返りが足りません。」
「どういうことだ?」
一色社長が眉をひそめる。
「今回のことで、私が『ウェヌスタ』にもたらす利益を考えてみて下さい。それが、高級ランチやライブのチケットごときで、本当に精算できるとお思いですか?」
不適な笑みを浮かべるハナに、先に嫌悪感をあらわにしたのは、秘書の片桐だった。
「社長に振られた途端に、現金を要求してくるなんて最低だな。」
片桐は、まるで汚い生き物を見るかのような蔑んだ視線をハナに向ける。
「何とでもおっしゃって下さい。ただ、サクラさんは、私の一声で、いつでも『ウェヌスタ』のイメージモデルを降りるでしょうね。」
「…わかった。」
そう言って小切手を切る一色湊人の冷たい瞳に、ハナは心の中で勝利のガッツポーズをする。
(危なかった…! こんな地味な容姿だから油断していた…今世では、絶対に男関係の面倒はごめんだ…!!)
ハナは、小切手を受け取ってから、残ってしまったケーキをちゃっかり持ち帰り用に包んでもらい、そそくさとホテルを後にした。




