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翌日―――――

ハナは、商品開発部門の研究室にいた。


「本庄さん、頼まれた口紅のサンプル、いくつか作ってみましたけど。」


「ありがとうございます。」


ハナが受け取ったのは、落ち着いた色合いの口紅だった。


「ちょっと、地味すぎないか?」


ハナの背後から、口紅のサンプルを覗き込むように、一色社長が姿を現す。半眼になるハナを余所に、女性が多い研究室の雰囲気は、一気にソワソワと色めく。


「社長、何かご用ですか?」


ハナは、至近距離に近づいた社長から、一歩、距離を取る。


「いや、昨日の成果を聞こうと思ってね。モデル事務所に行っただろう、『サクラ』には会えたのか?」


「いえ。」


「それなら、君はこんな所で何をしている?」


「イチイチ、報告が必要ですか?」


「昨日の夕方と今朝、俺が電話したのに、君は出なかっただろう?」


「時間外の業務は、致しかねます。」


「何だと?」


若いとはいえ、グループの御曹司である社長に対して、歯に衣着せぬ物言いのハナに、周囲の方がハラハラと狼狽えている。


「社長、申し訳ありませんが仕事に集中したいので3日間は静観していただきたいのです。それで開発リーダー、この口紅の色合いですがもう少し自然の渋味を活かして―――――」


社長に背を向けて、研究室の社員に話しかけるハナに、周囲は呆気に取られつつも、真剣なハナのペースに乗せられ、だんだんと各々が仕事モードに戻っていく。

いよいよ、置いてけぼりされた若社長に、傍に控えていた男性秘書の片桐は、込み上げた可笑しさから、プッ、と吹き出した。


(この俺の存在を…ここまで無視する女がいるなんて…)


所在なく一人立ち竦む社長は、モデルような素晴らしいルックスが、ここでは裏目に出て余計いたたまれなく映る。

そこに助け船を出したのは、秘書の片桐だった。


「社長、そろそろ次の予定の時間です。」


「う、うむ…それなら仕方ないな。本庄君、明後日は楽しみにしているぞ。」


一色は、背を向けるハナの肩を、グイッと掴んで、もう一度自分の方に向けさせた。


「…はい。ではまた明後日(・・・)


ハナは、肩に乗せられた一色の手を一瞥し、面倒くさそうにため息を吐いた。


「おい、その態度は―――」


スッチャッララ~チャカチャ~♪


その時、ハナの携帯が鳴る。ちなみに、着信音はお笑い芸人『ライスボールマン』のラジオ番組のテーマ曲だった。


「「あっ!」」


着信の相手は、モデルの『サクラ』本人からだった。



待ち合わせに指定されたのは、個室のあるオシャレな喫茶店だった。


「どうして、私の一番の好物を知ってたんですか? 公表してないし、誰にも言ってないのに……」


モデルの『サクラ』は、少しつり目の大きな瞳が印象的な女性だ。

染み一つない白い肌、小さな顔に長い手足は、良くできたフィギアのように美しい。


「大黒屋のまんじゅうですか? お気に召していただけたなら、良かったです。」


実のところ、ハナは、前世で(ゆかり)のある人物に出逢うと、それが誰の生まれ変わりか、大体、分かってしまう。モデルの『サクラ』は、十中八九、同じ妓楼(みせ)の妹分、『千勢(ちせ)』という女の子だ。そして、江戸初期から続く老舗、大黒屋のまんじゅうは彼女の大好物だった。どれくらい好物かと言うと、大黒屋の包みを目にしただけで、泣いて喜び、お腹を壊すほど食べてしまうくらいだった。


「サクラさん、『ウェヌスタ』とのモデル契約の件、考えてはいただけませんか?」


ハナは、早速本題を切り出す。千勢はストレートな性格だったから、あまり回りくどい方法は好まないだろう。


「…随分、単刀直入ですね。嫌いじゃないわ。でも、無理ですね。ご存知の通り、私はずっと叔父の会社の『ピアフ化粧品』のイメージモデルですから。」


「そうですか。実は、今日はサクラさんをイメージした、口紅のサンプルをお持ちしたんです。まだ試作段階ですが、それだけでもご覧になっていただけませんか?」


ハナは、独特の濁りのある力強い色味の口紅を、テーブルに並べた。


「…これが、私のイメージですか?」


サクラは、身を乗り出して興味深そうに眺めながらも、少々戸惑っているようだった。


(無理もない。サクラは、今まで爽やかな清純派のイメージだったから、透明感のある、明るく淡い色合いの商品のモデルが多かった。)


「サクラさんが、今度女優デビューするドラマの役は銀座のクラブのナンバー1でしたっけ。こう言ってはなんですが、学生にしては随分、背伸びされていますね。」


「失礼ね! あなた一体――」


「この口紅なら、その役柄にも馴染みますよ。ウチとの契約は別にして、よかったら差し上げます。」


(千勢のことだから、プロテニスに勉学、女優にまで挑戦してみようと、きっと毎日、血の滲むような努力をしているんだろう…。そういえば、前世でも早く姐さんみたいな一人前になりたいと、稽古ごとも、誰よりも長いこと励んでいたなぁ…)

懐かしさから、フッと微笑むハナに、サクラは、何故か心が惹かれるものを感じた。

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