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「クビは、取り消してもらいましたから、安心して下さい。」


ハナは、庶用務課に戻るなり、メンバーの3人に伝えた。


「えっ? マジスか?! 先輩っ!!」


アンチ一色湊人のサイトに、ディスコメントを書きまくっていた、篠崎まいが思わず立ち上がる。


「えぇ。」


「本庄君、一体どうやって…」


下平課長は、早くも退職の荷造りを始めていた手を止める。


「あぁ。やっぱり、本庄さんは庶用務課の救世主だわ…」


放心状態で、デスクに突っ伏していた武藤かおりは、顔を上げて涙ぐんだ。


そして、3人は驚きながらもホッとした顔をして、ハナを取り囲んだ。


「あまり詳しい事情は話せませんが、私はとりあえず3日間、ここを留守にするのでよろしくお願いします。引き継ぎとタイムスケジュールは、デスクトップのファイルに入っているので、各々確認して下さい。」


「「「了解!」」」


(3人とも、生気を取り戻してくれてよかった。あれこれ細かく聞かないで動いてくれるもの、ありがたい。) 

ハナは、その足で早速モデル『サクラ』の事務所へと向かった。



ハナが立ち去った後の社長室で、一色湊人は、高層ビルの大きなガラス張りの壁際に一人佇んで、しばらく外の景色を眺めていた。


本庄ハナ…冴えないOLを絵に描いたような容姿の女だが、こちらを見据える瞳の鋭さには、一瞬、心臓が跳ねた。

今までの人生で、自分と目が合った女性は、一様にすぐにとろりと溶けたような眼差しになるか、せいぜい恥ずかしがってすぐ視線を逸らしてしまうかのどちらかだった。あんなに自分を真っ直ぐに見据えてくる女なんて初めてだ。


(気に入らん…)


幼い頃から学んだ帝王学然り、人身掌握の術は完璧なはずなのに、あろうことか、一介のOLが放つ空気に呑まれそうになるなんて、何という屈辱だろう。

(秘書から報告を受けた時、大いに使える人材だとは思ったが、果たして自分に飼い慣らせるだろうか…。)今まで仕事上、感じたことのない焦りのような感情が、ふと己の心に生じたことに一色湊人は驚く。


「ハッ、面白い。」


子会社のOLすら、使いこなせなくて、グループ全体のトップなどなれるはずもない。


(決めたんだ。今世こそ前世の想い人、『桜木花魁』に見合う最高の男になって必ず俺が彼女を幸せにすると…)


前世では、彼女の商売柄、ライバルが多数存在した。それも名だたる商家に、大地主、旗本のお坊ちゃんに挙げ句の果ては大名家のお殿様まで。伝説の遊女「桜木」は一流の男達を次々に虜にしていった。馴染み客が増えていく度に、何度嫉妬で狂いそうになったことか…。今世こそ、彼女の唯一無二の男になりたい。そのためなら人でも会社でも何でも利用してやる。


(生まれてくる前に神に伏して頼んだんだ。たった一つの願い…来世でも必ず彼女に出逢わせて欲しいと。)


一目、相まみえればきっと分かるはず。前世で焦がれるような恋をした、あの天女のような美しい(ひと)を自分が見誤るはずがない。


「もしかすると…」


一色湊人は、意を決して携帯を手にした。



「は? モデル『さくら』との会食のアポですか?」


モデル事務所の前に到着した、本庄ハナが、電話の主である一色社長に応える。


「そうだ。モデル契約の結果がどうであれ、俺と会う約束を取り付けてくれ。少しの時間でも構わない。」


至って、当然の上司命令のような口調で言われたが、これはいわゆる職権乱用というヤツではないだろうか。


「それは、私の仕事の範囲外です。」


「社長命令だ。」


「承服しかねます。」


二人の間に、剣呑な空気が流れる。


「…お笑い芸人『ライスボールマン』のライブの最前列のチケット、欲しくないか?」


「なっ…!」


(この男…私の大好きな芸人まで、すでに調査させているなんて、侮れない。)


「もし、『さくら』との会食を設定してくれたら、君にチケットをやろうと思っていたんだが、嫌なら仕方がな―――」


「お待ち下さい!やります。」


食い気味にハナが返答する。


「フッ、君ならそう言うと思ったよ。俺のスケジュールはさっき送っといたから。せいぜい頑張ってくれたまえ、本庄君。」


満足そうな声と共に、プツッと電話が切れた。

(くっ、思いがけず、弱味を握られてしまった。それにしても、前世から、相変わらずの女たらし…!)


一色湊人の前世は、高利貸しで財を成し、のちに藩政にまで影響を及ぼした豪商『菊川屋』の三代目、名は『清衛門(せいえもん)』といった。通常、吉原では浮気をせず同じ遊女と遊ぶのが粋とされていたが、そういえば、この男は、当時から同時に複数の遊女と馴染みになっていた。普通なら、客と言えど袋叩きにあってもおかしくないところだが、通称『清様(せいさま)』に至っては、何故かその状態が当たり前になっていた。金遣いも豪快で、スマートに遊ぶ色男『清様』は、遊女のみならず、廓で働く誰からも好かれていた。歌舞伎役者にも負けない眉目(みめ)の、彼が妓楼に現れるだけで、なんとも華やいだ浮わついたような空気になったものだ。

そう、ちょうど先ほど彼が黒塗りのリムジンから会社のロビーに現れた時のように…。


「おぇ…」


あんまり思い出したくもない前世を思い出してしまった。


(とにかく、チケットさえもらえればいいや。)


モデル事務所の受付で、案の定、ハナは門前払いをされた。


「では、これを彼女にお渡し願います。」


ハナは、ここへ来る途中で購入したお菓子、『大黒屋のまんじゅう』の手土産を受付嬢に預けた。

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