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確かに、庶用務課は左遷された者や、会社でいわゆる「使えない」と烙印を押されたものが集まったところだった。ただ、期待されていない分、業務の負荷は少なくもちろん残業もない。ハナは、もともと花形と言われるマーケティング課に所属していたが、そこでは、成果を挙げれば挙げるほど忙しくなり、プライベートな時間が削られていった。それが嫌で、ついに、わざと直属の上司の不倫を本妻にバラし…今に至る。

3年前に配属になった庶用務課は、何の責任もプレッシャーもない、一見、天国のようなところだった。しかし、怠惰な時間が長続きしすぎたせいか、庶用務課全員の目は死んでおり、いくら大企業と言えどこのままでは庶用務課の存在自体が危ういのでは、とハナは感じた。

だから…


「お茶出しは、顧客の好みを把握して淹れているね。それこそ、種類や熱さ、時間に至るまで気を配っている。手土産の買い出しなんかも同様だ。管理している社内の備品は、一切の無駄を省き、予算内でより質の良いものに変えていった。そう…君はその過程で、文房具の取引業者と一社員の不正な癒着も明らかにした。プレセン資料は、コピーする前に誤字脱字のチェックはもちろん、数字や内容の修正案まで加えることがある。今や、企画書の類いは、一度は庶用務課を通すことが暗黙の社内ルールのようになってるようだ。ここまでくると、君がここの社長みたいだな、ハハ。」


楽しそうに話す一色代表の、瞳の奥は異様に鋭い。


「…。」


(確かに、庶用務課がこの会社で生き残るために、密かに動いてきた。…が、ちょっと動き過ぎたかもしれない…。)


ハナは薄ら笑いを浮かべて目を泳がせる。


「そこまでご存じなら、庶用務課の廃止は、お考え直しいただけないでしょうか? メンバーの社員達も決して無能ではありません。」


ハナは、深呼吸してから真っ直ぐに一色代表を見る。


「確かに、庶用務課を残して欲しいと他部署からも進言があったことは事実だ。でも、僕が欲しいのは、あくまでも君個人だ。」


「で、ですが―――」


「話は以上だ。明日から、この部屋の隣にデスクを用意するから、そこに来るように。ほら、これまでの君の報酬だ。あと、給料も今の3倍にしてやろう。」


一色代表は、小切手の紙を、ハナに向けて軽く投げるように机に落とすと、手元の資料に再び視線を戻した。

(この強引な性格…お金で人を動かせると思っているところも、全然、変わってない。)


「嫌です。」


「何だと?」


「庶用務課のメンバーをクビにするなら、私も辞めさせていただきます。」


「…これじゃ不満か?」


一色代表は、書き忘れた句読点でも打つように、小切手にゼロを一つ加えた。


「こんなものいりません。」


ハナは躊躇わずに、小切手を破り捨てた。


「っ…」


一色代表が、驚いて顔を上げる。


「本気で言ってるのか?」


珍しい生き物でもみるような表情の一色を、ハナは長い前髪の間から、鋭く見つめ返す。


「もちろんです。今までお世話になりました。」


ハナは、一礼して一色代表にクルリと背を向ける。これには、控えていた美しい秘書の男もあっけにとられていた。


「ま、待てっ!」


思わず立ち上がった一色代表に、ハナは手首を掴まれた。


「俺も、単刀直入に言おう。この会社の売り上げを、一年で10パーセントアップさせたい。それには、君の力が必要だ。」


「10パーセント?! そんな化け物みたいな数字…」


ハナは驚きの声を挙げる。


「俺も経営のプロだ。それがどれだけ無茶なことか分かってる。だが、祖父はそれを、俺を一色グループの頂点に据える条件にしたんだ。」


「はぁ。それは大層、個人的な事情で…」


(バカらしい…確か、一色湊人には、腹違いも含めて何人か、跡取り候補の兄弟がいたっけか…。要するに『ウェヌスタ社』は、お家の跡目問題に巻き込まれた。恐らく、比較的小規模な会社だから、たとえ潰れても、グループ全体の損失が小さくて済むから…実験台にされたのだろう。)


それにしても、綺麗な顔だな。少し余裕を欠いたキラキラハーフ美男のドアップも、これまた一興…なんてことを考えながら、ハナは静かに口を開いた。


「では、庶用務課のメンバーのクビを取り消して下さい。そうしたら、微力ながら、ご協力させていただきます。」


しばしの沈黙が、社長室を包む。


(手首、痛い…早く離してくれないかな。)


「では、チャンスを与えよう。」


「は?」


「モデルの『サクラ』、知っているだろう?」


「え? はい。もちろん、存じております。」


(全国美少女コンテストで優勝して、現在はプロテニスプレヤーでありながら、一流大学で弁護士資格を目指す、才色兼備のスーパーウーマン。最近、世界大会でベスト16に入ってからは、老若男女問わず、その人気は留まることを知らない。)


「彼女を、新たにウェヌスタ(うち)のイメージモデルとして起用したい。」


「彼女は、現在ライバル会社の『ピアフ化粧品』とモデル契約してるはずです。しかも、ピアフの経営者は、彼女の親族ですけど。」


「そんなことは、分かっている。まだ、表沙汰にはなっていないが、今度、彼女は高視聴率の連続ドラマで女優デビューするんだ。この機会を逃す手はない。」


(確かに、彼女を起用すれば世界の舞台と人気ドラマで、大々的に『ウェヌスタ』の宣伝ができる。好感度も抜群だから、イメージモデルとしては、喉から手が出るほど欲しいだろうけど。)


「まさか…」


「そう、君が口説き落としてこい。それが出来たら、庶用務課の存続とメンバーの全員の雇用を保証しよう。出来なければ、庶用務課は廃止、予定通り、君一人が会社に残り俺の隣にデスクを構えてもらう。」


「なっ…」


(そんな無茶な…)


「どうする?」


一色湊人が、前世からお馴染みの、挑発的な笑みを浮かべる。

(この男、私が断れないって分かって言ってる…悔しい…でも…)


「やります。社長も、おっしゃったからには約束は守ってください。」


ハナは、未だに一色代表に掴まれたままの手を振り払う。


「もちろんだ。1ヶ月、時間を与えよう。」


「3日で結構です。」


「ハッ、上等だ。よろしく頼む。」


ハナは、握手に差し伸べられた、一色湊人の彫刻のようにスラリとした形の良い手は取らずに、さっさと社長室を後にした。

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