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13

翌朝――――


「本庄先輩、ここミスってます。」


「え? あっ、ごんめんなさい、篠崎さん。」


(私としたことが…。昨夜、一色湊人撃退作戦に頭を使い過ぎたせいだろうか。)


「あれぇ、本庄さんが珍しいですね。お疲れなら、僕がマッサージして癒して差し上げましょうか?」


「何で朝っぱらから片桐さんがいるんですかっ。」


ハナは、勝手に肩を揉み始めようとする社長秘書・片桐の手をバシッ、と振り払う。


「やだなぁ、本庄さんが言ったんですよ。『また明日』って。でも僕、あなたにならヒドくされても構いません!」


片桐は頬をポッとさせながら、ハナの好きなハーブティーを淹れはじめた。


(片桐さん…社長秘書なら昨日の騒ぎを知らないはずはない。今朝、一色社長の記事や写真が出回っていないのも、恐らく彼が裏で手をまわしたせいだろう。)


「さっ、本庄さん。気分転換にハーブティーをどうぞ。それと念のため胃薬も。」


(…! 確かに昨日は社長からのケーキが美味しくて食べ過ぎたから、多少胃がもたれている。あの花束とケーキを手配したのもこの男だったのか。) 


「本庄さん、お腹の具合が悪いの?」


武藤かおりが、心配そうにハナのデスクを覗き込む。


「いえ、大丈夫です。武藤さん。」


「熱はないみたいだけどなぁ。」


片桐の手がハナのおでこに触れる。


「ちょ…触らないで下さい!」


再びハナが片桐の手を振り払おうとした時、庶用務課の重い扉が、ギィィーと開いた。


「「「「 社長!! 」」」」


朝でも薄暗い庶用務課の室内とは対照的に、表舞台に立つべき人間が放つ華やかなオーラを纏った一色湊人が現れる。庶用務課一同の視線が、社長秘書・片桐に集まる。


「どうかしましたか? 外部との会議は午後からですよね?」


そう言う自らの秘書を一瞥した社長は、ツカツカとハナのデスクまで歩み寄り、二人の間に割って入る。


「話がある、本庄君。一緒に来てくれ。」


「分かりました。」


(来た。予想よりも大分早かったけど…)

ハナはすんなりと席を立って社長と一緒に部屋を出ていこうとする。


「待って下さい、僕も―――」


「お前はまだここにいていい。彼女の分もこの課の仕事を手伝え。」


一色社長は、後を追おうとする片桐を制し、バタンッと大きな音をたててドアが閉まった。


「…。」


(今の社長の目つきの鋭さは、本気の時のヤツだな…)


片桐の表情から笑みが消える。


最上階の社長室は、大きなガラス張りの窓があるため、明るさに目の慣れないハナはパチパチと瞬きをする。


「社長、お話とはなんでしょう――――っ」


急に目の前が真っ暗になり、数秒後、一色社長に抱き締められていることに気づいた。


「やっと…やっと出逢えた。もう君を離さない…桜木(・・)、いや、ハナコ…!」

 

――――――――!!


(ついにバレてしまった…一体いつ…? それにしても、彼も前世の記憶を持っていたのか。)

『ハナコ』という名は、前世で花魁・桜木が、彼にだけうっかり明かしてしまった本名だった。


「何をおっしゃっているのか分かりかねますが。」


(落ち着いてハナ。たとえ前世がバレたとしても、絶対彼から逃げ切ってみせる。)


「君は、前世の記憶がないのか?」


一色社長の形の良い手が、そっとハナの頬に触れる。美しいご尊顔が、息づかいが分かるほどにどんどん迫ってきている。


「前世?」


(ここで、一歩でも引いたら負けだ)

あえてハナは、微動だにしない。


「前世で俺たちは恋人同士だった。今世でもずっと君を探してた。」


そのまま頬を優しく撫でられて、腰に回されたもう片方の手は逃がさないとばかりにグッとハナを引き寄せる。


「どうして、私をその恋人だと?」


「簡単だ。君の笑顔…こんなに胸が高鳴った女性は君が初めてだ。」


全身を真っ直ぐに貫くような、一色湊人のブルーグレーの瞳に、ハナの心拍数が上がる。


(っ、有無を言わせない迫力がすごい…でもここで目線を反らしてはいけない)


「それだけですか?」


「他に何が必要だ? あぁ、夢のようだ、本庄君…いや、ハナと呼んでもいいか?」


大切な宝物を愛おしむような…それでいてどこか焦れたように持て余された一色湊人の甘い熱が、ハナの全身をジワジワと侵食していく。


(大丈夫。前世がバレていることも想定内だし、昨日あんなに作戦を脳内でシュミーレションしたんだから…)

ハナは、秘かに自分の腿をつねって気合いを入れてから、とびきりの笑顔をつくる。


「もちろんです。『ハナ』と呼んで下さい。私は社長に嫌われているのかと思っていましたから、光栄です。」


「『嫌われている』か。それは頭のいい君が、嫌われるように仕向けていたんだろう? その理由が知りたい、ハナ。」


(早速、名前呼んできたし…)

一色社長の親指がハナの唇に触れる。

(この男…口を開かなければ、このままキスするつもりだ)


ハナは、一色湊人のやや薄い唇をサッと避けて、彼の耳元で囁く。


「怖かったんです、社長のことが好きすぎて。あなたを失うのが…」


「っ!なにを――――っ…!」


ハナはポケットに仕込んだ麻縄で、一色社長の首をギリ、と締めた。


「ふふ、私、好みの男性の首を締めて、苦痛に歪むの顔を見るのが大好きなんです…特に社長のことは、好きすぎて殺してしまうかも。」


(逃げ出さずにはいられないほど、危ない女を演じる。これしかないと思った。)


「…っ」


一色湊人の美しい眉が苦痛に歪む。


(苦しそう…でもこれだけヤバい女だと分かれば、諦めてくれるだろう…)

そろそろ緩めようと、ハナが腕の力を抜いた瞬間―――


「…っく、もっ…とキツ…く締めないと…俺は殺せない…ぞ…桜木。」


一色社長は、逆にハナの手を掴みそれに自身の手を重ねて、自ら首を締め出した。


「…あっ」


(う、嘘?! 何を…?!)


「お前に…殺…される…なら…本望だ。ハナ…コ…今世こそ(・・・・)俺…を…殺せ…」


(…っ、このままでは、本当に息耐えてしまう!!)


「いやぁぁぁっ…清様っ!!」


ハナはその場に膝から崩れ落ち、同時に首の縄がハラリと解けた。


「はっ…ゴホっ…前世の俺の名前…やっぱり覚えてたか。」


一色社長が激しく咳き込む。


「っ、救急車を…」


「ッ…呼ばなくていい」


彼の首にはくっきりと赤い痣が刻まれていたが、意識ははっきりしているようだった。


「まさか…演技して騙したんですか?」


ハナの目からポロポロと涙が溢れる。


「脅かしてすまなかった。」


一色湊人はハナを宥めるように涙ごと何度も彼女の頬に口づけて、自然に抱き寄せて背中を優しく擦った。


(負けた…この私が…)

この時ハナが感じた敗北感は、前世で桜木が味わったそれと同じだった。


「でも、言ったことは全て本心だ。お前が望むなら俺を殺してもいい。だから今世こそ俺と結婚してくれ。愛してる。桜木…いや、本庄ハナ。」


(信じられない…このタイミングでプロポーズしてくるとか…悔しい、悔しい…!!)


「お断りしますっ!!!」


ハナは躊躇いもなく、一色社長の端正な顔をバチーンッと、引っぱたいて部屋を飛び出した。

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