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物心ついた頃には、思い出していた。なかなかに、壮絶だった前世を。
時は江戸、私は最盛期の吉原の遊女だった。しかも、数千人の中のトップ「桜木」という名の花魁で、一流の上客を何人も相手にしていた。
その人気は凄まじく、彼女に魅了されたのは吉原内を訪れた男達に留まらなかった。「桜木花魁」を描いた浮世絵は、バカ売れ。売れに売れてシリーズ化されたし、結った髪や施した化粧は、そのまま当時の女性たちの流行になった。
ここまでくると一見、現代の芸能人みたいな成功者に思われるかもしれないが、そこは、さすがに苦界といわれた吉原。トップに君臨した者でさえ、いや、だからこそ味わった辛酸は思い出しただけでも吐き気がするほど耐えがたい。
という訳で、「天下の桜木花魁」は、土下座までして神さまにお願いした。
『次に生まれ変わるときは、容姿も器量も人並みでいい。そして、平凡な幸せを味わいたい。』と。
◇
かくして、願いは聞き届けられ、伝説の花魁「桜木」は、今世では、普通のOL「本庄|ハナ」として、平々凡々たる毎日を送っていた。
「本庄さん、プレゼン用の資料のコピーまだ?」
「はい、ただいま。」
「こっち、コーヒー4つね。」
「はい。」
「あっ、2Fのトイレの蛍光灯が切れてるからよろしくね。」
「了解です。」
ハナの属する庶用務課は、今日も何かと忙しい。けれど、この会社を選んだのは、訳がある。大企業ならではの手厚い保証に加え、他社に比べて有休が多い。そして、この課に至っては、やることさえやっていれば、残業しなくてもよいのだ。
(自分だけの自由な時間…! なんて素晴らしい響き…!!)
前世では、24時間、監視されているに等しかったから、本当の意味での自分の時間なんてなかった。自由…それこそが、一番欲しかったものかもしれない。
(今日は、帰りにホテルのチーズケーキを買って帰ろう。あと、大好きなお笑い芸人のDVDの発売日だから、それもGETしなきゃ…! 明日は休みだから、今日は、いくら夜更かししてもいいんだよね…あぁ、楽しみすぎる…!!)
前世では、条件の良い身請け話もあったが、もろもろの事情があって、結局独り身だった。今世も、独身の一人暮しで、結婚する気などは毛頭ない。商売柄、男性の心理が手に取るように分かってしまうだけに、恋愛など何の面白味もないし、茶番の駆け引きに使う時間がもったいない。もちろん、この地味な容姿のせいで、全くモテないというのも大きいが。とにかく今世では、何に縛られることもなく、自由を存分に満喫すると決めたのだ。
◇
そんな平穏な毎日が、揺らぎはじめたのは突然のことだった。
「グループの御曹司が、うちの会社の代表に?」
庶用務課は、会社の地下3階にあった。陽の当たらない、倉庫のような
部屋の一室で、本庄ハナは、小首を傾げる。
「そう。一応、出迎えは社員全員でするみたいだから、みんな14時にロビーに行くようにね。」
庶用務課のメンバー4人のうち、唯一の男性で、細面に禿げ上がった頭の、下平課長がぼそりと言った。
「めんどくさーい。てか、うちの課なんて、行かなくても分かんなくないスか?」
半年前から庶用務課に配属になったパリピ女子、篠崎まいが不満そうに声を上げる。
「いや、一応は、行かなくちゃダメよ。それに、一色代表といえば、若くして、経営コンサル業で大成功を収めた超有名人じゃない。モデル並みのルックスっていうしせっかくグループの子会社に勤めてるんだから、一度くらいは拝まないと。」
キーボードを叩く手を止めて、珍しく興奮気味にそう言ったのは、ベテラン社員の武藤かおりだ。シングルマザーで、子供は小学校に上がったばかり。
「一色代表って、まさか、あの一色湊人のことですか? キャ~!!」
と、叫びながら、篠崎まいは早速、堂々と仕事のデスクで化粧を始めた。
「う~ん、妙だわ…」
本庄ハナは、眉をしかめる。一色グループといえば、古くは銀行や保険などの金融業からはじまって、今や、不動産、小売、ホテルや観光などのサービス業まで事業を拡大している巨大財閥だ。
ハナの勤める「株式会社ウェヌスタ」は、化粧品を主とした美容系の商品を扱う会社で一色グループの末端の子会社だ。設立してからまだ10年ほどだか、グループ独自のルートで質の良い原料を大量に仕入れ、クオリティの高い商品を手頃な価格で世の中に提供している。
(経営を建て直すほど、「ウェヌスタ」は業績も悪くないはずだし、それに、こんな子会社に来るより、彼を必要としている部門は、たくさんあるでしょうに…)
「わがまま御曹司の、気まぐれかしら…」
(この会社、特に秘書課は美人が多いし…)
仕事ができる男によくあることだか一色湊人も例に漏れず女性関係はかなり派手なようだ。海外のセレブやら女優やらとの色恋の噂は絶えず、プライベートでは銀座や六本木、京都の祇園にまで足を運んで相当遊んでいるらしい。
「まもなく、一色代表がお越しです。全員ロビーに集まって下さい!」
いつもは、避難訓練くらいにしか使われない社内放送がうるさいくらいの音量で流れる。
「はぁ…」
物々しい雰囲気に、一人白けた面持ちでハナはのんびりとロビーに向かった。




