【五大龍会議】chapter:3
ドレスベットを歩きながら観光しつつ楽しむアカネたち。
日も傾き、これから夜が訪れる頃合いに差し掛かってくると、この町は顔色をガラリと変えていく。
朝の早くから開いていた軽食店や屋台は今日の営業を終わる準備をはじめ、手慣れた人だともう帰り始めている。
では街道が静まり返るのかと言えば、そういう訳ではない。
「…この街はいつ来ても、昼と夜の境目が分かり易いな」
「どういうこった?」
「あぁうん、確かに分かり易くていいよね ホラあれとか」
アカネが指差す先にあったのは街道を照らす為の照明。それが今まさに灯された所だった。それも自動である。
周りを見れば、夜に賑わう酒場から、店員が出てきて看板を切り替えたりして街に夜の顔が見えてきた。
こうなってきた時、ある場所の照明が一段と強く輝いて嫌になるほどよく目立つ。
「いつ見てもすっごい目立ってるよねぇ、リュウグウキャッスル」
「光に弱い種族には酷だろうな」
下から多数の明かりで照らされ、白塗りの外壁が目立つし光を反射して眩しいしで見ていて目が痛い。
だがそれに見合うだけの意味はある。
「もう伝えていた頃合いだ、向かうとするか」
「あ!ちょっと待ってー!」
「腹減ってきたな 行こうぜ」
街道の店を満喫していたからか、少し時間を超えていたかもしれない。
アカネたちが速足で向かう最中も、通りの数々の店は夜の顔へと次々変わっていく。
もちろん、夜間に向けた飲食店なんかもあるわけで、そこから漂ってくる香ばしい香りが食欲を刺激する。
「あーっという間に… 到着っと!」
「いい運動にはなるが… リョウマを連れてこなかったのは正解だったな」
「リョウマ?誰だそれ お前のガキか?」
アカネの言う通り、街道の店をスルーしてあっという間にリュウグウキャッスルへと到着した訳だが、ここでジークの言っていた事の意味が分かる。
店の入り口近くではリュウグウと同じような着物姿の女性たちが、客としてやってきた人々の荷物持ちなどをしていた。
軽いサービスなのだろうが、その恰好に問題がある。必要以上に露出度が高いのだ。
いや常識の範囲内ではあるのだが、それにしたって露出度が高い。見えてる訳ではないが出るところは出ている感じ。
「ジークくんの弟子だよ。まだこれくらいの子なんだけど~」
「なんだ、てっきりお前らの子供かと思ってたんだが違うのか」
「っ!?! お前は何を言っているんだ」
「そそそ、そうだよ! 私とジークくんの子な訳ないでしょ?!恋人もまだ居ないよ私っ!?」
慌てる二人が顔を赤くしながらも、リュウグウキャッスルに近づいたからか店員の女性が近づいてきた。
所謂客引きなんだろうが、やっぱりこの人も露出度が高い。
「お客様方ー? 今日のお宿はお決まりですか?」
「ああ、元々ここに」
「ご夫婦用のそういう部屋もちゃーんとございますよ? 必要なものもしっかり取り揃えて」
「いやいやいやいや! ジークくんとは夫婦とかそういうのじゃ」
「そのジークの腕に引っ付きながら言っても説得力ねーぞ?」
半ば呆れ気味にアカネに注意しているのがこの誤解の火付け役だっていう自覚はあるのだろうか。
ないぞと言わんばかりに呆れた顔してるあたり、全くそんな自覚はないのだろう。
「お連れ様も、可愛い子いっぱい揃えておりますからね」
「は? うっせえよ いいからリュウグウ呼んで来い。アカネが来たって言やぁ分かる」
アカネとジークの焦りっぷりに味を占めた店員がマグナにも耳打ちするようにすり寄ってきたが、これが間違いだった。
鋭い目つきで睨まれて、ため息交じりに店員へ指示を飛ばす。下手にからかわれ続けていたら店の前でどうでもいい足止めを喰らいそうだ。
睨まれて短い悲鳴を上げた彼女は慌ててリュウグウキャッスルの中へと駆け込んでいったのを見送り、店の外で待つ。
店に入る前からアカネと一緒に居たい奴がすっ飛んでくるだろうから。
「だだだ、だって私まだそういうことまだだし私えっと」
「アカネ、落ち着け アカネに恋人は居ないしそういう経験もない。俺はただの付き人と言っただろう」
「……うん、そうだよね 落ち着いた。ありがとうジークくん」
「…お前らはそれでいいのかよ…」
呆れながらも二人が落ち着くのをしばらく見守っていると、リュウグウキャッスルの大きな門が大きな音を立てて開かれた。
爆発でもあったのかというような音にアカネたち含めてその場の全員がそちらを向くが、そこから出てきたのは巨人でも無ければ暴漢でもない。
「ア~~カ~~ネ~~お姉ちゃんっ!」
「ゆ、ユカリ?!」
飛び出してきたのは、引き摺る程長く大きな着物を着た、おしゃれに着飾るユカリだった。
そのまま突っ走ってきて、アカネに突進するようにぶつかってくる。
アカネほどの実力者でなければきっと無事では済まなかっただろうが、アカネが受け止めたからこそ足元の地面が少し割れる程度で済んだ。
「待ってたよ!アカネお姉ちゃん! ねえねえ遊ぼう?あそぼ!あそぼ!」
「わっとっと… そうだねー、何して遊びたい?」
「えっとねー!えっと… ひゃわぁぁっ?! リュウグウ?離してよー! アカネお姉ちゃんとあーそーぶーのー!」
元気いっぱいに飛び出してきたユカリだったが、すぐに水で出来た手がユカリの首根っこを掴んで引き剥がした。
見れば後を追う様にリュウグウが出てきて、苦笑いしながら扇子をこちらに向けていた。
水の手を操っているのだとすぐにわかった。機械のリモコンを操作するような感覚で、杖を使うように扇子を向けて彼女は苦笑いを浮かべる。
「あっはは、ごめんねアカネちゃん。買い物とかで疲れてるでしょ? ほら、ユカリちゃん?」
「うぅ… お荷物お預かりしまーす お仕事終わったら遊んでね!」
まだまだ話したいこともいっぱいあっただろうが、仕事が先だと理解してくれてよかった。
このままアカネと遊ぶのを最優先にするとわがままを言っていたらどうなっていた事やら。
「やれやれ…ちゃんと手綱も握ってられないのかね、後輩は」
「暴走してる時のユカリちゃんの勢いは先輩だって知ってるでしょー? そっちだってユカリちゃん暴走したら止められないクセにー」
「なんだテメー? それは俺が弱いって言ってんのか? 上等じゃねえか!」
「うわぁ怖い そうやってすーぐ暴力に頼るからツガイになりたがる可愛い子も見つからないんでしょ?」
ギャーギャーと騒ぎ始めた二人を半ば置き去りにしながら、アカネとジークはユカリに案内と荷物持ちを任せて城の中へと入っていった。
その内装は豪華と一言で言いきるにはもったいないくらいに綺麗で鮮やかだった。
フロントロビーである大広間は、イベント等でのダンスホールに早変わりする事もあるんだとか。
多種多様な客がそれぞれに着飾って、綺麗な女性たちを伴って歩き回っているのはそれだけここリュウグウキャッスルの格が高いという事の表れだろう。
「…今更だが、あの二人を放置しておいてよかったのか?」
「大丈夫大丈夫ー リュウグウとマグナってああいう感じになってもいっつもなんだかんだ元通りになってるから」
「それにヒートアップし過ぎてたらユカリが止めちゃうもんね」「ねー!」
仲良く話しているとフロントに到着。受付をしている女性が対応してくれて、事前に説明されていたのもありすんなりと部屋を借りることができた。
手続きをしている間に戻ってきたマグナも部屋の手続きをしていったが、その表情はどこかモヤモヤとしたものだった。
その原因は一緒に戻ってきたリュウグウの顔を見ればおおよその察しはつく。
やりきってスッキリしたとでも言うような、勝ち誇った顔が営業スマイルに隠れきれずはみ出している。
どうやらあの言い争いはマグナが論破されて事なきを得たようだ。
「うぅ… どうにも納得いかねえ…」
「内容はともあれ、時には潔く負けを認めるのも男の務めと言われているそうだぞ?」
「ぐっ… しょうがねえ…か…」
「どうした赤いの? えらくしょぼくれてるじゃないか」
負けたようで悔しいのもあるだろうが、それも一旦は飲み込んで手続きを済ませた所で見知った顔が声を掛けてきた。
どっしりとした体格で細目の、優しそうな雰囲気を持つ初老の男性といった風貌の彼がマグナの肩に腕を置く。
「うっせえ あと重いんだよジジイ!」
「ガイアお爺ちゃん、いらっしゃいませー」
「ユカリちゃんも元気そうだなぁ! そんで…」
ガイアと呼ばれた男は、わしわしとユカリの頭を撫でてそのまま今度はジークの所へ向かう。
横に居るアカネには、無視しているとかといった感じではなく気付いていないように思える。
まぁわざと大人しくしていようとするアカネの態度のせいもあるかもしれないが。
「今日は番連れとは、あの頃からずいぶん成長したなぁ青年」
「つがっ?!」
「そちらは随分衰えたようだな この娘が誰かも分からないと見える」
またしても夫婦に間違えられて恥ずかしそうに顔を背けるアカネを、ジークはあえてガイアの前へさりげなくそっと押し出す。
何やらぶつぶつと文句を垂れているアカネの顔を見て、少し思い悩むように首をひねる。
「んー…? あー… うーーん…? ひょっとして… アカネちゃんか?」
「そうだよっ! もしかして分からなかったの?!」
「いやぁスマンスマン、あんまりに美人さんになって気付かなんだ あっはっは!」
「ガイアのバカ! あとジークくんとはそういう関係じゃないよっ?!」
しっかり否定も入れつつ、ガイアを怒鳴る。とはいっても恥ずかしさから怒っているだけの可愛らしいものだったが。
怒られているガイアの方も悪いとは思っていてもアカネと会えた嬉しさが勝っているからかその表情は明るく楽しそうだ。
「どうかなぁ? ワシは結構お似合いだと思っとるが」
「ダメだよガイアお爺ちゃん アカネお姉ちゃんさっきもその話であたふたしてたから」
「ほほう、なら野暮ってモンか スマンね、お邪魔だったみてぇだ」
わははと笑いながら、アカネに軽く謝るとガイアはそのまま上の階へと向かっていった。
どうやら先に来ていたらしい。
「はぁ… 彼と会うといつも疲れるな…」
「ガイア、マイペースというか勢いがあると言うか… 悪い人じゃないんだけどね」
「早い所部屋に戻って休むとするか」
「さんせーい」
「マグナはあっち! ユカリが荷物持ちなんだからね」
二人して深いため息をついた所で疲れを実感したので割り当てられた部屋へと向かう。
別の部屋を取ったマグナは早々に引き離して、嬉しそうに笑うユカリがアカネとジークを部屋へと案内した。
いつもより高めの階にある部屋に通されて、ここでやっとその笑みの意味を理解した。
「そういうことか…」
「うおー! でっかぁーい!」
荷物を置いて、寝室への扉を開けるとそこにあったのは、二人で寝たとしてもスペースが余りまくるような巨大ベッドルームだった。
それこそ大型の獣だろうが余裕を持って快眠できるだろう。
ジークはそれを見てすぐに察した。人の姿をする必要なくドラゴンの姿で眠れる部屋の用意だったという訳か。
「んよいっしょぉ! あっはぁ!ふっかふかぁ!」
「ユカリもやるー! わっはーいっ! ふっかふかぁー!」
巨大なベッドに二人して飛び込み、跳ね回り楽しそうに笑う二人は誰が見ても子供そのものだ。
強いて言うなら、ユカリのような着物やアカネのようなドレス姿で跳ね回るのは服によろしくないのだが、どちらもそれを気にしてはいないのだろう。
五大龍会議の一人と竜の勇者と呼ばれる者の姿か、これが。
「二人ともはしゃいでいるな… しかし、どうして俺とアカネの二人部屋でこの大きさが必要に?」
「それはねー! お仕事終わったらー! アカネお姉ちゃんとー! 一緒に寝るからー!」
「そうか。俺は別に構わないが…ユカリ、まだその仕事の途中じゃないのか?」
「あっ…」
さっきまではしゃいでいたユカリが、ジークの一言を聞いてピタリと動くのをやめる。
イタズラがバレたのに気づいた猫みたいに完全に動きを止めているのは見ていて面白い。
ついさっきまで楽しそうに笑っていただけに指摘したジークの周りを罪悪感が走り回っていた。
「あ、アカネお姉ちゃん… ねぇ… お姉ちゃんも一緒に遊びたい…よね…?」
「うーん… どうせだったら全部お仕事終わらせた方が楽しいよ、きっと」
泣き落し作戦、失敗。
アカネが居る場所と反対側からジークの短いため息が聞こえてくる。
もうユカリに逃げ場なんてない。残された選択肢はひとつだけだ。
「頑張っておいで? 終わったらいっぱい遊んであげるから」
「うぅ… うん… 頑張ってくるね…」
説得されて落ち込み気味に重い歩調で部屋を出ていくユカリを見送る。
よほど離れたくなかったのだろう。尻尾はいつまでもアカネたちに振られていた。手を振っているように。
そこからはリュウグウキャッスルの誇る最上級のおもてなしの数々がアカネたちにやってくる。
いつも食べている冒険者飯とは似ても似つかない、上品で美味な料理の数々。
やってきた宿泊客を盛り上がらせる、リュウグウたちの美麗な舞の披露。
身体の芯から疲労が抜け落ちていくような極上の心地よさの温泉などなど。
そのいずれもが超一級といっていい。驚くほど高額な宿泊費に見合ったサービスだと言えるだろう。
ちなみにだが、食事も舞踊も温泉の準備も、ユカリがアカネの為にと頑張っていた。
だからこそ、しばらくして夜も更けた頃に仕事を終えて駆け付けたユカリの顔はとても明るいものだった。
同じく仕事を終わらせてユカリに引っ張られてきたリュウグウと共に、今夜は楽しい夜になりそうだ。
場違いかとも思ったジークだったが、どうやらアカネたちは彼を放置する気はないらしい。
「…それで? どうしてこうなっているんだ?」
「んふ~! なにこれおいひぃ!」
「お仕事頑張ってくれたんでしょ? そのご褒美だよ これをこうして…」
せっかくの豪華な大部屋が、はしゃぎまわるユカリと面倒を見るアカネのおかげですっかりぐちゃぐちゃになっていた。
綺麗に整えられていたはずのベッドのシーツは獣でも暴れたのかというほどにしわくちゃにされて見る影もない。
ふかふかにされていたであろう床のカーペットも今では走り回るユカリに踏み荒らされてぺしゃんこだ。
ミス・カーテンに用意してもらったアカネのドレスも、今ではすっかりくたびれて椅子に投げ捨てらている。
当のアカネはといえば、どこから持ってきたのか竜のイラストがいっぱい描かれた寝間着でユカリになにかをあげていた。
「…アカネ、それアタシも食べてもいいかな?」
「リュウグウも? うん、ちょっと待っててねー」
なにもキッチンを使ってしっかりとした料理を作っている訳じゃない。
袋から取り出したのはコインほどの大きさをした豆で、見た感じこれといった調理もされていない、ただの茹でた豆だ。
アカネはそれを持つ手にそっと魔素を集めて、ぐっと集中する。ただそれだけの事しかしていないはずである。
それなのだが、ただの豆がうっすらと光り輝いているのは見ていて美味しそうという気が起きてこない。
「はい、あーん」
「うぇ?! ん… あー…ん」
変な声をあげながらも、どこか恥ずかしそうに口を開けるリュウグウ。
一体何を想像したのやら。それともただはしたないと思っただけなのか… たぶん後者ではないだろう。
それでもなお、手で髪をよけ口を開け目を閉じる彼女の顔を、ジークは直視できなかった訳だが。
「んっ… ん?! なにこれおいひぃ!」
「えへへ~ でしょ?」
「何をやっているんだいったい…」
「ジーくんも食べなよ すっごくおいしいから!」
「えいっ! 今だよお姉ちゃん!」
やれやれといった様子でアカネたちの仲良さそうにしている光景を見守っていたジークだったが、矢印が向いたと分かったのでその場から一歩引こうと考えた。
しかし、ユカリが回り込んできてジークを捕まえて逃がさない。
これが普通の子供だったら振り解いてどこへなりと逃げる事も簡単に出来ただろうが、今回はそうもいかなかった。
ユカリの力が強くて振り解けないからだ。
近づいてくるアカネの手には、魔素を込められた豆がしっかりとつままれていた。もう逃げられないぞ。
「おい待て! 光り輝く豆など聞いたこともないぞ! 欲しいとも食べたいとも言っていない!」
「まぁまぁ、一つ食べてみてよ ほぉら、あーん」
「ぐっ… っ?! アカネの味がする…」
口にしてみてから思う。アカネの味とはいったい何だ?
だがそうとしか形容できない味わいが、ジークの舌を覆っていた。
美味いか不味いかで言えば美味い。少なくとも今口にしているのが豆だと舌が忘れるくらいには美味い。
そう感じた要因はすぐにわかった。
豆を噛めば微かな魔素が滲み出てきて、舌で転がせば口の中いっぱいに広がる。これが美味いと感じた正体。
人よりも魔力に絡みついた生き方をしてきたドラゴンだからこそわかる。豆本体ではなくアカネの込めた魔素が美味いと感じさせている。
「それって美味しいって言ってるわけ?」
「あっ… あー… んんっ! 美味い!」
「えへへ… よかったぁ」
「アカネお姉ちゃん!もひとつちょーだい!」
「アタシもまだまだ食べ足りないなぁ?」
そこからしばらくはユカリとリュウグウのおねだりが続き、気付けば袋の中の豆は全部なくなっていた。
満足したユカリは一足先に布団に潜り込んで小さな寝息をたてている。
ジークはと言えば別の部屋で酒に酔って楽しそうにはしゃぐマグナとガイアに引っ張られていっていた。
あの様子では帰ってくる頃には酒に潰されているだろう。
「…やっと静かになったねー」
「そうだねー」
部屋の窓から外の夜景を眺めながら、アカネとリュウグウはくつろいでいた。
耳をすませば近くの部屋や宴会場からまだ賑やかに騒ぐ声こそ聞こえてくるが、聞き耳を立てなければ気にならないだろう。
「…ねぇ、アカネ、ちょっといい?」
「ん? なぁに? こんな格好じゃないと聞けない事?」
静かになった大きな部屋の中、空からは月夜の光が照らし、下からはいつまでも消える気配のない街並みの照明が部屋の中を照らす。
そんな中、リュウグウはアカネを大きなソファの上に寝かせる…というか押し倒す形で上に乗ってきた。
この状況になっても悲鳴の一つもなく優しく受け入れてくれているのは、アカネだからだろうか。
「そうかもね? ねぇ、アカネ… まだドラゴンは好き?」
「好きだよ? 三度の飯よりドラゴンが好き…かもしれない」
「だったら猶更じゃん アカネ、勇者なんて辞めてアタシたちの所においでよ ドラゴンの子たちをいくら愛でてもいいんだよ?最高じゃん?」
言葉でこそ勧誘だったが、やっている事はそんな生易しい物ではない。
部屋に漂う僅かに甘い心安らぐ匂い、魔素が活かしやすい強く明るい月の光、着物からわずかに覗く人ならざる群青に輝く竜の鱗。
瞳に込められた心を容易く奪う魅了の魔法、欲望を刺激する甘美な誘惑の言葉、そっと魔力の込められた手で触れられる感触。
五感全てを刺激するようにしてリュウグウがやっていたのは入念に準備され練られた魅了魔法だ。
それもただ魅了し誘惑するだけという訳ではない。誘惑し心を掴めば、文字通り自分の物に出来る。そんな上位の魅了魔法。
それが今まさに、アカネの心の中へと浸透しようとしていた。
「好きな時に好きなだけ、アカネの満足いくまでずーっと… アタシやユカリだって、好きにしてくれていいんだよ?」
「……」
アカネの沈黙をいいことに、リュウグウは続ける。
魅了にかかるまであともう一押し。そんな自信がリュウグウにはあったから。
「なんだったら知り合いの竜たちに紹介してあげるし」
「えっホント?」
アカネの反応を見て、つい顔がにやけてしまう。
このまま行けばやりきれる。落とせる。勝機が見えた。
「もっちろん アカネのドラゴン好きっぷりは、アタシがよぉぉく…知ってるからね」
「なんか照れちゃうなぁ あぅ…」
「ダーメ、ちゃんとアタシの事見て欲しいな」
照れくさそうに視線を逸らすから、つい顎を持って目線を真っすぐに合わせた。
魔力の籠もった魔法の瞳がどうとか関係ない。アカネに真っすぐ見てもらいたい。話をしたい。
そんな感情から、リュウグウの暴走は止まらない、止められない、止めたくもない。
「アカネはね、アタシのモノになるの そしたらアカネの欲しがるもの、なんでも用意してあげる ドラゴンの知り合いも、愛でたいドラゴンの子も、アタシ自身だって…」
「リュウグウ…」
押し切れば勝てる。カッチリと捕まえる感触があればそれだけでいい。
そう思っていたが、そんなタイミングが訪れる事はなかった。
「…ごめんね、そこまで言ってくれてるのに… でもダメだよ? こんな事したら」
「あぐっ! あ、アカネ…?! いだっ…いぃっ!!」
特にこれといった暴力をふるった訳ではない。アカネがやったのは目の前を飛ぶ虫を捕まえるように素早く、見えない何かを掴むような動作をしただけ。
それだけだったが、リュウグウは自分の目を抑えて息苦しそうにその場に座り込む。
激痛から出血を錯覚する程の痛みに悶えるリュウグウだが、その手に彼女の血が滴ることは無い。
だって直接触れたわけでもないのだから。
「ここまで多重に編まれた魔法、こうでもしなきゃ防げなさそうだったから…」
「…? …っ!?! もしかして魔力の干渉を?!」
「うん、握り潰しちゃった」
握り潰したとは言うが、彼女の手には何も握られてなどいない。
であれば握り潰したとは何をという話だが、簡単な話だ。魔法で精神に干渉しているのだから、その干渉そのものを捕まえて握り潰した。
物理的でないはずの魔術的な問題を、アカネは素手で物理的に破壊してみせたわけである。
「うぐぐ… 誘惑と催眠に簡易契約、支配魔術まで混ぜたのにダメかぁ バケモノすぎるって竜の勇者サマ」
「しっかり全部見えてたよ だからしっかり全部にレジストしたからね 握り潰したのは…ちょっとしたお仕置きかな」
「ちょっとしたお仕置きが過ぎるんじゃない…? メッチャ痛かったんですけどぉ?!」
レジスト、要は抵抗という事だが今回で言えばリュウグウの仕掛けた数種類の魔術すべてに対して抵抗し無力化したという事になる。
この時点でも十分凄い事だと言えるレベルなのだが、何よりそれらを全て同時かつ素手で破壊したのがバケモノだとリュウグウは言っていた。
本来なら魅了の魔法や調合した媚香にレジストするなら反射の魔法や耐性付与、突風による無力化が定石となるだろう。
それをアカネはそれらも全部纏めて握り潰したというのだから、化け物と言うほかない。
「でも流石に多すぎてレジストに時間掛かっちゃった しっかり頑張ってて偉いね、リュウグウ」
「あぅ…… アカネ…」
叱った後にはちゃんと褒める。典型的な飴と鞭。けれどそれがリュウグウにはとても強く突き刺さった。
いつもはユカリや他の竜の子たちを撫でているお姉さんであるリュウグウが、今はアカネに撫でられている。
嬉しさと恥ずかしさがぐちゃぐちゃに混ざり合って、彼女の顔を赤く染めていく。
そこにリュウグウキャッスルのリュウグウとしての余裕などこれほども残ってはいなかった。
「んー、リュウグウー…? そこにいるのー?」
「ゆ、ユカリ?!」
「あー、アカネお姉ちゃんと遊んでるんだー? ユカリも遊びたいなー」
寝起きだからかふらふらとして、声も眠たそうなユカリが部屋にやってきた。
アカネとリュウグウの今の状態をぼんやりと見つめてどう思ったかと言えば、楽しく遊んでいたのだと認識したらしい。
眠たそうににへらと笑って近づいてくるその様子は見た目相応の幼さを感じさせる。
「うーん、でも私ももう眠いしなー… ユカリ、リュウグウ 一緒に寝ようか」
「んー 一緒に寝るぅー」
「そ、そうだねー あそうだユカリちゃん…」
眠たそうにふらふらと揺れるユカリに耳打ちをするリュウグウ。
彼女が何を思いついたのか。それはきっと語るまでもないだろう。
「…はぁ… やっと解放された… アカネ、今戻った…」
暫くして、疲れた顔で戻ってきたジークが見たのは、円を描くように寄り添って眠る二匹のドラゴンと、その中心で幸せそうに眠るアカネの姿だった。
薄紫のドラゴンと水色のドラゴンもまた、アカネと同じく幸せそうな顔をして眠っている。
それはそうだ。二匹、いや二人ともアカネと一緒に眠っているのだから。
「…世界で一番安全な竜の巣だな」
静かに隣の窓際に座り、椅子に腰かけると気持ちよさそうに眠るアカネたちを見る。
普通の人間だったらきっと卒倒モノだっただろう。
なんせドラゴンが二体も、自分を取り囲むようにしているのだから。
これを幸せそうな顔をして眠れる人間をジークはアカネくらいしか知らない。
「……」
しばらくこの光景を楽しもう。そう考えて彼女たちを見つめていたジークだが、気付けばもう街の明かりは消え去り、代わりに朝日が街中を強く照らす。
そう、朝までずっとこの三人の眠る姿を堪能してしまっていた。
集めた宝物を大事そうに見つめるドラゴンのように、ジークはほとんど動く事が無かったくらいだ。
「いってらっしゃい またのご利用待ってるよ」
「うん! またね」
「…次こそは堕としてやるんだから」
「挑戦だったら何度だって受けて立つよ? それも勇者の役目だからね」
朝食を済ませ出立の支度を整えたアカネとジーク。
二人を送り迎える為に、リュウグウとユカリが一緒に宿の外へとついてきていた。
マグナとガイアはと言えば、先日に飲み比べだ力比べだと盛り上がった結果、まだ眠り潰れている。
「もっとゆっくりしていってもいいんだよ?」
「ごめんねユカリ でも、竜の勇者として頑張らないといけないからね」
「帰ったら竜の勇者を名指しにした依頼が襲い掛かってくるだろうな」
国を挙げて称えられる勇者の一人でこそあるが、修行に余念のないルシフと比べてフットワークの圧倒的に軽いアカネだからこそとも言える。
なにもドラゴンに関するものだけでこそないだろうが、アカネに降りかかってくる依頼の数は多いのだ。
名残惜しそうにしているユカリには悪いが、いつまでもゆっくりしてはいられない。帰らなければ。
「うぅ… 今から思い出すのはちょっとイヤだったかも…」
「やはり勇者でも雑務に忙殺される事もあるか」
「討伐依頼とかならいいんだけど、潜入依頼とかはちょっとね…」
「有名になり過ぎたからこその悩みというやつか ちょっとその気持ちは分からないな」
こんな感じの話をしながら、ドレスベットへ向かう際に使ったのと同じゲートで今度はエンゼリアへと帰っていった。
帰り着いたその先でアカネたちを待っている者が居る事も知らずに…
NEXT.【ラブドラゴン】へ続く