痛みに耐え切れなくなった日
今、私は歩行困難と診断された程度の痛みの中でこれを書いています、原因は若い頃に歩いてて車道から突っ込んできた車に撥ねらたり、車で信号待ちしている時に後ろからノーブレーキで突っ込まれたりして患った首から腰まで複数箇所の椎間板ヘルニアで、それもここ十年くらいは大きな悪化もせず日々を過ごしていたのですが、二ヶ月ほど前の仕事中に高所から落下した事が原因で新しいヘルニアが増えて症状が再発をしたからです。
そのため仕事の傍らリハビリ生活を続け、最近になって少し落ち着いていたと安心していた所だったのですが、つい先日に予兆もなく新しい部分だけでなく古傷も相まって大きな痛みが発生して、まるで全身の関節を極められたかの様な耐え難い激痛が襲い、夜もまともに眠れない程に痛みが頭を支配して、一晩中悶える羽目になりました。
これまでは医師とも相談した上、鎮痛剤への抵抗やら薬害も考えて多少の傷みは気にせずにいたのですが、今回は流石に耐えられなかったので頓服の鎮痛剤を数時間置きに飲み、毎日痛み止めの注射を打って、漸く辛うじて生活に耐えらる痛みに耐えています。
そんな状況が改善の兆しがなく悪化の一途でしたので、昨日とうとうお医者様から入院を勧められてしまいました。
この様な生活に支障をきたす耐え難い痛みが来ると、楽しみにしていたレジャーや小説の更新など、やりたい事が出来ない事への苛立ち、何故今頃になって、どうして自分だけと陰鬱な気持ちになりがちですが、同時に普段あまり感じない健康の大切さや、私の症状を気遣って下さる人達の優しさに感謝を感じる事も多くなります。
あとはこうして創作しているお陰といいますか、ただで転んでなるものかという私の浅ましさなのか『これは拷問や痛みに耐える時の文章にリアル感を出す経験だ』なんて、なろうを始めたおかげ様で無駄にポジティブに捉えたりもしています。
こうして足繁く通院して真面目に治療を続けても悪化する時はするのですから、やはり病気や怪我の苦痛から逃れるのは必要で、治療を敬遠するのはマイナスでしょう。
病院を嫌って行かなければ治りが遅くなったり、重症になって痛い目に会うのは自分ですから、可能な限り早期治療をすべきですし、こうした苦痛への対処、解決の考えは現実社会やネットにも言えるのでは無いかと思います。
苦痛を避ける事は推奨される行動であり、心の痛みを無理してまで耐えるのは余り良いと言えず、時には休養を取り、酷い場合はさっさと病院に行く、そして原因となるモノから離れるのは必要ではないかと思います。
自分が望んでやった事は頑張れる所までやる方が悔いも残りませんし、国民の義務を面倒だと放棄するのは違うと思いますが、そう言った義務や責任、覚悟を決めてやり始める事などはともかく、なろうのネット小説は自分で自由に始めたですから、自分が辛く頑張れないと感じるのであれば、時には休んだり辞めても良いと思います。
批判の嵐が吹き荒れるなろうで、誰かに批判を書かれたから止めるのは少しばかり格好悪いと思うかも知れませんが、苦しい思いをしてやる価値が貴方の中にあるかを考えるタイミングになったと考えれば良いのではないでしょうか。
批判で嫌だと考えるのであれば、少し離れてリフレッシュしたり、それでも情熱が沸かないのであれば辞めたっていい。
続けるのであれば皮肉屋の価値の無い意見や批判、それにも満たない下らない非難など軽く笑って流し、同時にどんな考えや言葉を書いても、全員に受け入れられず誰かには叩かれると覚悟をした方が良いと私は思います。
貴方が好きなことを書くように他人も自由であり、他人が貴方の作品にどんな感想を書いてもいいし、貴方が他人の意見を下らないと感じるのも自由、読者作者どちらの側に立ったとしても詰まる所は自分で考える力が必要です。
男性なら男性的な考え女性なら女性的な考えを持ち、性格的にも陽キャと陰キャ等の違いもあるし、年齢で言えば年寄りはテレビや人生経験から話をしますし、若者はネットの情報やsnsの噂等で推測して話をします。
これだけ簡単な振り分けでも、個人間で大きな偏りが発生する前提があるのですから、自らが発した意見が世間に全て受け入れられ、書かれる感想が賞賛ばかりと考えるのは、少しばかり都合のいい幻想であると思いますし、一見するとネガティブな意見の中にも良い情報が隠れていたりもします。
そういった様々な意見や思いの中で、私達は主観で持って好き勝手に情報を取捨選択する自由を持っているから、私はどんなご意見ご感想にも真摯にお答えしますし、一見ネガティブな意見でも筋が通っているものだと、なるほどなぁと感じながらお返しすることだってあります。
例えなろうで貴方を非難をする人に会ったとしても、その人と一生関係する訳で無いのですから、自分とは違う意見もあるんだねと、その意見を一度は笑顔で聞いてあげるくらいの余裕を持ってやるのがいいんじゃないかなと思います。
家族や友人、恋人、会社の同僚、地域の方など、人間関係が繊細かつ複雑になりがちな現実社会とは異なり、なろうはどこまでいっても所詮はネットですから、満員電車の車内と一緒で、ある程度の割り切りは必要なんじゃないかと感じますね。
などと診察の待ち時間の痛みを散らすのに、苦手なスマホでの文字入力練習を兼ねてこんな文章を書いてみました。
おっさんなので仮想よりも物理キーボードが好きなのですけど、今回入院する病院は持ち込み許可が下りるのは連絡手段としてスマホだけ、他のデバイスの持ち込みは禁止になっていますから、暇だからといってPCを持ち込む訳にも行けません。
いままで何度か経験した入院生活で案外着替えや衛生関連等で荷物が多くなると解っていますし、娯楽用の本は重く嵩張るので多く持っていけず、確実に持ち込む予定の専門書だけでは暇を持て余しますから、治療時間以外はやることがあまり無くて、暇だからと寝てばっかになりがちです。
なので今回の入院は、苦手意識があるスマホでの長文入力に慣れる、という新しいことにチャレンジする良い練習機会だと思う事にしました。
世間ではチャレンジせず否定ばかり吐き出す人は、逆に周りからは否定ばかりする人間と思われますから、この年だからこそ色んな事に手を出してきたいと感じますし、時には一旦は受け入れてみるのも大事な事だと思います。
そして自分の弱さや痛みから目を背けず、その辛さは避けるべきか、挑むべきかを選択して生きて行くのも大切なのでは無いか、などと大げさ事を情けなく呻きながら待合室で感じているのでした。