本領
(どっちだ……?)
遠くからではよく分からない。ただかなり際どい決着になったようで、僕は急ぎ結果を知るべくゴールへと駆け寄った。するとそこには言い争う二人の姿があった。
「絶対、オイラの方が早かったウキ!」
「いいや、オレの方が早かった」
両者ともに顔を突き合わせて一歩も退かない。このままでは収拾がつかないと思い、傍で見ていた先生に判断を委ねる。
「先生、どっちでした……?」
「うーん、何とも……」
聞かないでくれ、と言わんばかりの困惑した口ぶりに事の微妙さが伝わる。
「ここはじゃんけんで決めたらどうだ?」
他の先生がそう提案する。恐らく同着なのだろうから、じゃんけんで決めてしまう方が良い。僕も同感だ。しかしそんな生半可な決着で二人が納得するわけもなく、
「じゃんけんは嫌ウキ!」
「そうだな、何か他の競技で―…」
周囲の会話から察するに、「猿渡」という名前のその男はぐるりと周りを見渡すや、ある方向を見とめ、スッと指を差し出す。
「あれで決着をつけよう」
彼の指し示すその先には、ちょうど電柱くらいの高さで横並びになっている二本の木が立っていた。何の変哲もない樹木、あれで一体何をしようというのか、まるで見当もつかない。だが宇喜田は違った。彼はその意味を咄嗟に理解したらしく、不敵な笑みを浮かべる。
「木登り……ウキね?」
「そうだ、木登りだ」
「どちらが先に登り切るか、それで勝負しよう」
「木登り対決」――予想だにしなかった展開にただただ驚くばかり、周囲に当惑の雰囲気が漂う。一方で当事者同士は既に火花を散らして臨戦状態にあった。突っ込みどころは少なくないが、二人が納得していればそれで良い。僕はどこか他人事にこの異常事態を飲み込むこととした。やがて二人は歩き出し、木の根元へと向かう。今夜の夕食を駆けた男の一番勝負、戦いの火ぶたが今ここに切って落とされようとしていた。
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「オレは木登りで負けたことがない」
「そう、地元では『猿人』と呼ばれるほどにな―…」
そう得意気に嘯く人間を見て、思わず吹き出しそうになる。いくら人間の中で上手かったとしても、常日頃樹上に生きていたオイラからすれば大したことなかった。赤子の手をひねるより簡単なこの勝負に際し、特別な感情はない。ただ圧倒的力量差を見せつけて勝つのは何となく大人気ない気もするので、程々にやろうと心に決める。
「ルールは簡単、先に登り切った方の勝ち」
両者とも静かに頷く。そして目前の木肌に触れるや、オイラは「猿」になった。内心に燃え上がる闘志の炎を感じた。やはり手加減は無用、全力で臨もうと心を入れ替える。人間とのこの勝負、「本業」のプライドに賭けて負けるわけにはいかなかった。
「じゃあ、行くぞ―…」
最初の枝に手を掛ける。緊張の一瞬、そして―…
「よーい、ドンッ!」
その声を聞くや否や、勢いよくスタートした。猿臂を伸ばし、慣れた手つきでするすると登っていく。そんなオイラと対照的に、あれほど威勢の良いことを言っていた人間は遥か下方で四苦八苦しているようだった。
(口ほどにもないウキねぇ……)
オイラは勝利を確信し、最後の枝に手を伸ばす。これを掴み、体躯を持ち上げれば――栄光のゴールは目前に迫っていた。しかし、
――ポキッ――
「ウキッ!?」
乾いた音を耳にしたと思えば、ふわりと宙に投げ出された自分に気付く。マズい――そう思った頃には既に手遅れだった。為す術もなく真っ逆さまに落ちていき、いつの間にか差し出された仲間の腕の中にいた。
「大丈夫か!?」
夢か現か、オイラは人間に敗れた。しかし慢心から出た失態ではない。最後の枝――掴んだ感覚として折れるはずのないそれは人間の体重に耐えられなかった。ただ「猿」になったこと自体が敗北の原因だとすると、それは頗る皮肉な結末であると自嘲的に笑う。
そして「猿も木から落ちる」という諺を体現してしまったことの情けなさ、やるせなさ、そして恥ずかしさを、届かなかった頂上を下から眺めるにつけ、ひしひしと感じる一幕でもあった。