幻像
「…―ウキ、ウキウキ、ウキ……ウキ、ウキウキ、ウキ―…」
神木たる大杉の下を一族総出で周回しつつ、先祖代々伝わる祈願の文言を口ずさむ。彼らは木の葉付きの枝を各々の手に持ち、それを左右に揺らしながら粛々と儀式を執り行っている。ワシはその輪の中で立ち止まったまま、一心に祈り続ける。今この瞬間、我らが期待のロベスピエールは遠く異郷の地で自身の命運を決定付ける重要な試験を受けている。頼るべき者もなく孤軍奮闘しているのだ。その健気さを思えば、何か胸に迫るものがある。
こうして振り返ってみると、ワシはヤツに対して過度な期待を掛けていたのかもしれない。あいつとて元々は野生の猿、いくらずば抜けた頭脳の持ち主であるとは言え、人間の知能には遠く及ばない。しかしそんなハンデを血の滲むような努力で克服し、人間の高校まで進んだ。そして今度は人間の大学にまで行こうとしているのだ。それだけても十分に偉業であり、ヤツの歩んできた苦労の道のりにただただ頭の下がる思いになる。
ワシは少々欲張ってしまったのかもしれない。一族の長、そして自然に生きる者としてはヤツに農学部へと進んでもらい、行く行くは「木の実博士」になり、一族の生活に寄与して欲しかった。しかしそれはワシの身勝手な願望であり、エゴでしかない。これからはヤツの選んだ道を素直に応援するだけ、ワシはそう心に決めた。そしてこれまでの横柄な教育態度についてヤツに謝ろうと思う。雄猿たる者、他人の敷いたレールの上を進むだけではいけない。自分の生きる道は自分で決めなくてはならないのだ。
とにもかくにもワシは考えを改めた。だから次の帰郷ではこれまでになく歓待してやるつもりだ。島民一同、ヤツを温かく迎えてやるつもりだ。
(だから最後のひと踏ん張り……頑張るんじゃよ……!)
そう思うや、現在進行形で執り行っている合格祈願に一層力が入った。周りの仲間と同じように木の枝を左右に振り、祈願の文言を繰り返す。年甲斐もなく、また季節柄にもなく、額に汗を浮かべては熱心に取り組んだ。全てはロベスピエールのため、皆で一丸となって祈り続けた。
そうすること数十分、
(……長老……長老……)
(……!?)
遠くから飛んで来る聞き慣れた声、最初は幻聴のようなモノだと思った。
(……長老……長老……!)
(……ウキッ!?)
祈祷の果てに起こるというトランス状態、遂にワシもその域に達したのかと畏れ慄く。何故ならばそれは紛れもなくロベスピエールの声なのだ。現在、ヤツはこの島に居ない。居るはずもない者の声を聞くということはつまりそういうことなのだろう。皆の祈りは届いている。この幻聴はその証左に違いない。
「長老~!」
突然、周りが騒めき出す。皆の耳にもヤツの声が聞こえたのだろう。
「皆の者、惑わされるな! 祈り続けよ!」
ワシは場に渦巻く困惑を振り払おうと、一途に祈りを捧げた。しかし騒動は収まらない。
「あ、あの……長老……?」
「祈祷の途中ぞ! 邪魔するでない!」
重要な儀式の途中にも拘らず、学者の一人がワシに対して非常識にも声を掛けてきたので、思わず目を開け振り返る。するとどうしたことか、彼は信じられないと言った具合に目をパチクリとさせ、ワシに言伝する。
「ロ、ロベスピエールが―…」
「ロベスピエール?」
喧しく聞こえ続ける幻聴に動揺しているのだろう。理解不能な現象に怯えるのは生き物の常、ワシは彼の不安を取り除くべく種明かしをする。
「ああ、ヤツの声……単なる幻聴じゃよ」
「だが畏れるなかれ、あれは吉兆……祈りが届いている証拠じゃ」
「だから安心するがよい」
「ささっ、皆の者! 再び祈ろうぞ!」
ワシは祈りの効験を皆に説いてみせた。しかし学者はそれを理解しようともせず首を横に振るだけ、どうも様子がおかしい。
「どうしたウキ? 具合でも―…」
「長老! あれを……」
学者の指差す方向、大木を囲む輪の切れ目、その先にワシは視線を送るや否や、
「長老! 大丈夫ウキか!?」
「ロ、ロベスピエール!?!?!?」
これぞ青天の霹靂――突然目の前に現れたヤツは全身泥に塗れ、肩で大きく息をしていた。そして一つ深く息を吐くと、こちらへと駆け寄って来た。
「長老! こんな所で何してるウキか!?」
「ちゃんと寝てなきゃダメウキ!」
「それはこっちのセリフじゃ!」
「お前こそ……どうしてここに……!」
なぜヤツはこの場所に姿を現したのか――頭の中は混乱を極め、目の前の現実を受け入れられずにいた。しかしヤツは居る。今この瞬間、この場所に、ワシの視覚は生身のロベスピエールを実像として捉えてしまっているのだ。夢か現か――試しに自分の顔をつねってみる。何も変わらない。次いで眼前のヤツに触れてみる。匂いを嗅いでみる。そして思い切り目を閉じては再び開けて見る。確かにヤツはそこに居る。
(やっぱりロベスピエールじゃないか……)
まさかの事態にただ呆然と立ち尽くすのみ、言葉を失う。周りを取り囲む一族連中も驚き呆れている様子だ。そんな中、また別の学者の一人がヤツに問いかける。
「お前さん……どうしてここに……?」
「そう言えば試験は!? 試験はどうしたんだ!?」
そう聞かれた途端、ヤツは下を向く。しばらく口ごもるかと思えば、目に涙を浮かべながら、たどたどしく答える。
「試験なんて……受けられるわけないウキよ……」
「オイラは長老の……長老の―…」
(試験……受けられるわけない……)
その瞬間、ワシの視界は大きく揺らぐ。そして間髪を入れず、まるで急にテレビを消したかの如く、ぷつりとブラックアウトしてしまった。
「長老が倒れたぞ!」
「「「長老……長老~…」」」
ワシを呼ぶ声は次第に小さくなり、やがて聞こえなくなった。一体どこへ向かっているのか――その行方も知らず、ただ重力の為すがまま、意識の深層へと落ちていくのであった。




