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浮世の風  作者: 金王丸
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逡巡


 あの知らせを受けてからのオイラは長老のことを案じるあまり、勉強どころか、ろくに睡眠も取れずにセンター試験前日の朝を迎えた。


 「お前、すごい顔になってるぞ……」

 「試験近いからって無理すんなよ」


 明良と洗面所で居合わせた際、半ば驚いたような声色でそう心配された。それもそのはず、いざ鏡の前に立って見ると、寝ぼけ眼にクマを湛えた魂の抜け殻が現れたのだから無理もない。そんな調子でボケっと突っ立ていると、


 「類人! おい、類人!」

 「早くどいてくれよ!」


 後からやって来た修悟に急かされ、ようやく顔を洗うことに取り組む始末だ。


 (何やってるウキ……)


 大きく溜め息一つ、オイラは己の狼狽えっぷりに情けなくなる。「危篤」とは生死の間を彷徨っている状態のこと、何もまだ悪い方向に転んだと決まったわけではない。そんな中、泰然自若、物怖じせず毅然とした態度で生きられない自分にどうしようもなく嫌気が差す。オイラの心はあらぬ憶測のもたらす過重に今にも押し潰されそうだ。それほどにか弱く、頼りないものなのかと辟易する。とにかく今日もこんな調子でうじうじと思い悩むことから一日は始まった。


 「遂に明日だねぇ~」

 「三年間、本当に早かったな」


 下宿主夫婦は口々にそう言いながら朝食の箸を進める。


 「どうだ、明良くんは上手く出来そうか?」

 「う~ん、どうだろう……」


 突然飛び掛かってきた問いかけ、一見ナーバスな内容にも聞こえる質問ではあるが、明良に対してそういった種類の配慮は無用だろう。現に彼はわざとらしく間を持たせ、何かを考えている。この仕草はこれからボケをかまそうと企んでいる兆候だ。すると案の定、


 「上手くいくかは分かんないけど―…」

 「転がす鉛筆の準備は出来てるぜ!」

 「なんじゃそら! ここに来て神頼みかよ!」


 そこそこキレのある返しにその場は笑いに包まれる。いつものオイラなら、それこそ腹を抱えて笑う今の一幕、しかし実際は表面上の笑顔で取り繕うことしか出来ず、それと悟られぬよう努めて周りに同調するしかなかった。


 やがて朝食を終え部屋に帰ってからも、どこかモヤモヤとした気分で心が晴れない。


 (この感じ、一体どうすればいいウキか……)


 心の動揺はきっと時が解決してくれるはず、夕方になれば幾分か落ち着いているだろう――オイラは気丈にそう思う一方で、一向に晴れ間を見せない憂鬱な心持ちのまま、雪水に浸したような重い足取りでセンター試験前最後の特別講習に臨むのであった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 夕方、全ての授業を終えて帰宅する。希望的観測というものは往々にして外れるもの、今回のオイラもその例に漏れず、朝と何ら変わりない沈鬱な気持ちのままだった。終日上の空で馬耳東風、勉強なんて以ての外、身になるはずもなかった。やがて外面だけ明るく振る舞うことすら限界に感じるや、冬の夕闇の如く、夕食の頃には真っ暗になってしまった。


 「あいつ、やたらテンション低くないか……? どうしたんだ?」

 「さあ、試験前だからナーバスになってるんじゃないの?」


 どことなくオイラの変調に気付いた二人は遠巻きに心配してくれていたようであった。しかしそのことは時期的にも事柄的にも彼らに打ち明けられるような類の内容ではなく、一人で抱え込むより方法はなかった。


 (本当にこのままでいいウキか……?)


 自分の猿生において最も影響力のある者の命が今にも果てようとしているのだ。このままこの場所に留まることが最良の選択肢だとはとても思えない。一方でその踏ん切りを付けさせる決定的な理屈に欠き、オイラを雁字搦めにしている。感情論を振りかざせば、今すぐにでもここを飛び出して島に戻りたい。そして長老の最期を看取るのだ。しかし仮にそうしてしまうと、センター試験を受けることは出来ない。それ即ち、国立大学には入れない、ということになる。その試験をすっぽかすことは長老の意に反する行動なのだ。きっと祟られるに違いない。


 そんなことを当てもなく考えている時分、手元の参考書、その字面を虚ろな視線でただ追うだけ、全く勉強にならない。このまま机に向かっていても時間の無駄だ――そう思ったオイラは早めの床に就くこととした。だがすぐに寝付けるわけもなく、光の消えた自室にて自らの意志の着地点を闇雲に探る。だだっ広い天井を見つめるどっちつかずの現状、暗中模索の歯痒さから終わりなき逡巡の夜を過ごすのであった。



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