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浮世の風  作者: 金王丸
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軋轢


 「ロベスピエール、農学部には行けそうか?」


 やはり来たか――途端にオイラは緊張感に包まれる。人間界に戻る数日前のこと、長老や学者と囲んだ食事会にて、なるべく避けたいあの話題に対峙した時のことだった。


 「そんなこと朝飯前さ! だってあのロベスピエールだぞ!」

 「天才猿・ロベスピエールに無理なことなんてないさ!」

 「それもそうか! ワッハッハ~…」


 こうなってしまえば最後、以降の話題は一つだけ、「オイラの進路」に絞られてしまう。この話に及ぶと、オイラは決まって受け身になり、愛想笑いに終始するだけだ。目下の状況になることはハナから分かっていた。そして過去何度もこのような場面に直面してきた。しかしその度場に飛び交う賛辞の嵐は額面通り受け取ることの出来るものではなく、それこそ読んで字の如く自分の心中を搔き乱す暴風でしかなかった。


 (今度……また今度言うことにするウキ……)


 事の真相をいつかは明かさねばならない。しかし何も楽しい宴の場でなくても良かろう。また次がある――そう思い、いつものように対応していると、不意にあることに気付く。


 (次? 次の帰郷って……もしかして―…)


 不都合な真実に心がざわつく。次の帰郷――それは来年の春休みである。来年のその時期と言えば、既に受験が終わってしまっている段階だ。遂にオイラは現実を認識してしまう。次だ、次だ、と先延ばしにしていたその機会、長老たちに農学部へは進学しない旨を伝えるラストチャンスは今回の帰郷であることに気付いてしまったのだ。今回の帰郷、それもあと数日の内にその事実を伝えなければならないと思うや、嘔吐感にも似た気持ちの悪さに襲われる。


 (どうしたら事を丸く収められるウキか……)


 そんな風にあたふた逡巡していると、


 「ロベスピエールが農学部を卒業するまで、ワシは死ねないなぁ……」


 唐突に飛び出した長老の言葉はオイラの胸をグサッと突き刺した。その言を真に受けるならば、彼はいつまでも死ぬことはない。それならかえって農学部に行かなくて正解なのではと思いつつ、一方では単なる屁理屈で誤魔化しては事態を収拾出来ないと至極冷静な自分にも諭され、八方塞がりの仕方なさから乾いた笑みを浮かべるばかりだった。


 その後も農学部への進学ありきで話は進み、ありもしないオイラの未来予想図を描いては興に入る。彼らにとってすれば実現可能な将来なのだろうが、実際それはただの与太話でしかない。それもこれも全てオイラに責任である。


 (農学部へは……農学部へはもう行けないウキ……!)


 オイラの心の叫びは最後まで言葉になることはなく、その日の宴を終えるに至った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 早く打ち明けなくては……日を追うごとに募る焦燥感はいつ何時も胸の内に燻ったまま、その火種を消そうと行動することもなく、遂に島を離れる日を迎えたのであった。


 某日早朝、人気ひとけのない時間帯にオイラは島を発つ。御手製の木造船で黒潮に乗って人間界を目指すのだ。海岸に猿の群れ、一族総出の見送りはオイラをとんでもなく後ろめたい気持ちにさせる。遂に事の真相を明かさぬまま、当地を去ってしまうのか――船に乗る前から船酔いのような胸糞悪さに苛まれ、如何ともし難い。


 「ではしっかりとやるんじゃよ……」

 「……分かったウキ」


 オイラは淡々とそう答えるや、徐に船へと乗り込む。浜辺からジッとこちらを見やる長老の眼差しは他の誰よりも、他の何にも増して、オイラ自身とオイラの将来を一途に信じ切っているようだった。そんな様子を目の当たりにし、とても居た堪れなくなる。やはり本当のことを言わなければ無用な期待をさせてしまう。オイラは思い立った。逃げてばかりではいけない。難しい局面に正々堂々と立ち向かってこそ、おとこというものである。一層のこと、胸に秘めた一切合切を吐き出してしまおう。離岸する船の上、オイラは腹を括った。そして海岸で見送っている一族に対し、事の真相を暴露した。


 「長老! オイラの話を聞いて欲しいウキ!」

 「……んっ!? どうしたんじゃ?」

 「ああ、もしや木の実が足りないのか? それなら月初に―…」

 「違うウキ! そんなことじゃないウキ!」


 事の核心に迫る告白を前に大きく息を吸う。そして――ぶちまける。


 「オイラは……農学部に―…」

 「農学部には行けないウキ!」

 「……んっ!? 農学部に行く? そうかそうか、それは期待して―…」


 オイラの唐突な自白に学者連中をはじめ、一族の多くはどよめき、困惑しているようだった。しかし耳の悪い長老だけ目下起こっている急展開に気付いていないらしく、側近の学者に何やら尋ねている。そしてオイラの言動を理解すると、彼は島中に轟くような怒声で返事を寄越した。


 「なんと!? ロベスピエール! それはどういうことか!!!」

 「そういうことウキ! 今まで隠して……悪かったと思っているウキ!」

 「待てっ! ロベスピエール! 戻って来い!」

 「それは難しいウキ! もう既に黒潮に乗ってるウキ!」

 「卑怯だぞ! かくなる上は―…」


 怒り狂った長老は年甲斐もなく海に飛び込んでは、オイラの乗る木造船を目指して泳ごうとしている。周りの学者連中はそれを一生懸命に止めていた。一方のオイラは怒られると分かっていて島に戻るわけもなく、かいを忙しく動かし、一刻も早く、そして一寸でも遠く海岸から離れようとこれまた必死だった。その甲斐あって次第に彼らの姿は小さくなり、やがて見えなくなった。


 (一先ず……これで良かったウキ……)


 どんより沈んだ気分は海の彼方、故郷の島に置いてきた。胸のつかえが取れたような、そんな清々しさから東の空を明るくに染める朝日に柄にもなく感謝する。新しい今日が始まる――そのことの素晴らしさに昨日までの澱んだ自分とはまた違った、生まれ変わったような心地さえしていた。


 (必ずや……成し遂げるウキ……!)


 内に燃えたぎる闘志の炎は静かに、しかし眼前の太陽よりも熱く燃え上がっていた。オイラは成す……成し遂げるしかないのだ。昨日までの自分とは一味も二味も違う溌溂はつらつとした思いを胸に、時節吹きつける海風、そしてその先に待つ人間界へ向け、ジグザグと船を操り、航行するのであった。


 ――後日――


 「類人くん、荷物が届いたわよ~」

 「ウキ~! 後で取りに行くウキ!」


 オイラは階下からの呼び掛けに生返事で答える。月初の郵便物と言えば、仕送りの木の実に違いない。それなら夕食の時に取りに行けば良い。しかし続く言葉を聞くに、思わず首を傾げる。


 「すぐに下りて来なさい! それとお金も持って!」


 (ウキッ!? お金……どうしてウキ……?)


 いつもなら荷物を受け取るだけ、判子はおばさんに預けており、すぐに受け取る必要すらなかった。しかし今回はどうもおかしい。ただオイラは言われるがままに財布を持ち、階段を駆け下りる。


 「親御さん、間違えたのかしらね……」

 「こんにちは! お荷物です!」

 「宇喜田類人様宛、着払いになっておりまして……」

 「ウキ―! 着払い!? お金かかるウキか!?」


 船上での暴露から数日、何の音沙汰もなくホッとしていたのも束の間、オイラは思い知った。そしていつもより軽い段ボール箱を自室に持ち帰り、開封するや、見るからに少ない木の実の上に一枚の手紙を見つけた。その内容は言うまでもなく、長老の怒りがまるで呪詛の言葉のようにつらつらと綴られていた。悲しいことに、事態は穏やかなど収まってはいなかった。そして一筋縄ではいかない現状に溜め息をつく。長老スポンサーとの関係をこれからどうを立て直していくべきか――新たな悩みの種が生まれた瞬間であった。



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