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浮世の風  作者: 金王丸
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秘密基地


 この二年余り、オイラは一体何を学んでいたのか――目の前に横たわる真っ新な解答用紙はそれ自体、その問いの答えを示しているような気がした。島民の期待を一手に受けて人間界へとやって来たあの頃、意欲十分なかつての自分から想像し得なかった現状の悲惨さにただ一人涙する。試験、試験、試験の連続……六月の模試を皮切りに始まった試験地獄はとっくに明けてしまった梅雨時の嫌な気持ちを残したまま、七月中旬、この期末試験で一応の終末を見た。


 いつもなら、つまりは去年までの自分であれば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の諺の通り、結果はともかくとして、無事難局を凌いだという安堵感に満たされ、特段の危機感を覚えることはなかったであろう。呑気にもこれから訪れる楽しい夏休みに思いを巡らせていたかもしれない。


 しかし今年に限ってはそんな悠長なことを言っていられない。約半年後には運命の大学受験が控えていた。オイラはそんな猿生最大の正念場をなんとか乗り切るために、これまで積み残してきたありとあらゆる「課題」をこの夏で克服しなければならなかった。もし最後に帳尻を合わせられなければ……想像するだけで身震いがする。とにかくタイムリミットは約半年間、残された時間の中でもがき苦しんで道を切り開く他に方法はなかった。


 (今年の夏はやってやるウキ……!)


 勉強しか取り柄のないオイラにとって、大学受験は「生か死か」――オイラという個々体の生き残りを賭けた戦いでもあった。この戦いを制すること叶わなければ、その場で灰になって消し飛んでも構わない。それほどまでの悲壮な覚悟を胸に、そして満載された書物を背に、海を渡り、久方ぶりの郷里の土を踏み締めたのであった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「ロベスピエール、虫採りに行くウキ~!」

 「ロベスピエール、海に行くウキよ~!」

 「う、う、う、うるさいウキー! お前たち、勉強の邪魔でしかないウキ!」


 帰郷して数日、オイラの怒りは遂に頂点に達した。帰り着くや否や、オイラは朝から晩まで学童に籠って勉強していた。最初の一日、二日はまだ良かった。オイラの鬼気迫る様子に子猿たちは臆して近付いて来なかったからだ。しかしそれ以降、ヤツらはいつもの調子に戻った。喧しく騒ぎ立ててはオイラを遊びへと誘惑し、集中力を搔き乱した。


 (このままでは去年の二の舞ウキ……)


 そう思ったオイラは翌日から勉強場所を移した。樹上、滝の傍、洞窟の中……子猿たちの近寄らなそうな所は何処でも行った。確かにその目論見は当たり、ヤツらはついて来なかった。しかし残念なことにそのいずれも安息の地へとはなり得なかったのだ。


 (あー!!! 勉強出来るわけないウキー!)


 子猿の登って来られないほど高い樹上は跨る枝木も細く、バランスを取ることで精一杯、とても勉強どころではなかった。滝の傍は落水の爆音で子猿より喧しく、洞窟の中は暗くて何も見えなかった。そんなこんなで一日は過ぎ、気付けばあっという間に夕方だ。オイラは大きく溜め息をつくや、この島の何処にも勉強に没入出来る環境はないのだと悟り、途方に暮れた。そして勉強する環境の整っていた人間界を思い、それが如何に恵まれていることなのか、この期に及んで痛感させられた。明日からどうしよう、オイラは柄にもなく肩を落とし、絵に描いたような落胆ぶりでトボトボ歩いていると、


 「お~い! ロベスピエール!」


 不意に呼び止められ、ハッと我に返る。


 「どうしたんだ、そんなしょげた面して」

 「マ、マラ~!!!」


 オイラは彼に泣きつくと、事の子細を説明した。兎にも角にも勉強に集中出来る環境が欲しいのだと切実に訴えた。もっとも、皆の期待する農学部には行けないけれども。


 「ふむふむ……なるほどな……」


 オイラの必死な様子とは裏腹に、聞き手のマラーは静かに相槌を打ちながら、ただただこちらの話を聞いている。そして一しきり話し終えるや、オイラの陳情を聞き入れたように大きく頷くと、



 「よし、分かった! そういうことなら仕方ない」

 「ちょっとついて来い!」


 彼はそう言うとすぐに駆け出した。オイラは何も分からないまま、ただ盲従的に彼の背中を追い駆けるばかり、山を下り、森を抜け―…やがて辿り着いたのは人里近くの空き家の前だった。


 「さあ、入ってくれ!」

 「オレの秘密基地だ!」


 机一つに椅子一つ、窓際にロフトの垂れ掛かっただけの殺風景な一部屋、かつて人が住んでたであろうその場所は小綺麗に整頓されており、辛うじて生活感を保っていた。しかし扉を閉めるや、薄暮のせいで室内は更に薄暗くなり、気味悪さすら感じさせる。これでは洞窟の中と同じ、勉強なんて出来やしない。そう思ったのも束の間、


 「驚くなよ!?」


 マラーは不敵な笑みを浮かべると、部屋の中央に垂れ下がっていた紐を二度引く。すると驚いたことに、突然辺りは明るくなった。見上げると天井から吊るされた電灯が光源であることに気付く。


 「ウキッ!? 明かりが点いたウキ!」


 オイラの驚き様を目の当たりにした彼は得意げな表情を浮かべ、こちらを横目に見る。


 「カーテン、閉めてくれ」

 「光が漏れると人間にバレる」


 オイラは言われるがままに古びたカーテンを閉め切る。肝心の明かりは点いた。しかしこれだけでは快適な環境とは言えない。オイラは額に滴る汗を拭いつつ、そう思う。全身を包む如何ともし難い熱気――それはまるでサウナのよう、この部屋は立ち眩みのするほど暑いのだ。

 

 「しっかし暑いな!」

 「暑過ぎて勉強どころじゃない……そう思っただろう?」

 「そのスイッチ、押してみろ」


 彼はエアコンのリモコンを指差し、押すことを促す。オイラは仰せのままにそれを実行するや、


 「ウキッ!?!?!?」


 おもむろに冷風口が開いたと思えば、心地良い冷気に全身を撫でられる。


 「どうだ? すごいだろう……!」

 「すごすぎるウキ……」


 久しぶりに味わう文明の利器の快適さに感激し、しばらく言葉を失う。しかしある瞬間に一つの疑問が頭をもたげてきた。


 「でも……どうしてこんなこと出来るウキ?」

 「明かりもエアコンも電気が通ってなきゃ点かないウキよ!」

 「それはな―…」


 彼の話によれば、この空き家を見つけたのは半年前、当初は人の住んでいない廃墟同然の建物だったらしい。しかし彼は仕事の合間にこの場所へと通い詰め、家屋の補修やら掃除やら色々と手直しを加えた結果、このように居住可能な住宅へとリフォームしたようだ。


 「事情は分かったウキ……」

 「それでも電気! 電気はどうしたウキ!」

 「まさか発電機でも作ったウキか!?」

 「ああ、それはな。外に出てみろ」


 そう言われ、そそくさと外に出てみると、びっくり仰天、空き家の外から人里へ向けて一本のケーブルが伸びているではないか。


 「あれは……?」

 「麓の別荘から電気を引いてるのさ!」


 盗電だ、などと野暮な指摘はこの際無用だ。オイラはただただ彼の創意工夫に感嘆し、舌を巻くばかりだった。


 「しばらくここを貸してやるから」

 「勉強、頑張ってくれ!」

 「マラー……恩に着るウキ……!」


 やはり持つべきものは友である。改めてそう実感しつつ、彼のお蔭で素晴らしい環境を手に入れることが出来た。そして次の日から誰にも邪魔されることなく、夏の暑さをも忘れて机に向かった。ただひたすらに、我武者羅に――受験の天王山、高校最後の夏、もう後のないオイラは一意専心、勉強に打ち込んだのであった。



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