薬剤師
正午過ぎ、終業の鐘が鳴る。その途端、僕を含めた複数人は「待ってました」と言わんばかりに席を立ち、教室を飛び出した。
「急ぐウキ!」
類人はまだ授業中の隣のクラスから飛び出し、持ち前の瞬発力で先陣を切る。しかし次の瞬間、
「宇喜田! ちょっと待て! まだ終わってねえぞ!」
「ウキッ!?」
首根っこを一掴みにされた彼の足は止まり、競争からの離脱を余儀なくされた。
「修悟! いつもの、頼んだぞ!」
「おいっ、甲把! まだ授業は終わってないぞ!」
明良は教室の窓から顔を出し、僕に一声掛ける。
「修悟~! オイラの分もよろしく頼むウキ~!」
落ちこぼれの声が遠くから聞こえる。僕は三人分の昼食を一身に任され、廊下を駆け抜けた。目指すは学食、目当てのパンを手にするための戦いは始まっていた。
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「……ったく、いつもだぞ!」
「あいつ、授業終わるの遅いんだよ!」
明良は席に着くなり、溜め息交じりに愚痴を吐き捨てる。
「まあ、受験もあるからね……」
「それにしても、だ! 毎回だぞ!? 有り得ねえ……」
彼はどうにも納得していない様子で、首を横に大きく振る。
「そう言えば、類人は?」
所望の菓子パンを手に話題転換、この場のいない彼の話になる。
「ああ、あいつならまた呼び出し食らってたぜ」
「また!? 最近多くない!?」
類人の姿はまだ見えない。きっと課題の提出か、もしくは振るわない成績のことで呼び止められたに違いない。
それはそうとして、近頃、彼の様子が変わった。あれはちょうど一ヶ月前のこと、全身傷だらけで帰って来たかと思えば、ひどく落ち込み、魂の抜け殻のようになっていた。一日、二日のことではない。恐らく一週間くらい、そのような状態だった。当然周りの人間はとても心配し、あの手この手でどうにか理由を聞き出そうとするも、固く口を閉ざしたまま、結局、頑なに打ち明けようとしなかった。それ以降、何の因果か、彼は柄にもなく机に向かい、勉強するようになっていた。
『狐にでも憑り付かれたのかね!?』
明良はそのように冗談めかして言っていた。ただ何はともあれ、ここ最近の彼はようやく「受験生」に生まれ変わったらしい。
「ハァ……受験かぁ……」
明良は不意に溜め息をついたかと思えば、菓子パンを手に持ったまま項垂れる。
「志望大学はまだしもさ――」
「学部とか、学科とか、よく分かんねえよ……」
彼が自分の進路について言及すること自体、珍しいことだった。僕は友人として何か役に立つ助言をしたいとは思った。しかし僕は生憎理系であるため、文系である彼に対して特段のそれをしてやることは出来ない。確かにな、僕は適当に相槌を打つに止め、話題の入れ替わりを待った。一方で彼は続ける。
「そっか、お前は早くから医者になるって言ってたよな……」
「初志貫徹、素晴らしいことじゃないか!」
「なんだよ急に……思ってもないことを!」
僕は彼の褒め言葉を素直に受け取れず、大げさに手を横に振る。すると彼は矢継ぎ早に、
「つーかさ、お前の親父さん、医者なのか?」
ちょうどその時だった。
「待たせたウキー!」
何か聞き馴染みのある声を耳にする一方で、明良との会話は続く。僕は彼の質問に何気なく答えようとしたその時、
「普通にやくざ―…」
「ウキッ!?!?」
ほとんど同時だった。突然の叫声に驚き、ハッと後ろを振り向くや、そこには焦点の定まらない目でこちらを見る類人の姿があった。
「ど、どうした……!?」
「い、いや、何でもないウキ……」
類人は明らかに狼狽えていた。理由は分からない。ただ彼は決まりの悪そうな様子で隣に座るや、目の前の菓子パンに遮二無二ありつく。明良も明良でさっきまでの調子はどこへやら、すっかり押し黙ってしまった。
(なんだこの雰囲気は……)
僕はひたすら困惑した。何か余計なことを言ってしまったのか、自分の発言を顧みる。彼らの変調手前、父の職業の話題・薬剤師――何の問題もない。しかしそんな何の変哲もない会話の一方で、皆の様子はガラリと変わった。どうしたものか、僕はただただ首を傾げるのみで、彼らと同じく菓子パンを食べ進める。
するとそれから数分の後、その場の空気に耐えかねたのか、恐る恐る明良の口が開く。
「ま、まあ、その……色々あるからねえ……」
「で、でもっ! どうであれオレたちは友達だから……!」
「……急にどうしたんだ?」
いきなりの「友達宣言」に事態はますます混迷を極める。
(まさか……明良も気付いてしまったウキか……?)
(やくざ……屋久猿! マズいウキ……オイラの正体が……!)
明良の発言に引き続き、こちらも様子のおかしい類人も口を開く。
「そうウキ! 普通に人間……ウキよ!」
「なんだそれ? 意味分かんねえよ!」
彼の意味不明な言動はさて置き、明良は何か大きな勘違いをしているように感じた。僕に対するそのあらぬ誤解を解かなければ、この妙な雰囲気は変わらない。そう考えるや、思い切って問い詰める。
「どうしたんだ? 何か勘違いしてないか!?」
「えっ……? 立場のことですか!?」
「何故に敬語を使うし……」
「……」
彼は口をモゴつかせ、どうにも言い辛そうにしている。本当に何がどうなっているのか、てんで分からず、ムズ痒い気持ちにさせられる。そして次の瞬間、彼は思いもしないことを言い出した。
「だって……やくざって……」
「……はっ?」
「お前の親父……いや、御父上は極道に身を―…」
「いやいやいや……どうしてそうなった!?」
「えっ? 違うの?」
「当たり前だ! 全然違うぞ!」
「薬剤師! あの薬局で働いてる――」
「「あ~!!!」」
明良だけではなく類人も納得したように感嘆の声を上げる。
「親父も医療関係者……だから医学部なのね」
「そういうこと」
「ヤクザイシってどんな仕事ウキ?」
「えっ……? 薬を扱う職業だよ」
薬局をも知らないとは……やはり類人は世間知らずだ。するとそれを聞いた明良はすっかり調子を取り戻した様子でいつものようにニヤニヤしながら、
「クスリ……そう言われるとオレの見立ても強ち間違いじゃないな……」
「おい! やめろ!」
「わ~! 怒った! 若が怒った!」
「あんまり騒ぐなよ! みんな見るだろっ!」
あのままだったら「生体スピーカー」と形容されるほどお喋りな明良に妙な噂を立てられること間違いなかった。何はともあれ一件落着、誤解を解くことが出来て本当に良かった。僕はホッと胸を撫で下ろす。そして食べかけの菓子パンの最後の一口をパクリと頬張る。
時は六月上旬、梅雨入りを目前に控え、空はドンより曇り空、「雨降って地固まる」という言葉はあれど、余計な軋轢は生まないに越したことはない。やがて梅雨は明け、夏がやって来る。今年の夏、高校最後の夏、天王山の夏――僕らの受験戦争は来たる暑さと共に佳境を迎えようとしていた。




