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浮世の風  作者: 金王丸
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絶体絶命


 寒さもようやく和らぎ、本格的な春を迎えた頃、学校も春休みに突入し、オイラは帰郷の途に就いた。出航して程ない船内で特段することもなく、その所在なさげから甲板に出て、辺り一面の青色に目を細める。そしてなだらかに吹きつける潮風はこの段に至りて望郷の念を喚起させる一方、癒えかけた古傷が疼く。


 (負けたウキねぇ……)


 急に「あの敗戦」を思い起こし、その痛みと同様、ぶり返す悔しさに思わず下唇を噛んだ。ヤツは強かった。何も出来ずになされるがまま、オイラは地に伏せった。おとことしてのプライドは踏みにじられたも同然、あの時を思い返す度、頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。


 しかし一方でこのまま逃げることは許されない。それはウキ江さんを諦めるということに他ならないからだ。この期に及んでオイラは前向き、己の|性(さが)は常にかくあらしむる。彼との戦いをこのまま終わらせるつもりもないし、終わらせるわけにはいかない。最後に勝つ者、それが勝者なのだ。あの時は人間になっている時間が長く、身体のキレも悪かった。要するに決闘を勝ち抜くには状況も運も悪かったのだ。様々に自己弁明をし、それらを突き詰めていくと、案外勝てるチャンスはあるのかも、と楽観的に思えてしまう。


 やがてオイラは静かに誓う。近々に必ずや再戦を果たし、ヤツを完膚なきまでに打ちのめす。そして得てしがな、愛しのウキ江さんをこの手で取り戻す、と。


 こうしてあれやこれやと心の中で思い巡らせていると、気付けば視界の内に故郷の島郭を捉えていた。懐かしさに胸を締め付けられ、思わず目元が潤む。このままでは……オイラは過熱する胸の内を言の葉に込めて、ひと思いに叫ぶ。


 「帰ってきたウキよ~!」


 久しぶりの野生生活がいま、始まろうとしていた――。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「よしっ! これから木の実採りに行くぞ」


 オイラは親友のマラーに連れ出され、仲間数人と共に山奥へと入って行った。


 帰郷して数日、元の生活にようやく慣れ、採集を主とする猿生に馴染んでいった。四肢を目一杯に広げて地を駆け、手先を器用に使って木々を伝っていく様は正にオイラのあるがままであり、人間生活を送る上で忘れかけていた野生を思い出す瞬間でもあった。


 しかし、良いことばかりでもなかった。それは帰郷当日、長老と対面した時のことだった。


 『ロベスピエール! 達者にしておったか?』

 『ウキ! この通りウキ!』


 オイラは健在ぶりをアピールするために、まだ元の姿に戻ったばかりの身体で跳躍を繰り返す。その様を見た長老はホッホッホと高笑いを上げ、手を叩く。ここまでは何の問題もなかった。オイラは次の問いかけに心の安寧を奪われることとなる。


 『それで……どうだ? 勉強の方は?』

 『農学部には行けそうか?』

 『……ウキッ!? そ、それは……』


 投げかけられた言葉にハッとする。オイラは今まで棚に上げてきた問題に急遽ぶち当たった。文系を選択した時点でその道は絶たれたのだ。本当のことを言ってしまおうか、一片の良心に胸の内を揺さぶられる。しかしオイラはまたもやそうしなかった。面会の最後まで真実を語らなかったのだ。その間、決まりの悪さを胸の奥底に押し留めながら、出来合いの作り笑いに、ひたすら頷くばかり、時の過ぎるのをただ待っていた。これで何度目だろう、またオイラは彼らに嘘をついた。


 ここに来て再燃した進路の問題――すっかり忘れ去っていたことを再び思い出し、また一つ悩みの種を抱えてしまった。これから先、様々に思い悩み、心身ともに疲弊していく日々を送ることになるのか――実際そんなことはなかった。ただ喉元過ぎれば熱さ忘れるという諺の通り、その場を凌いだことでオイラは満足し、ある種の達成感すら感じていた。それ故、当然そのことについて今回の帰郷で解決するつもりはない。今はとにかく遠く離れた彼女に対することで頭の中は一杯だった。


 やがて山の奥地に辿り着いた。


 「これから木の実を集める」

 「再三言っていることだが……あんまり遠くへは行かないように!」

 「特にあの・・場所には立ち入らぬよう、気を付けて事に取り掛かれ」

 「以上! 解散!」


 マラーの号令でオイラたちは散り散りになり、木の実を集め始めた。


 「ピエール、いくつ採れるか競争だ!」

 「望むところウキ!」


 マラーは採集の度に競争を仕向けてくる。その戦績は五分と五分、とにかく拮抗していた。力仕事に関しては同年代の雌猿にも劣るほど使い物にならないオイラでも、木の実採集に関しては得意だった。それ故、何でもこなす彼にとってもライバルとして不足はないのだろう、毎度このような感じで採集した木の実の量を競っている――ざっとそういう訳だ。


 「あっ、ここにもあるウキ!」

 「そこにも! それからあっちにも!」


やがて他の仲間は見えなくなった。木の実の少ないこの季節にも(かかわ)らず、これまでの経験と天性の勘で次々に木の実を見つけていく。


 (やっぱりオイラは天才ウキね……!)


 声にならない自画自賛を心の中で繰り返す。人間界では味わうことの少ない、久方ぶりの成功体験は否が応にも気持ちを高ぶらせ、ますますその作業に没入させていく。


 (この調子なら……)


 背負い込んだ藁籠は採集したモノで満ち満ちている。いくらマラーとてまさかこれより多く摘める訳はなかろう、そのずしりとした重量感にオイラは半ば勝利を確信する。今日はとても良い日になりそうだ。木々の隙間から零れる春陽に見守られながら、冬眠から目覚めた生物の如く地面を這い回っていると、


 「……!? 痛てっ!」


 突然、何かにぶつかった。細い枝木が二本、目の前に立っている。何だ木にぶつかったのか、採集に夢中で辺りが見えていなかった。「犬も歩けば棒に当たる」とはよく言うが、猿も気を付けなければ――そう思い、視線を上げるや、


 「……ウキッ!?」


 片方の枝木で地面を前掻き、荒々しく鼻を鳴らす。


 「ウキー!!!」


 悲鳴が周囲に木霊し、吹き飛ばされたように後退あとずさる。この目で捉えたその姿はオイラを心の芯から震え上がらせ、やがて身を強張らせる。滴る冷や汗、脂汗、とにかくオイラは焦っていた。前言撤回、今日は間違いなく最悪な日だ――恐るべき天敵を目の前に、ただそう痛感する次第であった。



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