寒雨
「サンタクロースなんて……嘘っぱちさ」
朝からどんより曇り空の二十四日、冬休みを明日に控えた最後の登校日でもあった聖夜前日、通学途中に明良は呟く。
「どうしたんだよ、急に」
僕は寝起きのテンションの低さからぶっきらぼうに言い放つ。聞かなくても分かる。かれこれ一年半以上つるんできた仲だ。これから彼の言いそうなことなど容易に想像出来た。しかしそうであっても条件反射的に一先ず会話を成り立たせる。
「だってさ、この一年ずっと利口に過ごしてきたのに―…」
「プレゼント、何も貰える気配すらないんだぜ……?」
彼の言動の真偽はさておいて、久しぶりに赤服を纏った白髭について思う。僕はその存在を信じなくなってどれほど経つのだろうか、定かではない。純粋無垢な少年だった頃は確かに信じていた。雪のしんしんと降り頻る聖夜、トナカイのそりに乗って僕らにプレゼントを届けてくれる老人のこと――しかし今はそんなもの「嘘っぱち」だと、どこか冷めた態度で訝しがってしまう自分がいる。もしこの過程を「大人になる」という説明で済ますならば、それはひどく寂しいことのように思える。
「頼むよ、サンタさん!」
「この純情なオレに彼女の一人や二人、届けておくれ!」
明良はそんな世迷い言を今にも降り出しそうな空に願う。しかし相変わらずの曇天は彼の願いを聞き入れまいと言わんばかりにその色をつゆとも変えない。やがて彼は現実に立ち返り、
「よし、決めた!」
「今日は独り身クリスマス会を開くぞ!」
その会の名称を聞くだけで底抜けに虚しくなる。彼女なんて久しくいない。少なくとも高校に入ってからはいたことがない。男との友情を深め合う日々、それはそれで楽しくもある。しかしその一方で、僕の青春は本当にこれで良いものなのか、と自問自答しそうになる。これはまずい。その禅問答は聖前夜、僕をメランコリックにするだろう。そう考えると、ただ一人寂しく自室で過ごすよりは気も紛れると思い、彼の発案に渋々同意してみせた。
「類人は……喜治さんとデートだろ!」
このやり取りの最中、存在をかき消していた類人は急に話を振られたせいか、ビクッと驚いたような様子だった。そして何やら思うところがあるらしく、咄嗟の反応を出来ずにいた。
「えっ!? まさか……別れたのか!?」
僕ら二人の注目が一気に注がれる。全く関係のないことだが、こうしてまじまじと見るにつけ、最近の類人はますます毛深くなったように思えるのは気のせいだろうか。
「……いいや、違うウキ! 今日は彼女とデートウキ!」
「だから……独り身クリスマス会には行けないウキ!」
「なんだよ~」
「あーあ、一瞬テンション上がったのに」
ムキになって反論する類人を尻目に、僕ら二人は他人の不幸の肩透かしを食らい、少し、と言うか、至極ガッカリした。そして寒風吹き荒ぶ中、人肌恋し気な身をうち震わせながら、急ぎ半ドンの学校へと向かうのであった。
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(どうにか自然に抜け出してくることが出来たウキ……)
オイラはウキ江に渡す木の実を背に山道を行く。独り身には難しい今日という日に、どういった言い分で彼らと行動を共にせずこの場に至るか、熟慮に熟慮を重ねるも当日までにこれと言った方法を見出せないでいた。しかしその最適解は明良によっていとも容易く導き出された。当の昔に別れた喜治姫華と過ごすことにすれば良かったのだ。いま立ち返って考えてみると、オイラは彼らに件の女と別れたことを伝えていなかった。特別隠そうとしていたわけではない。ただ言い出すタイミングがなかっただけだ。しかしこれが思わぬところで生きた。こうして変に勘繰られることもなく自然に約束の場所へと向かうことが叶った。
やがてあの場所へと辿り着く。しかし辺りには誰もいない。少し気持ちが先走り過ぎたのか、約束の時間より随分と早く到着してしまったようだ。後は彼女の登場を待つだけ、そう思うやホッと一息つき、大木の傍から薄曇りの空を眺める。
(このままだと今日は雪が降りそうウキね……)
淡いホワイトクリスマスへの期待とは裏腹に、時節吹き付ける冬風に身をわなわなと震わせる。止めどなく流れ出る鼻水をすすっては身を丸めて動かない。気休め程度に生えている冬毛では凌ぎ切れない寒さにオイラは思う。かつて島で暮らしていた頃はそうでもなかった。しかし中途半端に「文明人」となったオイラはその耐性すら失いつつあるのかもしれない。そう考えるにつけ、この姿は果たして真の自己なのか、辺りの枯木が風に揺られる度、オイラのアイデンティティさえも揺さぶられる。
するとその時だった。
「待たせてごめんね~!」
木々の合間にウキ江の姿を見とめる。彼女は四肢を一杯に伸ばしてこちらへと駆けてきた。
「ウキッ!」
オイラは思い切り鼻をずずっと啜っては、彼女と相対する準備を整える。
「大丈夫ウキ! 全然待ってないウキ!」
急ぎ立ち上がるや、テンパった声色で食い気味にそう言ってのける。先程までの寒気はどこへやら、オイラは激しい動悸の所為で身体の芯から火照ってしまう。オイラはこれから「愛の告白」に再挑戦する。しかしこの期に及んでそれを実行することに躊躇う自分をも見つける。
(本当に大丈夫ウキか……?)
様々に逡巡しながら、長く美しい栗毛の彼女をパチクリと眺め、生唾を飲み込む。何から話していいのか、すると彼女の方からオイラに話し掛けてきた。
「それで……あの―…」
「あっ、ああ! 木の実ウキか!?」
「心配しなくても持って来たウキよ!」
オイラは包んでいた木の実を風呂敷ごと彼女に渡す。彼女はその重さに何かを確信したらしく、目を輝かせて言う。
「本当に……ありがとう……!」
「これだけあれば……うん、大丈夫……!」
彼女は木の実を包んだ風呂敷を他の誰にも渡すまいと言った様子で腕の中に抱くと、一歩、また一歩とオイラに近付き、
「ピエールくん、ありがとう……」
そう言って頬と頬を重ね、オイラにハグをした。
(ウキー!!!!!)
その瞬間、オイラは真っ白になった。突如として脳内に現れた白世界は一切合切の思考を停止させ、強烈な喉の渇きをもらたしめる。そしてすぐには現実のそれへと戻ることを許さない。やがて彼女はオイラから離れた。一方、動物としての機能を一時的に失ったこの熱源はただ彼女の残り香を堪能するようにその場に佇み、しばらく呼吸だけに専念していた。しかし次の彼女の一言で至福の時は終わりを迎えた。
「それじゃあね……」
彼女はそう言い残すと、オイラの傍を離れていく。このままではいけない――今日の目的は一つ、彼女に再び自分の気持ちを伝えることにあった。オイラは次第に離れていく背中に向け、
「ウキ江さん!」
ありったけの勇気を振り絞り、彼女の名を叫ぶ。そして彼女がこちらを振り返るのも待たずに思いの丈をぶちまける。
「やっぱりオイラは……君を諦めることが出来ないウキ!」
「あの……もしよければ……その……」
彼女は相変わらず背を向けたままだった。そしてオイラの言葉を遮るように右手を挙げ、パッと開いた五本指を小指から折り始め、遂には握り拳にしてみせた。オイラはその様子を見つめたまま、何も言わない。いや、正確には何も言えなかったのだ。
彼女の姿を見とめなくなりしばらく時間が経った。冷たい――いつ降り出したかも知れない寒雨に打たれ、ただ一人立ち尽くす哀れな雄猿に気付く。
「ううっ……」
頬を滴るモノは雨のそれかもしくは――オイラは敗残兵の足取りで道悪の復路を引き返す。そして泥に塗れた格好のまま、明良たちのいる街中のファミレスへと歩を進めた。心にポッカリ空いたブラックホール、願わくば、彼女諸共飲み込んでくれはしないだろうか――相変わらずの雨空、とにかく今年のクリスマスは綿飴色に染まることはなかった。




