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浮世の風  作者: 金王丸
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雨傘


 「ちゃんと名前、書いたか~?」


 僕はその言葉にふと手元の時計を見やる。


 (あと五分か……)


 この調子ならばギリギリ間に合うか、試験の終了を目前に焦る気持ちを宥めつつ、記述するスピードを増していく。最後の問題、何としても完答したい――僕は素早く解答を書き上げながら、一方でミスしないように細心の注意を払う。


 (ここをこうして―…)


 この手応え、完答手前――もう少しで終わる、終わる、終わる……終わった!


 ――キーン、コーン、カーン、コーン―…


 「はい、鉛筆置けー!」

 「おい、そこ! 悪足掻きすんなよ~」


 僕は後ろから手渡された解答用紙に自分の分を重ねて前に送る。最終週の最終科目、これにて長らく僕を苦しめてきた中間考査は無事に終わりを迎えた。本来なら晴れやかな気持ちで居るべきところだが、そうもいかない。それはなぜか、気取った風に言い表すならば、六月のついた嘘、の所為である。


 時は六月初週、既に梅雨入りを迎えたこの頃、「水無月」という異名とは裏腹なこの季節に、僕は辟易としていた。窓から見上げる空は相変わらず愚図ついた鈍色にびいろに染まっており、見ているこちらの心をも暗くしてしまう。


 (今日はさっさと帰るかな~……)


 ホームルームを終え、席を立つなり、足早に教室を後にする。いつもの試験明けならば、街に繰り出し、労苦からの解放感から遊び回るのだが、今日はそういう気分ではない。とにかく早く下宿へ戻ろう、そう思い、昇降口に向かっていると、


 「修悟!」


 背後から掛けられた声、聞き慣れたその声に思わず足を止める。振り返ってみると、そこにはいつもの二人がいた。その瞬間、僕はこれから遊びに誘われるのでは、と少し身構えた。そして同時に、彼らの誘いを如何にして断るか、その言い訳を既に考え始めていた。


 「一緒に帰ろうぜ!」

 「ウキッ!」


 しかし僕の邪推は的外れなもので、少しホッとした。いくら元気な二人とは言え、いつ降り出すかも知れぬ悪天候の中、街に行こうと言い出さない辺り、一年半以上同じ屋根の元で生活している者同士、行動様式まで似通ってきているのかなと照れ臭くもなる。三人横並び、やがて昇降口に辿り着くと、


 「こりゃ降り出しそうだな……」

 「修悟、早くしろ~」


 さっさと靴を履き替えた明良は珍しく傘を片手に僕を急かす。一方の類人は面倒臭がって傘を持たない。だからいつも僕の傘に割り込んでくる。今日もそうなるのかな、ただ漠然とそう思いつつ、靴を履き終えるや、傘立てから自分の物を探し出すも、


 (あれっ……ない、ないぞ……)


 それらしき物を二、三本、取り出しても違う。いくら探し回っても見つからない。登校の時に立てておいたはずの、僕のビニール傘が見当たらないのだ。


 (もしや……またやられたのか……)


 くそっ、僕は悔しくなり、思わず傘立てに八つ当たりする。今年に入ってこれで四本目だ。雨の日に限って僕の傘を拝借していく不届き者の存在に、怒りを通り越して憤りすら覚える。降雨に対する備えは万全だったはずなのに、脳天からつま先までバケツを被ったように濡れて帰らなければならない不条理、過去三度経験した途方もなく虚しい帰路を思い起こすにつけ、内心に潜んでいた悪魔が耳元で囁く。


 (だったら僕も……)


 負の連鎖は起こすまい――僕はそう心に誓い、自らの犠牲を以ってして傘を拝借し返すことはしなかった。しかし今日という今日は許せない。仏の顔も三度まで、と言うだろう。もう我慢の限界だ。そう思い切るや、誰の傘だか分からないが、出来るだけ安っぽそうなビニール傘を手に持ち、拝借しようと心に決める。すると、


 「なにモタモタしてんだよ! 早く帰るぞ!」


 明良は手持ちの傘をくるくると振り回しながら、さながら羊を追い回す羊飼いのように僕を急き立てる。一方の僕は内心の葛藤を抱えたまま、顔も知らない誰かの傘を力なく手に持つ。致し方ない、僕は後ろ髪を引かれるような思いで傘立てから目を背け、そちらを振り向くと、


 (んっ……?)


 明良の咲かせている雨の華、安っぽいビニール傘の手元に見覚えのあるネームシールを見つけた。


 (あれは……まさか―…)


 咄嗟に僕は彼の元へと詰め寄るや、その傘を強引に奪い取って、記名を確認する。「高澤修悟」――その瞬間、疑惑は確信へと姿を変えた。


 「お前……だったのか!」


 それからと言うものの、僕は柄にもない大声で彼を責め立てた。しかし彼は特段悪びれる様子もなく、


 「そんなに怒るなって! オレの傘によく似てたもんだから……」


 そう言って笑って誤魔化していた。結局、僕は彼から傘を取り返し、彼は新たに傘を拝借することで事なきを得た。何はともあれ、僕はあと一歩のところで踏み止まり、終わらない負の連鎖に加担することはなかった。それだけで薄暗く湿った心の内に一筋の光が差し込むような、ちょっぴり晴れがましい気分にさえなれた。しかし予断を許さない雲行きの下、そんなことになるとはつゆとも知れず、僕らは下宿に向かって歩き出したのであった。



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