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浮世の風  作者: 金王丸
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一目惚れ


 「兵十さぁ~ん!!!」

 「……んっ!? なんだ、騒がしいな……」


 狭き獣道を駆け抜け、遂に辿り着いた古狸の棲み処、しかし今日の主な目的は違った。オイラは兵十さんを視界に捉えると、背負い込んだ重い荷物を地に下ろし、その弾みで手を膝に付け、大きく肩で息をした。その様を傍で見ていた兵十さんはニヤリと笑うや、冗談めかして言う。


 「今日は随分と張り切ってるじゃねえか!」

 「仕送りの木の実が増えたとか? ハハハ、そりゃ参ったな……」

 「違うウキ!」


 オイラはきっぱりと言い切った。早くしないと彼女が遠くへ行ってしまう――逸る気持ちを抑えられない。いつもならばこれから木の実を換金してもらうためにその全てを数え上げなくてはいけないのだが、今日はその時間すら惜しいと感じられた。


 「じゃあなんだってんだ、そんなに焦って……」

 「兵十さん! お願いがあるウキ!」

 「なんだよお願いって―…先に言っておくが、売値交渉ならお断りだぞ」

 「そうじゃないウキ!」


 訝し気な表情でこちらを見つめる兵十さんに対し、オイラは木の実の換金をも後回しにして「あること」を頼み込む。


 「今すぐ元の姿に戻して欲しいウキ!」

 「ああ、それは構わねえが、換金は―…」

 「それは後でいいウキ! 今はとにかく猿に戻して欲しいウキ!」

 「……なんだかのっぴきならない事情でもある様子だな」


 兵十さんは察しの良いおとこだ。話を深く掘り下げることなく、一先ずはオイラの要求を聞き入れてくれた。そして件の過程を経て、久方ぶりに元の姿へと戻ったのだった。


 「兵十さん、ありがとウキ!」

 「礼には及ばねえ……しかし一体―…」


 オイラは兵十さんの言葉を最後まで聞くことなく、一陣の風の如くその場を立ち去った。それからと言うものの、野生を取り戻したオイラは早かった。地を這うような四足歩行で印を付けた当該地まで戻ったかと思えば、そこから先は木と木を器用に伝いながら、密に存する森林を縦横無尽に探し回った。しかしその甲斐も虚しく、彼女はなかなか見当たらない。


 (どこにいるウキか……)


 これと言った手掛かりはない。向かった先も分からない。勿論、彼女の名前を知る訳もなく、呼び掛けることさえ叶わない。このように見知らぬ他者を探すには余りにも無謀かつ絶望的な状況にありながら、諦めることなく必死で探し回るのは何故か、それは彼女を一目見た時に芽生えた真っ赤なアネモネの所為である。彼女のことを思えば思うほど、より激しさを増す動悸、それに合わせて熱を帯びる胸の内、いくら鈍感なオイラとは言え、この気持ちの変調を何となくではあるが理解し得た。


 (これはもしかして……)


 その時だった、とある大きなくすのきの下で、妙な動きをする栗毛の動物を見つけたのは――。そして柔らかな初夏の風に吹かれ舞い上がる、ほのかに香る雌の匂いに、彼女であることを確信する。その後、静かに地上へと下りるや、彼女に気付かれないようその背後に回り込むと、胸の高鳴りは最高潮を迎え、思わず話し掛けるのを躊躇してしまう。


 (一歩踏み出すウキ! さあ、一歩を……!)


 自分で自分を奮い立たせること数十秒、オイラは遂に意を決し、カラカラに乾いた口腔から彼女へ向けて言葉を発する。


 「あっ、あの……!」


 その瞬間、彼女は猫に見つかった鼠のように飛び上がって驚き慌てるや、咄嗟に何かを落ち葉で隠した。どうやら干渉してはいけない場面に出くわしたらしいが、そんなことはどうでもよい。今のオイラは少しでも彼女と関わり合いを持ちたいという一心だけでその場に立っていた。しかし当の彼女はまずい所を見られたと言わんばかりの引き攣った表情で、作り笑いに努めている様子だ。


 (そうだ、取り敢えず自己紹介をしなきゃ……)


 内心に潜む冷静な、しかしとても小さな自分に諭されるがまま、オイラは自己紹介を始めた。


 「オイラは宇喜田、いいや、ロベスピエールと申しますウキ」

 「どうぞ、よろしくお願いしますウキ……」


 そう言い切ると、丁重にお辞儀までして見せた。「お辞儀をした」と言ってしまえば聞こえは良いが、実際は恥ずかしさの余り、顔を伏せたくなっただけのことだった。そして一時の沈黙を経た後、彼女は恐る恐る口を開く。


 「もしかして……見ちゃった……?」

 「ウキッ!? なっ、何を見たって言うウキか?」

 「いや、あの、その……」


 彼女はとても居た堪れなさそうに振る舞っている。やはり目撃されてはまずい場面に立ち会ってしまったようだ。しかしオイラは気にしない。と言うか、彼女がこの場所で何をしていたかなんて知りもしないし、詮索もしない。オイラはただ純粋に彼女と交流を持ちたかったのだ。そういうわけで一先ず彼女を安堵させるべく、東照宮に言い伝えられし「見ざる」のポーズを取ると、


 「いいや、何も見てないウキ! だから安心して欲しいウキ!」

 「本当!? 良かった~」


 取り敢えずこれで良いのだ――オイラは彼女を安心させたと見るにつけ、次にかけるべき言葉をあれこれと探し出す。しかし浮足立った心の内はそれを阻むどころか、上手く話すことさえ難しくさせた。こうしてしばらくの間、何を言えずにモジモジしていると、


 「群れの仲間が心配するから、そろそろ……」

 「そ、そうウキね……」

 「あなたも早くこの場を離れた方がいいわよ」

 「……分かったウキ」


 彼女はそう言うと、オイラに背を向け、樹上に駆け上がる。これでお別れか、オイラは今までになく寂しい気持ちにさせられた。それと同時に何も出来ない自分をひどく情けなく思う。本当に何も言えないで良いのか、このまま離れ離れになっても良いのか、二度と会えなくても良いのか――さっきまで動揺していた内なる自分に突き動かされるや、一握りの勇気を振り絞り、離れていく背中に問いかける。


 「……あのっ!」


 突然の呼び掛けに彼女は立ち止まる。続く言葉など考えてもいない。しかしあと少し話したくて彼女を呼び止めたまで、もうどうにでもなれ――オイラは半ばやけくそ染みた様子で言葉を振り絞る。


 「君の名前は……?」


 「私? 私はウキ江、よろしくね」


 そう言い残して再び駆け出す彼女に向け、


 「来週のこの時間、この場所であなたを待ってるウキ~!」


 裏山中に木霊こだまするような大声で、再会を誓った。彼女は何も答えることなく、森林の奥深くに消えていった。オイラは大木の下に一人、火照った身体を鎮めるように息を整え、気持ちを落ち着かせる。やがて冷めやらぬ温心にふと気付く。


 ウキ江さん、僕はあなたに惚れてしまったのかもしれません――。



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