親睦
オイラは驚きの余り、声を失った。まさかトイレの彼と同じ下宿になろうとは夢にも思わなかった。結局、初対面であるかのように振る舞い、何とかその場を収めた。ただ二人にしか分からないモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、二階の自室に上がり、各自で入居準備を進めた。
その途中、傍で聞いたおばさんの会話から察するに、トイレの彼は高澤という名前らしい。そしてもう一人の同級生・甲把を加えた三人で今日から生活することになる。しかしまだ知り合って間もなくだったので、面と向かって積極的に会話することはなかった。これからどうなるのか、オイラは爆弾を抱えたまま送る、慣れない人間との共同生活に不安を拭い去れないでいた。
「そろそろ夕飯にするわよ~」
階下からおばさんの声がする。気付けば夕方、黄昏の橙にカラスが鳴く。それに呼応するかのようにお腹も鳴っていた。オイラはそろそろと二足歩行で一階に降り、他の二人もそれに続いた。そして初めて囲む人間の食卓に思わず目を丸める。
「今日は入居記念ということで、すき焼きにしてみたんだけど……どうかな?」
「おお~!」
二人は歓喜の声を上げた。それから少し遅れて、オイラも手を叩き、喜びを表現する。「すき焼き」――馴染みのない料理だが、彼らの反応からすると、美味しいものに違いない。オイラはウキウキとした気分で席に着いた。そして見よう見まねで卵を溶き、出来上がった牛肉を頬張る。
「……!!!」
それはまさに革命だった。ほっぺたが落ちそうになるほどの衝撃に、束の間、息をするのも忘れる。平素から木の実ばかり食べていた味覚に覚えのない味に心底人間を羨んだ。
(食物連鎖の頂点はスゴいウキねぇ……)
それからというものの、他の二人と競うような格好で、すき焼きを掻き込んだ。その間に自然と会話が生まれ、心の距離もグッと縮まったような気がする。やがて楽しい夕食の時間は終わりを迎えた。皆で食卓を片付けた後、自室に散会し、順番に風呂へと向かう。そして最後のオイラがそこから上がって来ると、
「宇喜田、ちょっと来いよ!」
そう言って甲把の部屋に呼ばれた。オイラは風呂道具を部屋に置くや、その足で彼の部屋を訪れる。するとそこに高澤の姿を見とめた。
(アイツがいるウキ……! 油断ならないウキね……)
オイラは彼の存在に再度緊張を強いられた。自意識過剰かもしれない。ただそんな気持ちでいるからか、彼の視線にどことなく不信や訝しさを感じてしまう。
「まあ座ってくれ!」
言われるがままに腰を下ろす。これから何が始まるのか、全く読めずに思わず息を飲む。
「改めまして……オレは甲把明良な! よろしく!」
次いでトイレの彼が口を開く。
「僕は高澤……高澤修悟! よろしくね」
遂にオイラの番が回って来た。名前はロベスピエール……じゃなくて、宇喜田……類人だった。
「宇喜田類人と申しますウキ……よろしくウキ」
すると何気ないオイラの発言に甲把が食いつく。
「語尾の『ウキ』と言い、宇喜田ってもしかして―…」
彼は何かに気付いたらしい。突然訪れる嫌な予感に顔面から血の気が引く。傍にいる高澤もその問いに興味を持っているようだ。身を乗り出して返答を窺っている。
(もしかして……? まさか……)
次の言葉まで時間にして二、三秒だったが、随分と長く感じられた。もし猿だと見抜かれれば、二度と元の姿には戻れなくなってしまう。時を待たずして甲把の口が動く。オイラはその一言一句に全神経を集中させ、いま飛び出そうとしている彼の言葉に耳を傾けるのだった。