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浮世の風  作者: 金王丸
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岐路


 麗らかな日差し、桜吹雪に包まれて、オイラは二年目の春を迎えた。世の人はこの始まりの季節に何を思うか、それは宝物を求めて大海原に漕ぎ出す海賊の如く、漠然とした、それでもきっと前向きな不安感を抱いているに違いない。これからどうなるだろうか、分からない。でもその先の景色を見に、一歩踏み出さずにはいられない。始まりの季節とはそんな期待と不安の入り混じる高揚感を人々の内心に萌芽させている。しかしオイラは違った。


 「アレ、新入生じゃないか!?」

 「あの初々しさ、間違いないな」

 「ああ~、一年前を思い出すなぁ……」


 同じ方角に向かっている新入生と思しき学生を目の当たりにし、二人はある種の感慨に耽る。彼らは目の前を歩く新入生に去年の自分を仮託しているようで、どこか郷愁に満ちた眼差しを向けていた。一方のオイラはまるで他人事、ただひたすらに後ろ髪引かれる内憂をを押し留めるべく孤軍奮闘していた。そしてしばらく黙っていると、話の凪を嫌ってか、不意に明良が口を開く。


 「そう言えばさ、クラス分け、どうなってるんだろうな」


 「クラス分け」――オイラはその言葉を耳にするや、自責の念を強める。長老と共に海を渡り、人間界へとやって来た去年の春、「木の実の増産」という長老の悲願、一族の期待を一身に受けて、当地に降り立った。全ては三年後、農学部に進学するためのステップとして、人間の進学校に入ったのだ。オイラは稀代の天才猿・ロベスピエール、人間だろうと宇宙人だろうと勉強事では負ける気がしなかった。何事も順風満帆、難なく農学部に進学出来る――あの頃はそう信じて疑わなかった。しかし―…続く明良の言葉に現実を突きつけられる。


 「理系に進む修悟は別として―…」

 「類人とオレは同じクラスかもしれないぜ!」


 何も知らない明良は嬉々としてそのことを語るが、オイラからしてみればそれは思考の中枢に植え付けられた悩みの種に他ならない。結論から言えば、オイラは文系を選択した。理由は単純明快で、数学に難を抱えていたからだ。これだけならば文系に見られるありがちな進路選択だが、問題は独断専行という事実、つまり島の長老は何も知らされていないのだ。いつか言わなければと思いつつ、棚に上げてきたパンドラの箱、気付けばそのまま新学期を迎えてしまっていた。


 程なくして校門を潜り、学校に到着する。玄関口には数人の人だかり、皆一様に少し見上げるような格好で何かを確認している。


 「あれってもしかして……」


 明良はそう呟くと、急に駆け出した。やがてその人だかりに加わるや、例によってその張り紙のようなものをまじまじと見つめている。そしてくるりと振り向き、急かすようにオイラを手招く。


 「類人! 一緒のクラスだぞ!」

 「……ウキッ!?」


 オイラは素直に喜んでいいのか、少し戸惑った。しかし妙な詮索をされても敵わないので、取り敢えず作り笑いの仮面を被り、手放しで喜ぶ演技を以ってして、即席の一人舞台に注力することとした。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「…―二年生ということは~…」


 新担任のホームルームはやけに長い。オイラはどこか上の空で、気も漫ろにその話を聞き流していた。改めて考えてみれば実に滑稽なことだ。オイラは理系から文系へと自身の進路を大きく変えた。定められた将来へと進んでいた船上にあってあらぬ方向に舵を切ったのだ。しかし船長たる長老はそのことを知らない。いまこの瞬間もかの地に向かっていると信じて疑っていないのだ。オイラは依然としてこの愚かな独断専行の罪悪感に苛まれつつも、脳内にその情景を浮かべるや、その喜劇的な様相に乾いた笑いすら生まれてくる。冗長なホームルームの間、様々に悩み、考え抜いた挙句の答え、とにもかくにも道を踏み外したことに間違いはないらしい。


 「……ではホームルームもここまでに~…」


 永遠にさえ思われたホームルームも遂に終わりを迎えた。担任の去った教室では各々に新たな交流を持ち始め、ぞの場全体が新学期特有の心躍る空気感に包まれていた。しかしオイラだけ違う。ここは文系のクラス、オイラは本来ならばいるはずのない存在なのだ。そういう後ろめたさはオイラを集団の中の孤独とも言うべき奇妙な状況に陥れていく。


 「類人! この後、皆でカラオケ行こうぜ!」


 明良の快活な誘いに頷きはしたものの、相変わらず立ち込める心の霧は一向に晴れる気配を見せない。やはり無理をしてでも理系に進むべきだったろうか、オイラは今更ながらにそう考えてしまう。長老を初めとする一族の皆に対し、何かにつけて嘘偽り続けなければならない今後を思えば、数学の不得手など取るに足らない些事のように感じられてならなかった。しかしもう後戻りは出来ない。オイラはこれまでになく重い足取りで明良たちの後について教室を出た。するとその時だった――。


 「宇喜田~!」

 「……ウキッ!?」


 唐突に背後から呼び止められ、びっくりして振り返る。廊下のずっと向こうから勢いよく駆けてくる大の大人、声から類推するに数学の教師、オイラの天敵だ。その姿を見とめると、オイラは一目散に逃げ出した。なぜ追いかけられているかは分からない。追われるから逃げている、ただそれだけのことだ。


 「宇喜田~! 逃げるな~!」

 「課題出せ~!」

 「締め切りはまだ先ウキよ!」


 数学の教師は課題を取り立てるため、オイラを追っているようだった。しかし奇妙なことにその締め切りは今日ではない。どうしたことかと思いつつも、逃げ足を緩めるわけにはいかない。と次の瞬間、オイラは衝撃の事実を告げられる。


 「春休みの課題じゃない―…」

 「冬休みの課題だ!」

 「うやむやになったと思うなよ!」

 「勘弁して欲しいウキー!」


 やはり文系に進んだのは正しかった。長閑のどかな春の午後、季節外れの魔の手から命からがら逃げ惑いながら、そう確信する次第であった。



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