遭遇
重くて押し潰されそうな程の大荷物を背負い、一歩また一歩と苦難の坂を上る。目指すは今日から三年間お世話になる下宿先だ。入学式を終えるや、皆散り散りになって自分の下宿へ向かい、入所の段取りを整える。そしていま現在、僕は荷物を運び入れている最中だった。
(それにしてもさっきのアレは何だったんだ……)
その道中、ふとトイレでの出来事を思い出す。周りに誰もいない小便器の前で座り込むという彼の奇行を目の当たりにし、僕は何度考えてもその行動の意図を理解出来ないでいた。彼は何の為にあそこで座り込んでいたのか、真相は彼のみぞ知る、と言ったところだ。
そんなこんなで様々に詮索をしていると、いつの間にか目的地である下宿の前に辿り着いていた。僕は自然と足を止める。下宿とは思えないこじんまりとした建物に、お世辞にも綺麗とは言えないその外観を見るにつけ、それまで姿を隠していた新生活に対する漠然とした不安に襲われる。学校生活も同様だが、基本的な生活の場である下宿先で上手く立ち回ることは非常に重要だ。ここで浮いてしまったらどうしよう、同居人と反りが合わなかったらどうしよう、常識知らずの変なヤツだったらどうしよう……考えれば考えるほど悪感情のドツボに嵌まっていく。
(うだうだ考えても仕方ないか……)
案ずるより産むが易し、一先ず不安を胸の奥に無理矢理押し込めると、僕はその敷地内に一歩足を踏み入れた。そして恐る恐る玄関のチャイムを鳴らす。すると忙しく足音を立て、中からおばさんが出てきた。
「君は……高澤くんかい?」
「あっ、そうです」
「入学おめでとう! ささっ、中にお入り」
軽く会釈をして家の中に入る。親しみのこもった手招きと合わせて朗らかな笑顔で迎え入れてもらい、一気に緊張が和らぐ。そして玄関を上がると、台所の方からこの宿の主人と思しきおじさんが出て来た。
「こんにちは、入学おめでとう!」
「こんにちは……ありがとうございます」
白髪交じりの頭に特徴的な黒縁眼鏡を掛けているおじさん――彼もまた満面の笑みを浮かべていた。この夫婦はやけに明るい。他意はなく、単純にそう思った。
「君で二人目だ、一人はもう二階にいるよ」
「そうですか……」
「甲把くんだったかな、後で挨拶しておきなさい」
「分かりました」
(頼むから普通の人間であってくれ……)
僕は神様に対し、今までにしたことのない種の祈りを捧げる。変人の集まりやすい進学校だから、というわけではないが、ある程度までは許容出来るつもりだった。しかしそれを超えた規格外の「人間」が既に存在していたため、そんな思いに駆られる。そして意を決し、二階に上がろうとしたその時、急に玄関の扉が開く。
「こんにちはウキ~、ここで合ってるウキか?」
「君は……宇喜田くんだな! ようこそ、いらっしゃい!」
僕と彼、お互いに顔を見合わせるや、まるで時が止まったような感覚に襲われる。どうやら神様に僕の祈りは届かなかったらしい。そしてあちらも思うところがあるのだろう、警戒とも取れる目つきで僕を見据えていた。そこはかとなく漂う微妙な空気にひどく居た堪れなさを感じる。
今日から彼と同じ屋根の下、日常生活を送らなければならない。だがその前に……神様よ、いまこの時に及び、一体彼にどういう言葉を掛けたらいいのか、それだけは教えて欲しい――僕は心からそう願った。




