生業
終業の鐘が鳴る。後はホームルームを残すだけ、早く解放してくれと願って止まない。オイラの気持ちは既に裏山の奥、兵十さんの元へ向かっていた。やがて担任の先生がやって来て、連絡事項を言い渡す。
「え~、今日はアンケートを―…」
平時なら二、三分で終わるところを、イレギュラーな事態に時間を奪われる。オイラは碌に問いも見ずに、その回答を適当に塗り上げ、キリンくらい首を長くして来たるべき時を待った。
(早くしてくれウキ……)
次第に苛立ちが募る。今にも駆け出そうとする気持ちを人間の理性でどうにか宥めつつ、傍目には大人しく座っていると、
「じゃあ、終わった者から解散ということで―…」
「……ウキッ!」
遂に解散の時を迎えた。オイラはその言葉を聞くや、猛烈な勢いで教卓に用紙を提出する。そして急ぎカバンを担ぎ上げると、一目散に教室から飛び出した。しかし二、三歩進んだところで、背後からオイラのことを呼び止める声に気付く。
「類人! どこ行くんだ!?」
明良の声に思わず立ち止まり、半身の状態で振り返る。彼は教室の窓から顔を覗かせ、不思議そうな表情でこちらを見ていた。オイラは早く帰りたいと思うが余り、足踏みをしながら彼に応対する。
「急用ウキ! 早く帰らなくちゃいけないウキ!」
相変わらず「急用」という言葉で誤魔化す。木の実の換金に行くとはとても言えない。しかし言えるようなことであっても、手短に伝えようと同じ表現になったかもしれない。そして再び向き直り、一歩踏み出した途端、
「放課後のボーリング、どうするんだ~?」
「ウキッ!?」
その言葉に再度ブレーキをかけられる。自分の胸に手を当ててよくよく考えてみれば、今日はボーリング場に行くと約束していた日だと思い出す。オイラはそのことを全く失念していた。しかし裏山へ行くことばかりを考えていたため、今更引き返せない。
「すまないウキ……急用を終えたら行くウキ……!」
「じゃあ終わったら連絡してくれ!」
「分かったウキ!」
そして三度駆け出すと、
「携帯の使い方、大丈夫か~?」
明良は煽るような言い方でオイラを茶化す。今からちょうど一カ月前のこと、オイラは文化祭で知り合った姫華さんに携帯電話をプレゼントしてもらった。生まれて初めて手にしたその文明の利器――伝書鳩ではなく、電子を用いた連絡手段に便利だなと思いつつもなかなか使い慣れなかった。複雑な操作に難儀し、心折れそうにもなった。しかし周りにアドバイスをもらいながら苦労に苦労を重ねた結果、どうにか使えるようになったのである。
「うるさいウキね! もう大丈夫ウキよ!」
彼の冷やかしに対して短く応戦すると、サバンナに棲むチーターのように一途帰路を駆け抜けた。邪魔立てする者はもういない。一刻も早く兵十さんの元に至りて仕送りの木の実を換金し、それから明良たちの待つボーリング場へと向かわなければならない。オイラは肌寒い外気を切り裂きながら、途中下宿を経由した後、赤く色付く裏山を目指した。
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「ハァ、ハァ……」
「なんとか辿り着いたウキ……」
学校を出発してから小一時間、遂にオイラは兵十さんの棲み処までやって来た。最近になってようやく通り道を理解し、迷子にならなくなったため、より短時間でここまでたどり着けるようになった。
「兵十さ~ん! いるウキか~?」
オイラは枯れ葉で覆い隠された洞窟に向かって呼び掛ける。二度、三度繰り返す。しかし返答はない。
(困ったウキねえ……)
兵十さんは基本的に家を空けている。夕方近くならまだしも、昼間に棲み処で見かけたことはない。オイラはいつものように彼の帰りを待つこととした。そして近くの切り株に腰掛けようとしたその時、どこからともなく木枯らしに吹かれる。
「うぅ……寒いウキ……」
ハクション―…くしゃみ一つ、晩秋の肌寒さに身を震わす。猿であれば冬毛の生えてくる時期だが、人間の場合それはないらしい。オイラたちより進化している種とは言え、退化している部分もあるのだと思い知り、少し得意気になる。一方で余計なことを考えている間にも身体は冷えていく。人間の体温調整は衣服を着脱することで行われるが、身に纏うそれがなければひたすら耐えるしかない。
(頼むから早く帰って来るウキ……)
オイラの切実な思いとは裏腹に、兵十さんは帰って来る気配を見せない。寒空の下、時折吹きつける北風に野晒しで待ちぼうけ、せめて風だけでも凌ぎたいと思い至りて、眼前の洞窟に興味を惹かれる。
(……仕方ないウキ)
オイラは少し葛藤した後、悪いことだと自覚した上で兵十さんの棲み処にお邪魔することにした。しかし申し訳なさで一杯、という訳でもなかった。未だ嘗て洞窟内を覗いたことはなく、その内部の様子に一抹の好奇心を抱いているのもまた事実である。やがて一歩、また一歩と未開の地へと近付き、
「お邪魔するウキ~」
そう小さく呟き、恐る恐る枯れ葉のカーテンを潜る。しかし直前の期待に反して、手前に焚き木の跡を確認しただけで、そこから先は真っ暗闇、ほとんど何も見えなかった。
(奥に何かあるウキか……?)
ここでふとあることを思う。兵十さんとはかれこれ半年間の付き合いにも関わらず、その素性について知り得たことはごくわずかだった。しかし今日この瞬間、彼の棲み処に深入りし探索すれば、何か分かるかもしれない。そう思うや、オイラは禁断の果実に手を伸ばしかける。そしてまた一歩踏み込むと、
「こらっ! オレの棲み処で何してんだ~!」
「ウキッ!?」
突然背後から襲い掛かる怒声、それに勝るとも劣らないほどの勢いで迫り来る声の主に、オイラは襟首を掴まれ、洞窟から摘み出された。そして外の明るさに目を細めながら、すぐさま顔を見上げると、
「お、お前は―…!」
「兵十さんウキか!?」
兵十さんは今までに見たことのないような鬼の形相でこちらを睨み付ける。マズい、怒られる――オイラは咄嗟に頭を抱えた。しかし更なる怒声を浴びることはなく、たった一言、
「洞窟の奥まで入ったか?」
「いや、手前までしか……」
兵十さんはその答えを聞くや、険しい表情を幾分か和らげ、
「それなら良いんだが―…」
「勝手に覗いてすみませんウキ!」
オイラは額を地につけ、平謝りに謝る。もし奥を覗いていたら―…想像するだけでも恐ろしい。その後、いつものように木の実を換金し、どうにか事なきを得た。そしてその帰り際、兵十さんはそそくさ立ち去ろうとするオイラを呼び止め、
「おいっ! ロベスピエール!」
「ウキッ!?」
咄嗟に振り向くと、兵十さんは野鳥を脚から逆さに持ち、オイラを手招く。
「寒い中、待っていたんだろう? 悪かったな……」
「今からこいつで鍋をやるんだ……お前も食って行くか?」
オイラは思わぬ申し出に顔を綻ばせ、快諾する素振りを見せたが、ふと明良との約束を思い出し、どちらを選ぶべきか、少し葛藤する。しかし折角の誘いを断るのもまた野暮だと感じ、
「それでは……お言葉に甘えるウキ!」
「よし、準備するぞ」
オイラはその呼び掛けに応じ、再び兵十さんの元に向かう。彼の手元には捕獲したばかりの鳥、それを目前に何気なく問うてみる。
「その鳥……兵十さんが狩って来たウキか?」
猟銃を構え、撃ち放つようにして、その出所を聞いてみるも、兵十さんは一瞬口ごもり、返答に躊躇する。そして―…
「いや、違う……」
「狩りはもうやめたんだ」
どこか哀愁漂う物寂し気な言い方に何か引っ掛かるものを感じた。しかし洞窟の中身と同じで、それ以上深追いするべきではないと思い至り、追及を打ち止める。それにしても兵十さんは何を生業として生きているのか、結局その尻尾も掴めず仕舞いで、謎は深まるばかりだった。




